通信Vol.230(2023年7月)
梅雨のじとじとした空気と、うだるような暑さの波状攻撃で体力を消耗しがちですが、皆さんはいかがお過ごしですか?
今回はハッピーな人と不幸な人の分かれ道「3:1の法則」という科学的に証明された幸せ法則についてお話ししたいと思います。この法則に従って生きていれば幸せを感じることが多くなるという法則で、とてもシンプルなものです。ある条件を満たしている人はますます幸せになり、ある条件を満たしていない人はますます不幸になるというものです。
では「ある条件」とは一体何かと言いますと、それはポジティビティ比が「3:1」以上であることと言われてます。ではポジティビティ比とは何かといいますとそれは「明るいことを考えた数と暗いことを考えた数の比率」のことです。具体的には「①グッスリ眠れたな②今日は良い天気だな③朝ごはんの味噌汁美味しかったな ❶今日も仕事かぁ」と3つ明るいことを考えて1つ暗いことを考えたらポジティビティ比は3:1です。「①今日は良い天気だな❶今日も仕事かぁ」だったらポジティビティ比は1:1です。3:1がハッピーと不幸の分かれ目で3:1を超えてくるとどんどん幸せ度が加速し、逆に3:1を下回るとどんどん不幸度が加速していくと言われています。一般の人の平均的なポジティビティ比はどの位かというと2:1と3:1の間を行ったり来たりしていると言われています。
ではなぜポジティブな人は加速度的に幸福度が増し、ネガティブな人はその逆に加速度的に不幸になるのかというと、「拡張形成理論」で説明がつきます。例えば、山の中で熊にバッタリ出会って死にものぐるいで逃げているときには、周りのどんなきれいな景色も目に入って来ません。ネガティブな心にはネガティブな情報しか入って来ないのです。反対に心がポジティブな状態だと「空気が澄んでて気持ち良いな」とか「新緑がきれいだな」とかどんどんポジティブな情報が入って来ます。つまり暗い考えが多い人には暗い情報しか入ってこないからますます不幸になり、明るい考えが多い人には明るい情報がどんどん入って来るから、ますますハッピーになるというわけです。
ポジティビティ比が高いと良いことが沢山あります。美容、健康、免疫力アップ、ケガや病気の早期回復、長生き等々良いことばかりです。
他人との会話のポジティビティ比と人間関係について研究された「ゴッドマン率」というのもがあります。それは会話の内容によって関係性が良くなるか悪くなるかの境目について、いろんな人間関係の場合分けで実験されたものです。
親 子 3:1 上司と部下 4:1 恋人・夫婦 5:1 友 達 8:1 |
会話の内容によって人間関係の良悪の分岐点が違うのですが、夫婦・恋人の方が上司と部下よりもポジティブな話題を要求されるのが興味深いですね。ゴッドマン率を上回るポジティビティ比の会話をしている人間関係は続くが、下回る関係性は破綻するという実験結果から20年後の夫婦の離婚率を予測すると的中率90%以上というから驚きです。
通信Vol.229(2023年6月)
田植え風景も一通り落ち着き、夏の到来を待つ季節になってきました。梅雨入りしたとはいえ、毎日ジトジトしていないので個人的にはうれしいです。
今回は「愛」について話をしたいと思います。
「愛」には受け取る「愛」と与える「愛」があります。他人から愛を受け取ることに焦点をあてると愛されていると思え、他人に愛を与えることに焦点をあてると相手のことが愛おしく思えます。
自分は「愛を与えることが好き」と思っていても、よくよく自分を見つめていくと受け取る愛に焦点を当てていたなんていうこともよくあります。また、どちらかしかやっていないということもなく他人に与えたり、他人から受け取ったりしてバランスを保っています。
ここで簡単な質問をしてみたいと思います。貴方は無条件に人や動物を愛していますか?無条件とはダメ出しをしない愛し方ということです。たとえば赤ん坊に対して「今は泣かないで」とか「このタイミングでウンチしないで」「オッパイの飲みが悪いよ」なんてダメ出しをするお母さんはいないですよね。ペットのワンコに対して「オスワリの仕方が悪い!」とか「餌の食べ方が悪い!」なんて、いちいち怒る人も殆ど見たことがありません。
自分の推しのアーティストの追っかけをやっている人を知っていますが、彼女はどんなに遠くの都市で開催されるライブも見に行くし、そのアーティストのグッズ販売に並んで直前で売り切れたとしても文句も言いません。ライブ開始が遅れても、終了時間が延長になっても文句ひとつ言わずに熱狂的に応援しています。まさに無条件の愛です。
