通信Vol.212(2022年1月)

今年は積雪の多さにうんざりしている人も多いのではないでしょうか。2年前、3年前の雪の少なさから「温暖化で飛騨も雪が降らなくなった」なんて話をしていましたが、今年はそんな浅はかな期待を裏切る雪の多さです。とはいっても春には雪も全部溶けて無くなるんですけどね。

 

今回は「自分で決めることの大切さ」についてお話ししたいと思います。

皆さんはどんな時に「自分で決める」という意思をもって行動していますか?

レストランに行ってメニューを見てほかの人や店員さんに「私何を食べたらいいですか?」なんて聞く人はいないと思いますが、日常生活では「私どうしたらいいですか?」という場面がよく見られます。たとえば、新しい職場で仕事を教えてもらうときに自分でやってみてわからないことを聞くならまだしも、最初から全部教えてもらうつもりの人もたまに見られます。「何をしたらいいですか?」と聞くよりも「○○をやってもいいですか?」と聞かれた方が教える方の負担も減ります。「私聞いてません」「私習っていません」などど、先輩が自分の満足のいく方法で仕事を教えてくれないという事に腹を立て、相手を攻撃する目的で不満を言う人がありますが、仕事を教わる方は自分ですべきことを考え、上司や先輩に行動に移す許可を得る姿勢の方が仕事に対する満足感も充実感も得られます。

 

学術的にはこんな研究データがあります。神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授は、国内2万人に対するアンケート調査の結果、所得、学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていることを明らかにしました。

高学歴であるとか、高収入で得られる幸福感よりも、自己決定による幸福感の方が高いという実験結果です。

 

自己決定とは自分で決めて自分で行動するということです。

「夫に相談しないと決められない」「妻に相談しないと決められない」「親に相談しないと・・・」「彼氏に相談しないと・・・」という他者依存から脱却して「自分の人生を自分で決める」ということが幸福度を上げるカギという事です。もちろん家族に無断で決めることのリスクがあるなら「私はこうしたいんだけど応援してくれる?」という事前の相談は大切かもしれません。

自己決定をすると、たとえその結果失敗しても幸福度はさがらないという研究データもあります。他人に指示されて失敗するのと、自己決定して失敗するのでは同じ失敗でも、感じ方が違うということです。自分で選択して失敗しても自分が選んだ道だからと納得がいきますが、他人に言われて選んだ失敗はいつまでもくすぶり続けます。

 

幼稚園に通う子供でも自己決定をしています。「これ嫌い」「もっと遊びたい」「この人が好き」など本能に従って決定していたものが、大人になると同時に常識や良識、他人の目を気にしながら他者の決定に従った方が、面倒なことに巻き込まれなくて済むという学習を重ねていき、自己決定しなくなっていきます。自己決定は、確かに負荷がかかるのでやりたがらない人が多いのですが、これをやることが自分の幸福感を上げるカギになりそうです。

 

通信Vol.211(2021年12月)

先日ZOZOタウンの創業者の前澤友作氏がロケットに乗って宇宙へ旅立つ動画が中継されていましたが、海外旅行に行く感覚で宇宙へ行く時代がもうじき来るのかもしれませんね。

 

 今回は何事にも表(メリット)と裏(デメリット)があるというお話をしたいと思います。

 先日ある人から、人生のどんなつらい体験でも必ずその出来事が起こったことでメリットを得られているはずという話を聞きました。

 東日本大震災津波で家族も家も失ってしまった人も何かしらのメリットを手にしているということです。逆に人がうらやましがるような出来事にも影の部分があります。宝くじに当たった人が、浪費癖がついて数年で破産してしまったというような話を聞いたことがあるでしょう。

 コインに表と裏があるように、どんな出来事にも表と裏が必ずあります。中国の故事に「塞翁が馬」という話があります。次のような話です。

「中国の北のほうにお城がありました。そこに住むおじいさんの馬が、ある日逃げ出してしまったのです。逃げ出したことを知った近所の人々は、おじいさんを慰めました。

しかし、おじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」とあまり気に留めていませんでした。しばらく経ってから、なんと逃げた馬が戻ってきました。しかも、たくさんの馬を連れて戻ってきたのです。

近所の人々は喜びましたが、おじいさんは「このことが禍(わざわい)になるかもしれないよ」と言うのです。しばらくすると、おじいさんの息子がその馬から落ちて怪我をしてしまったのです。

近所の人々がお見舞いに行くと老人は「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」と言いました。

やがて戦争が起き、この城も戦争に巻き込まれてしまいました。しかしおじいさんの息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに済みました。」