自分が子供だったときは、親から無条件で愛されていたなんて考えたこともありませんでしたが、自分が親になって初めて、自分が親から無条件で愛されていたことを知ります。親に反抗しまくっても家から追い出されることなく、ご飯も作ってもらい、生活費も学費も全額負担してもらっていたのですから。ダメ出しせずに無条件で愛することが、愛を与えるということです。好いた惚れただけが愛ではないのです。
私は彼(彼女)のことを愛していると言っている人でも「どうしてLINEの返事をしないんだ」「どうして自分との時間を作ってくれないの」「ちゃんと私のこと考えてる?」と相手を責めたりします。相手にダメ出しをするということは、「〇〇してくれないと私を愛していることにならないよ」と愛に条件を付けているのです。愛に条件を付けているときは、「愛」を受け取ることに焦点があたっている時です。
受け取る「愛」に焦点があたっていると人間関係はしんどくなります。何故なら他人や天候は自分の思い通りにコントロール出来ないからです。天候のことなら「なんでこんな時に雨が降るんだよ」と空に向かって怒るまえに黙って傘をさすか、カッパを着るでしょう。ところが相手が人間になるとどうしても自分の思い通りになると思ってしまいます。傘もささずにカッパも着ずにずぶ濡れになっておいて「どうしてくれるの!」と相手に詰め寄るのです。
「与える愛」に注目して「自分は愛を与える存在になる」と決意すると不思議なことが起こります。それは他人を見たときに、自分(私)に愛を与えてくれる人なのか自分(私)から愛を奪おうとしている人なのかが見分けられるようになるのです。自分が親になって初めて親の無条件の愛を知ると前述しましたが、自分が親になった後で、子供として自分の親に接すると親の愛情をより一層深く知ることができます。与える者の気持ちが分かるようになるからです。同じように他人に対してダメ出しをしない愛を与えることに焦点をあてると、自分に対してダメ出しをしないで愛を与えてくれる人が見えてきます。試しに「自分は愛を与える存在だ」と決意してみませんか?
通信Vol.228(2023年5月)
乗鞍の雪も大分融け、地肌が見えてきました。田植えもどんどん進んでいるようです。山々の新緑も眩しいですね、私はこの時期が一年で一番好きです。
今回は「善いことをすると悪人になる。」という話をしたいと思います。
え?善いことをすると善人になるんじゃないの?と思った貴方の感覚は間違っていないと思います。何故なら善いことをする目的は、自分が蒔いたタネが自分に還ってくると信じているからでしょうから。他人に親切にすれば相手から感謝されて、自分にも善いことが回ってくると思うでしょう。逆に悪いことをすれば、捕まって刑務所に入れられたり、他人から批判されると思うから行為自体をひかえるでしょう。これ自体は「因果の道理」といって宇宙の法則のようなものですから、誰も否定は出来ないと思います。
しかし、貴方にはこんな経験がありませんか?道端の吸い殻を拾い集めていた貴方の傍を走りさる車からタバコの吸い殻がポイ捨てされてイラっとした。自分や周囲の人の健康を考えて禁煙していたら、居酒屋で横に座った人がタバコをスパスパ吸ってとても気分が悪かった。高速道路を法定速度で安全に走っていたら、猛スピードのクルマが追い抜いていって腹が立った。コロナ感染対策でマスクをしてコンビニに入ったら、マスクをせずにお店に入ってきた人がいて気分が悪かった。自分は会社で朝の挨拶を特に気を付けて大きな声でやっているが、挨拶を返さない人がいて腹が立つ等々。
自分は善いことをしているつもりだけれど、ついつい他人にも自分と同じことを求めてしまい、それが出来ていないと腹が立つというのはよく聞く話です。
善いことをするのは、誰から見ても価値ある行動なのに、心の中がモヤモヤしたという経験が誰にでもあるのではないでしょうか。「善いことをすると悪人になる。」というのはこんな時です。どこでどう間違えたらこんなことになるのか検証したいと思います。
道路の吸い殻を拾うという行為は、誰にでも出来るものではありませんから、その行為自体は全く間違ったことでは無いどころか賞賛されるべき行為です。
その傍らを走っていた車の運転手が吸い殻をポイ捨てしたのは、悪い行為ですから誰が罰しなくても、その行為の本人に悪い結果(運命)が還るというのは宇宙の法則から見ても間違いないでしょう。
ところが、「吸い殻を拾っている私の横でポイ捨てをするとは何事か!」という○○警察のような私の心が自身をイラっとさせるのです。せっかく善いことをしていながら、気分を悪くしてしまっては何か損をしたような気になってしまいます。
ではどんな心持ちでいれば気持ちよく善い行いが出来るのでしょうか。自分は拾う人(良いことをする人)、あの人はポイ捨てをする人(蒔いたタネの報いを受ける人)と客観的にとらえて、「この野郎!」と他人を責めないことです。他人を責める根本には「自分は正しい、あの人は間違っている」という考えがあります。「自分だけが正しい」という思い込み、信じ込みはいろんな場面で人とぶつかる原因となります。自分でも気が付かないところで他人に迷惑をかけていることが多々あります。必要もないのに車でドライブして排ガスで大気を汚したり、過剰包装でプラごみを量産したり、機嫌の悪い雰囲気を漂わせて周囲の人に気を遣わせたり、他人から見たら眉をひそめるような行為を自分では気付かずにやっていることも多々あるのです。
自分だけが正しいのではない。又、自分の気付かないところで周囲の人に迷惑をかけているかもしれないなと思えれば、善いことをしても奢らず、謙虚に善が出来るのではないでしょうか。
通信Vol.228(2023年5月)
乗鞍の雪も大分融け、地肌が見えてきました。田植えもどんどん進んでいるようです。山々の新緑も眩しいですね、私はこの時期が一年で一番好きです。
今回は「善いことをすると悪人になる。」という話をしたいと思います。
え?善いことをすると善人になるんじゃないの?と思った貴方の感覚は間違っていないと思います。何故なら善いことをする目的は、自分が蒔いたタネが自分に還ってくると信じているからでしょうから。他人に親切にすれば相手から感謝されて、自分にも善いことが回ってくると思うでしょう。逆に悪いことをすれば、捕まって刑務所に入れられたり、他人から批判されると思うから行為自体をひかえるでしょう。これ自体は「因果の道理」といって宇宙の法則のようなものですから、誰も否定は出来ないと思います。
しかし、貴方にはこんな経験がありませんか?道端の吸い殻を拾い集めていた貴方の傍を走りさる車からタバコの吸い殻がポイ捨てされてイラっとした。自分や周囲の人の健康を考えて禁煙していたら、居酒屋で横に座った人がタバコをスパスパ吸ってとても気分が悪かった。高速道路を法定速度で安全に走っていたら、猛スピードのクルマが追い抜いていって腹が立った。コロナ感染対策でマスクをしてコンビニに入ったら、マスクをせずにお店に入ってきた人がいて気分が悪かった。自分は会社で朝の挨拶を特に気を付けて大きな声でやっているが、挨拶を返さない人がいて腹が立つ等々。
自分は善いことをしているつもりだけれど、ついつい他人にも自分と同じことを求めてしまい、それが出来ていないと腹が立つというのはよく聞く話です。
善いことをするのは、誰から見ても価値ある行動なのに、心の中がモヤモヤしたという経験が誰にでもあるのではないでしょうか。「善いことをすると悪人になる。」というのはこんな時です。どこでどう間違えたらこんなことになるのか検証したいと思います。
道路の吸い殻を拾うという行為は、誰にでも出来るものではありませんから、その行為自体は全く間違ったことでは無いどころか賞賛されるべき行為です。
その傍らを走っていた車の運転手が吸い殻をポイ捨てしたのは、悪い行為ですから誰が罰しなくても、その行為の本人に悪い結果(運命)が還るというのは宇宙の法則から見ても間違いないでしょう。
ところが、「吸い殻を拾っている私の横でポイ捨てをするとは何事か!」という○○警察のような私の心が自身をイラっとさせるのです。せっかく善いことをしていながら、気分を悪くしてしまっては何か損をしたような気になってしまいます。
ではどんな心持ちでいれば気持ちよく善い行いが出来るのでしょうか。自分は拾う人(良いことをする人)、あの人はポイ捨てをする人(蒔いたタネの報いを受ける人)と客観的にとらえて、「この野郎!」と他人を責めないことです。他人を責める根本には「自分は正しい、あの人は間違っている」という考えがあります。「自分だけが正しい」という思い込み、信じ込みはいろんな場面で人とぶつかる原因となります。自分でも気が付かないところで他人に迷惑をかけていることが多々あります。必要もないのに車でドライブして排ガスで大気を汚したり、過剰包装でプラごみを量産したり、機嫌の悪い雰囲気を漂わせて周囲の人に気を遣わせたり、他人から見たら眉をひそめるような行為を自分では気付かずにやっていることも多々あるのです。