この故事は人生何があるか分からないから、良いことが起きて浮かれたり、悪いことが起きてもクヨクヨするなよ、ととらえる人も多いと思います。今回はもう少し踏み込んで、物事の表と裏ということについて考えてみたいと思います。

 最初に、飼っていた馬が逃げたという事と、仲間の馬を連れて帰ってきたという事は、プラスとマイナスというふうに見えます。しかし、馬が逃げた直後にはそんな風には思えないですし、実際に仲間の馬を連れて帰って来るまでにタイムラグ(時間のずれ)があります。息子が落馬して怪我をした時もすぐには嘆く必要がないとは思えないでしょう。実際に戦争が始まって、周りの若者がどんどん戦争に出かけて、亡くなったり怪我をしたりするのを見て初めて落馬で怪我をしたことが幸いに転じたと思えるのでしょう。時間差はありますが、必ず物事には表と裏があることが分かります。

 以前派遣スタッフとして活躍してくれたTさん、現在は飲食業を経営されています。先日Tさんと話していた時のことです。Tさんは「私は優柔不断なんですよ」と打ち明けてくれました。優柔不断の反面は何だろうと考えてみました。私は「優柔不断ということは、他人に合わせて柔軟に対応できるってことじゃない?」と尋ねると、「確かにその通り」という返事が返ってきました。他人に合わせて柔軟な対応が出来るということは、接客を伴う仕事には重要な成功要因です。マイナス面だけを見ると「優柔不断」ですが、それが成功の要因になっていたということです。短気な人は何でもすぐに取り掛かれる人、怒りっぽい人は正義感の強い人、いい加減な人は他人に対しておおらかな人、他人の悪口を言う人はそれだけ他人のことを気にかけている人、というように物事には必ず表裏の両面があります。人生を楽しく生きている人は物事の表を見つけるのが上手な人、人生が辛い人は知らず知らず物事の裏面を探して見ている人と言えるかもしれません。

通信Vol.210(2021年11月)

紅葉も散り始めて、いよいよ冬に向けての準備に取り掛からないといけないですね。雪囲いをしながら、今年の冬は雪が降るのかな?なんてことを考えています。

今回は、人生を楽に生きるための自分の価値基準について一緒に考えてみたいと思います。

貴方は自分の価値をどのように見出していますか?

自分の価値を決めるのに「他者基準」と「自分基準」というものがあります。

 

まず「他者基準」とは

・お客さんから「貴方と話すと楽しいわ」と言われるのがやりがいだ。

・上司から(あるいは部下から)「仕事ができるね」とか「いつも頼りにしてます」と言われて嬉しい。

・親から「あなたはいい子ね」と言われて育ったことが自慢だ。

・「いつも素敵ですね」と他人から褒められることが自慢だ。

・大切な人から「大好きだ」「愛している」と言われることが至福だ。

・目標を達成したことを皆に褒められてテンションアゲアゲ↑↑↑

・子供から「自慢のお母さん(お父さん)」と言われるためにおしゃれをしている。

・学校の先生から褒められてやる気が出た。

等々他人の評価を基に自分の価値を決めていくことです。

 

対して「自分基準」とは

・自分の接客にお客さんも満足してくれていると思う。

・自分の仕事ぶりが職場の上司(部下)の役に立てていると思う。

・親の期待にも応えたいが、自分の人生は親のためにあるわけじゃない。

・他人の目を意識して、身だしなみには最大限気を付けている(どう思われるかは相手の都合だ

から気にしていない)

・「大好き」「愛してる」という気持ちを大切にしている。相手からのリアクションがあれば嬉しい。

・目標を達成したことで達成感を感じる。

・子供から見られて恥ずかしくないように仕事を頑張ったり、おしゃれをしている。 「自慢の・・・」と

 言われるかはわからないけど。

・学校の先生から褒められても褒められなくても、自分の価値は自分で決めると決めている。

等々自分の価値を自分で決めていくということです。他者からの評価を聞かないという事ではなく

て、過剰に気にしないということです。

 

「他人基準」と「自分基準」どちらの基準で自分の価値を決めたいと思いますか?

「他人基準」で自分の価値を決めていると、他人の評価に一喜一憂するようになります。他人の顔色をうかがったり、自分の心の安定を他人にゆだねるようになって「どうして○○してくれないの!」と他人を責める気持ちが生まれてきます。また自分を褒めてくれる人は良い人、褒めない人は悪い人と、自分への対応で相手を判断するようになってきます。

「自分基準」は一見自己満足で独りよがりなように見えますが、他人の価値観に左右されない自分の価値基準で自分を評価するので、心に安定感が生まれます。

他人の価値観に左右される人生と、自分の価値を自分で決める人生。

あなたならどちらの人生を生きたら楽しく生きられそうですか?