自分だけが正しいのではない。又、自分の気付かないところで周囲の人に迷惑をかけているかもしれないなと思えれば、善いことをしても奢らず、謙虚に善が出来るのではないでしょうか。
通信Vol.227(2023年4月)
今年は桜の開花が全国的に早いようで、高山祭の頃には散ってしまいそうな勢いですね。桜が咲く時期に寒の戻りがあって桜の花も長持ちするので今は寒くても我慢したいと思います。
今回はビジネスマナーについてお話をしたいと思います。マナー研修と言えば、皆さんも若かりし頃1度や2度受けたことがあるかもしれません。しかし社会人を20年、30年とやってくるとビジネスマナーについて、改めて学ぶ機会や誰かが注意してくれると言う場面が極端に少なくなってきます。基本的なマナーが身に付いている人はそれでも良いのですが、間違ったマナーを身に付けたままそれを使っていると「あの人はあの歳でマナーも出来ていない。」ということになりかねません。メールや電話、対峙会話等色んな場面がありますが今回は会話やメール、ラインで使う言葉について考えてみたいと思います。
初対面の人や、お客さん、職場の上司に対して誤った敬語と、正しい敬語の違いについて確認してみましょう。
(誤)「○○さんが申された」「○○さんが言われた」「申す」は謙譲語 (正)「○○さんがおっしゃった」
(誤)「見られましたか」「ご覧になられましたか」「ご覧になられましたか」は二重敬語 (正)「ご覧になりましたか」「ご覧いただけましたか」
(正)「承知しました」「かしこまりました」
(誤)「○○してください」「頼みます」丁寧な命令ではなく→依頼文に (正)「○○していただけますか」「お願いできますか」
(誤)「お食べになられましたか」 食べる→召し上がる (正)「召し上がりましたか」二重敬語になるので「召し上がられましたか 」とは言 わない。
(誤)「そちらに行きます」自分の行動を相手に伝える時は謙譲語を使う (正)「そちらに伺います」
(誤)社外の人に「うちの○○部長が申しておりました」 (正)「部長の○○が申しておりました」 ○○課長、○○部長と名前の後に役職を付けて呼ぶのは敬称(社外の人に身内の 敬称は使わない。 |
いかがですか、正しい敬語が使えていますか?
正しい敬語を使うのは基本ではありますが、根本的には相手に対して敬意を持って接しているかが大切になります。どんな丁寧な言葉を使っていても相手を見下していれば、それは相手に伝わります。
逆に相手に敬意を持って接していれば、多少言葉が間違っていても失礼な人とは思われないでしょう。人の心は行動や言葉の端々に現れますので、心の持ち方にも気を付けましょう。
通信Vol.226(2023年3月)
今朝、庭の片隅で福寿草が芽吹いているのを見つけました。春はもうすぐそこまで来ていますね。
今回、性格は変えられるのかということについて、お話したいと思います。
皆さんは自分の性格をどのように認識していますか?自分の性格は几帳面だ。おおざっぱだ。楽観的だ。等々色々あると思います。また多くの人は性格は持って生まれたものだから変わらないとか○○年生きてきたこの性格は変わらないと思っている人も多いと思います。実際に「あの人の性格は今更変わらないよ。」という話もよく聞かれます。
本当に人の性格は持って生まれたもので、死ぬまで変わらないのでしょうか。もし持って生まれた性格が変わらないとしたら、頑固な人は赤ちゃんの時から頑固だし、楽天的な人は戦時下で捕虜になっても楽天的ということになります。心理学者のアルフレッド・アドラーは「人間は死ぬ2~3日前までライフスタイル(性格)は変えられる」と言っています。
もし自分の性格は変わらないと言い張る人は、自分の性格を変えたくない、もしくは変わることが怖い、変える努力をしたくないという気持ちの現れではないでしょうか。実際に自分を変えたくないという人が多いのもわかります。人は太古の昔から生命維持の方法を無意識に獲得してきました。原始時代は、昨日と違う土地へ出向いて行って狩りをすれば、思わぬ猛獣に襲われたり、がけから落ちて生命を落とす危険もあったわけです。又今まで食べたこともない物を食べて食中毒を起こすリスクもあります。昨日までのやり方、生き方を守ることによって今日の安全を担保して子孫を残してきました。人間本来の生命維持機能によって人類の種の保存がなされてきたわけです。
ですから自分のライフスタイル(性格)を変えたくないという人の気持ちもよくわかります。しかし、現代はいろんな意味で命の担保ができています。知らない土地へ行っても、未開のジャングルや山奥へ行かない限り、いきなり襲ってくる猛獣や命を落とす底なし沼はありません。日本国内でしたら夜中に出歩いても余程のことが無い限り命を奪われるようなことはありません。ですから自分のライフスタイルを変える環境は整っているわけです。
ここでライフスタイル(性格)を変えないことのリスクについて触れてみたいと思います。よく宝くじの高額当選者が自己破産をしたというような話を聞いたことがあるとおもいます。数億円というような高額当選者には、みずほ銀行の応接室で「高額当選をして、そのお金で失敗しない方法」というような冊子を渡されるらしいです。(周囲に高額当選者がいないので真偽の程は定かでありませんが)
宝くじで高額当選をしながら、かなりの割合の人が不幸な結末を招いているということですね。人はそれぞれ収入に応じて収入に見合ったライフスタイル(性格)を持っていて、その環境に安心感を得ているということなのです。ですから年収100万円の人がいきなり宝くじで3億円の収入を得て、無意識に100万円レベルまで散財するスイッチが入るということなんです。ライフスタイル(性格)を変えない限り、現在の生活レベルも身に着く品格も持ち物さえも変わらないというリスクがあります。
これをリスクと思わない人は、今のままで良いと思います。変わらないという選択は決して悪いことではありませんし、誰かから非難されるものでもありません。
もし貴方が現在のライフスタイル(性格)を変えてステップアップしたいと思うのならば、今からでも間に合います。自分がライフスタイル(性格)を変えるという明確な意思があれば可能です。40年生きて来たからこのライフスタイル(性格)は変えられないというような言い訳を変われなかった時の保険にしなければ、人は何歳になっても変われるし人生を変えるのに遅すぎるということはありません。
通信Vol.225(2023年2月)
日に日に日没が遅くなって、春の足音が聞こえてきそうな今日この頃です。
今回は、心療内科医が書いた本『我慢して生きるほど人生は長くない』(鈴木裕介著アスコム)を紹介したいと思います。
貴方が誰かに自尊心を傷つけられて嫌な思いをしたことが度々あるとしたら、自分と相手の境界が曖昧である可能性があると著者は言っています。境界とは自分と相手を分ける境ということですが、土地の境界や国境のように目に見えるものではありませんから意識しないと気付かないかも知れません。
自分の境界を侵害してくる人というのは、例えばこんな事を言ってくる人です。
「社会人として○○するのは当たりまえだ。」
「いい歳して○○するのは、みっともない。」
「男(女)のくせに、○○するなんて恥ずかしい。」
「俺の言うことが聞けないのか。」
「私が○○なのは、あなたのせいだ。」
「つかえないやつだ。」
「才能がない。」
「あなたは仕事が出来ない人ね。」
「あなたでなくても、会社はまわる。」
「子供は親の言う事を聞くのが当たり前でしょ。」
「どうして私を大切にしてくれないの。」
「あれほど口酸っぱく言っているのに、どうして報告をしないんだ。」
といった言葉で、自分の価値観で貴方をジャッジして、貴方の領域に土足で踏込み、貴方をコントロールしようとしてくる行為を、この本ではラインオーバー(境界を侵害)してくる人と呼んでいます。自分でコントロールできることは自分の領域、自分でコントロールできないことを他人の領域と言いますが、この区別が出来ずに他人の領域に踏み込んでくる人が身近にいる環境で、自分自身が自分の境界を守れないと心が疲弊してきます。
自分の家でも知り合いが家の中に上がりこんで居座った時に、近しい相手であればあるほど「出て行ってくれ」とは言いにくいのではないでしょうか。それと同じように近しい人が親切者の顔をして自分の領域に踏み込んできて「あなたは○○するべきだよ。」「絶対別れたほうが良いよ。」などと頼んでもいないアドバイスをしてきた時に、「放っておいて。」とは言いにくいのではないでしょうか。もしあなたが「私の問題だから、そっとしておいて欲しい。」と相手に言えるのであれば、境界を守れていると言えるでしょう。
著者は、こういうラインオーバーしてくる相手を遠ざける方法を3つのステップに分けて紹介しています。
具体的な方法が知りたい方は、是非本を読んでみてください。(ブライト図書館で貸し出ししています)