通信Vol.209(2021年10月)

稲刈りもすすみ、秋もどんどん深まってきました。秋の夜長は何をして過ごしていますか?僕はもっぱら読書や、YouTubeを観ながら、犬猫とまったりと過ごしています。

 

今回は仕事、人間関係、お金回りと何をやっても上手くいく人と、何をやっても行き詰ってしまう人、上手くいかない人の脳の使い方の違いについてお話ししたいと思います。

これは精神論、根性論とは違って医学的、科学的に裏付けのある話ですので、何度も読んでいただきたいと思います。

人間の思考回路は大きく分けて2パターンあります。一つは「苦痛系回路」ともう一つは「報酬系回路」です。

「苦痛系回路」とは「~しなきゃ」という義務感、強迫観念で行動を起こすことで、精神的苦痛やプレッシャーを伴います。「この仕事をやらないと大変なことになる」「これをやらないとお母さんに叱られる」「この試験に受からないと希望の○○大学に入れない」などの思考で行動を起こす場合です。

それに対して「報酬系回路」とは「この目標を達成したら幸せを感じる」「これをやってお母さんを喜ばせたい」「この試験に合格して希望の大学で〇〇を学びたい」という思考で行動を起こす場合です。

報酬系回路」が働くと脳内でオキシトシン(愛情ホルモン、ストレス緩和作用)、βエンドルフィン(脳内麻薬、鎮痛作用)、セロトニン(幸せホルモン、精神安定作用)、ドーパミン(やる気、学習能力向上)などの脳内物質が分泌されるといいます。

反対に「苦痛系回路」が働くと、ノルアドレナリン(戦闘モード、イライラ)、コルチロイド(記憶の更新に作用)、テストステロン(男性ホルモン、抜け毛)、コルチゾール(低体温、代謝が落ちる)などのホルモンが分泌されます。

自分が物事を考えたり、行動を起こすときには「報酬系回路」で思考すると脳も体も運気も良い方向へ働きます。そのためには自分が「苦痛系回路」で物事を考えているのか、「報酬系回路」で考えているのかを振り返ってみる必要があります。それは自分自身に問いかけることでわかります。「この行動を起こすのは何故?」「どうしてこれをやるの?」「何の目的でこれをやるの?」という問いかけをしていくと、色々な問題の本質が見えてきます。

僕の場合で考えると、朝起きる時に「起きて犬の散歩に行かないといけない」と思って起きることが多いのですが、この考えを因数分解すると「そもそもどうして犬の散歩に行くの?」という問題があって、「苦痛系回路」で考えると「飼い犬の散歩は飼い主の義務」とか「室内でそそうをさせない為」となるのですが、「報酬系回路」で考えて「この時間に散歩に行けば外でオシッコとウンチが出来て気持ちいいだろうな」、「散歩に行ったら喜ぶだろうな」、「愛犬の喜ぶ顔を見たいな」という動機付けをします。

食事に気を付けている人もいると思いますが、「これを食べると体に良くない」「この栄養素の食材を摂らないと病気になる」という「苦痛系回路動」の動機付けは、逆に病気を誘引する考え方です。では「報酬系回路」で考えるとどうなるでしょう。「これは体にいい食べ物だ」「これを食べないことでもっと健康になる」といった動機付けになります。

もちろん思考をすべて「報酬系回路」にすることは難しいかもしれません、お金の計算をするときには、どうしても「間違えないように」「ミスの無いように」という思考になります。自分の脳内で自己と対話をしながら、「どうしてそういう思考をしているのか」にスポットを当てながら思考パターンを変えていくと、物事が良い方向に進んでいきます。

通信Vol.208(2021年9月)

今年の夏は雨の量も多いし、気温も低かったと感じているのは僕だけでしょうか?寝るときにエアコンをつけた記憶が7月以降無いので寂しさを感じます。個人的には暑い夏が好きですが、もう雲も高くなって、季節は秋ですね。

 

前回、前々回と「因果の道理」(原因と結果の法則)についてお話ししましたが、今回も引き続き掘り下げてお話ししたいと思います。

「因果の道理」とは言葉を変えると「等価交換の法則」ということです。

他人に優しくしたら自分も優しくされる。他人に厳しくすれば、自分も厳しく評価される。誰かをいじめたら自分も誰かからいじめられる。煽れば煽られる。というのが「等価交換」ということです。

 世の中は自分が提供する価値と、周りから得られるものの価値のバランスが取れているということです。他人の不正を批判した数か月後に自分がやった不正で吊るしあげられるブーメラン効果なんていうのも、この「等価交換」です。自分が誰かに何かをしたときに、その相手から同じように返されたら「等価交換」も納得いきますが、ほとんどの場合が時間的・空間的に違うところから還って来るので「等価交換」が腑に落ちないことが多いのです。

 

 与えた後に得られたなら、分かりやすいですが、先に得てしまうことも良くあります。身分不相応に高い物をローンを組んで買った、他人を騙して金品を盗った、付き合いの浅い人から思いがけず高価なプレゼントをもらった、宝くじが当たった、等々です。そんな場合は後からそのツケを払う羽目になります。「等価交換」ですから、得たものと同等の損失や支出を後から強いられます。現状が得られているものの方が多いと思ったら、この先に失うものを心配する必要がありますから、手放しに喜ぶのは早計です。逆に今が与えているものの方が多いと感じているならば、今現在リターンがなくても、この先きっと期待以上のものを手にすることが出来るでしょう。

 

 人間関係においてはどうでしょうか。試しに他人の悪口を言い続けてみてください、間違いなく得られる等価は、自分が誰かに悪口を言われているのではないかという不安です。会社で同僚がコソコソ喋っているのを見て、たとえ実際は悪口を言われていなくても、自分が悪口を言われているんじゃないかと疑心暗鬼になります。実際、他人の悪口を言っている人が陰で悪口を言われている確率はかなり高いです。逆に陰で人を褒めることを続けてみてください。自分は皆に褒められていると思えてきます。まさに自分が与えているものと同等の評価を自分が得ることになるのです。

 

 他人に好かれる秘訣は自分から相手のことを好きになることです。こう言うと「簡単に他人を好きになれない」という人がいますが、「好き」というのは恋愛感情だけではありません。「この人は優しいところがあるな」、とか「かわいらしいところがあるな」とか「頑固なところが憎めないな」といった感じに、どこか一ケ所を好意的に見るということです。相手と付き合いたいとか結婚したいと思わなくても好意的に見ることは出来るのです。相手のことを好きになれば、少しは相手も自分を好いてくれます。心理学では「好意の返報性」と言われていますがこれも「等価交換」です。

 

 自分の言動や身の回りに起こる出来事における「等価交換」を意識するだけでも自分のおかれている環境や心持ちがガラリとかわります。

通信Vol.207(2021年8月)

 飛騨でも亜熱帯のような暑さを感じる昨今ですが、皆さんはどんな暑さ対策をしていますか?我が家では暑がりのワンコのために昼中リビングにエアコンをつけていますが、猫はどうも寒いらしくエアコンの冷気の行き届かない部屋や暑い二階に逃げています。人間にも動物にも快適な環境ってむつかしいですね。

 

 前回、因果の道理(原因と結果の法則)についてお話ししましたが、今回も引き続き掘り下げてお話ししたいと思います。

 自分が不幸な目に遭った時に誰かのせいにすることがあると思います。「母親のせいで自分の性悪が曲がってしまった。」「あの人のせいで自分がこんなに苦しい思いをしている。」「あの車が煽ってきたせいで自分が事故に遭った。」「あの人の言葉で自分は傷ついた。」等々。誰かのせいにすることで苦しみを和らげようとしているのですが、実はこの考えが苦しみを長引かせているのです。他人に自分の苦しみの原因を押し付けようとしても、相手は自分の思うような謝罪をしてくれなかったり、すでに亡くなってしまっていたりして、思うような心の安定を感じられない場合がほとんどです。万が一相手が謝罪してくれても、取り返しのつかないことに対しては怒りや憎しみがずっと火種のように残る場合があります。

 

ここで因果の道理について考えてみます。原因はどんな場合でも自分自身にあるというのが因果の道理です。たとえ生まれたての赤ちゃんに起こった出来事であっても、その原因は本人にあるという事です。つまり生まれてくる前の前世において何かしらの原因を作ってきたということですね。もちろん他人に害を及ぼす行為や犯罪行為は悪いことで、すべて自分の責任だから他の人は全く責任がないということではなくて、自分にとって幸不幸をもたらす他人は「縁」といって、種から実ができるまでに土や水や肥料、温度、日光といったものがかかわるように、自分の持っている種に応じた縁が向こうからやってくるのです。それは磁石に吸い寄せられるように自分の持っている種が「善い種」ならば「善い縁」が、「悪い種」ならば「悪い縁」が引き寄せられてきます。

 因果の道理を信じるか信じないかは人それぞれですが、ほとんどの人が信じて疑わないから、学校の勉強も自分の成績を上げるために一生懸命やるし、自分が不幸になるのが嫌だから犯罪を犯さないようにするのです。もし自分のやる行為や言う言葉と自分の運命が無関係だと信じているのならば、好き放題、言いたい放題やるでしょうが、そうしないのは大なり小なり因果の道理(原因と結果の法則)を信じているからなのです。

 

 話しを苦しみの原因に戻します。なぜ自分が不幸な目に遭った時に苦しむのかといえば、原因が分からないからです。自分が何者からか苦しめられているような気がするからです。

因果の道理を見ていくということは、自分の心の中を深く見つめていくということです。自分の種まき(本当の姿)が分かれば、色んな結果=運命が自分の作り出したものだと分かるはずです。原因が分からないと腹の立つことも、原因を知ると怒りも治まってくるものです。自分が作り出したものですから、自分が反省するより他に手だてが無いからです。いつまでも他人に対する怒りの火が消えない人は、少し立ち止まって自分の言行を見つめてみませんか?

 

通信Vol.206(2021年7月)

 梅雨明けも間もなくだとは思いますが、先日のテレビニュースで流れていた、熱海での土石流の映像は大変ショッキングな内容でしたね、日本は島国で国土が狭いのでどうしても傾斜地に家を建てるケースが多くなってしまいます。今回のように短時間で雨が降った時など今まで以上に、地盤のゆるみや避難指示などが出ていないかなど注意を払う必要がありそうですね。

 

 今回は怒りの行方についてお話したいと思います。

 貴方は誰かに嫌な言葉を浴びせられた時に、この人にいつか仕返しをしてやろうと思ったことはありませんか?

また、子供の頃上級生にこっぴどく締めつけられたから自分が上級生になった時に下級生を締めつけてやろうと思ったことはありませんか?

貴方が誰かに傷つけられたことを、関係のない他人にやって溜飲を下げる手法は、よくよく考えるとおかしなことです。たとえば自分のクルマを故意に傷つけた人がいたとします。自分がやられてムカついた事を、誰か関係のない人のクルマに傷をつけてスカッとしますか? もちろんやった相手が見つかれば、お灸をすえたくなりますが、相手のクルマを同じように傷つけるかといえば答えはNOです。そんなことをしたら自分が器物損壊罪で警察に捕まってしまいます。私なら保険や自腹で物理的な傷を治したら後は早く忘れたいです。

目に見える犯罪行為を例に挙げると、やられたらやり返すことが如何に間違ったことか分かりますが、実際に自分が被害に遭うと、理性が吹っ飛んでしまい相手を思いっきり懲らしめたくなります。

人間関係で考えてみるとどうでしょう。誰かから嫌な言葉を言われたり、冷たい態度をとられたりして落ち込むこともあると思います。こんな時こそ何とかして相手をやり込めたいと思う気持ちが出てきませんか?

東野圭吾の小説「さまよう刃」は高校生の娘を殺された主人公長峰重樹が犯人の不良少年たちを、探し出し惨殺していくという話で、私も娘を持つ父親として、気持ちは共感できる部分が多々ありました。実際に家族を殺された遺族が「自分の手で犯人を殺してやりたい」という言葉を聞くと胸が締めつけられるような気分になります。

宗教によっては「目には目を、歯には歯を」などと報復を良しとするものもありますが、日本人の根底に流れる仏教にはどのように教えられているのでしょうか。

「善因善果 悪因悪果 自因自果」と言われ、良いことも悪いことも自分が行った行為は全て自分に返ってくると言われます。誰かが悪人を罰しなくても、その報いは必ず本人に返ってくるということです。悪いことをしている人を見てイライラするのは、誰かがその人を罰しなければいけないとか、許されるべきじゃないと思うから、直接手を下せない自分にイライラするのではないでしょうか。もし自分がその相手を警察官のように取り締まることが出来たらスカッとします。しかしほとんどの人は「許せない」と思っても、罰せられない悪人を見て怒りの矛先をどこに向けたら良いのかわからず悶々とするのでしょう。仏教の教えによれば、自分が裁きを下さなくても悪いことをした人には必ず報いがやってきますから、自分の問題にする必要がないのです。それどころか自分が誰かを憎むことによって、その悪い思い(悪因)の結果を自分が受けるようになるのですから気を付けなければいけません。