通信Vol.173(2018年10月)

今年は夏の酷暑の後は、豪雨災害、台風と自然の猛威に翻弄される年ですね。
今回は「安心感」というテーマでお話ししたいと思います。
あなたは、どんな時に安心感を感じますか?安心感とは何かに包まれている感覚、何かに守られている感覚で、根拠のないものです。私達は幼児期に、母親や父親に守られ(それ以外の大人の場合もありますが)育ちます。色んな事象から、あるいは人から、動物から、自然から守られています。ほとんどの動物は生まれて直ぐに自分で歩いたり泳いだり出来ますが、人間だけは、生まれてから自分の手足を使って移動出来るようになるまでに、1年以上もかかります。自然界の常識でいったら、人間の赤ん坊は超無防備な存在です。
生まれてから一定期間、誰かの助け無しでは生存すら不可能なのです。
この生命体として非常に弱い人間が、段々と成長していくに従い身体も心も成熟していきます。この心身が成熟していく過程で、安心感というのがとても大切になってきます。
親や親代わりの人が子供に安心感を与えるというのと、外的要因から守るというのとは意味合いが違うのですが、ここを混同してしまうとせっかく子供の心に自立心が芽生え始めたのに、芽を摘んでしまうことになります。
安心感というのは、例えば道に迷ったり、転んで怪我をしても最終的には見守ってくれている誰かがいることで得られる感覚です。子供が自分で道を探したり、怪我をして泣きながら自分の足で立って歩き始めるのを、親はそっと見守りながら子供の自立を信じることが必要です。子供のことが信じられないといつまでも干渉したり、面倒を見すぎてしまいます。子供を守ると言いながら子供のことを信用できていないのです。

子供が家庭から出て学校や社会に出ていくということは、一人で色々考えながら世の中を渡っていくということです。たとえ保育園児であっても、家庭から出れば一個人としてのプライドを持って他人と渡り合っていくのです。親が子供のことを信じて手や口を出さないことが子供にも伝わって、自立心が芽生えます。子供が何をしていても無関心というのと、見守りながら口を出さないというのは、一見同じように見えるかもしれませんが、親の気持ちは子供に伝わりますから、親が見守ってくれていれば子供は必ず独り立ちをしていきます。

子供の頃に安心感のある環境で育つと、安心感を持った大人になりますが、残念ながら安心感を持てずに大人になってしまったらどうしたらよいのでしょう。安心感を与えてくれるはずの親も他界してしまっていたら・・・ そんな人でも大丈夫、遅すぎることはありません。自分の中に、自分を見守って「大丈夫!」と背中を押してくれるもう一人の自分を作れば良いのです。天才バカボン赤塚不二夫のマンガ)に出てくるバカボンのパパはどんなことがあっても、最後は「これでいいのだ!」で締めくくります。どんな過程があっても全ては必要必然、最後は「オールOK!」ということです。

皆さんも一日の最後に呟いてみましょう「これでいいのだ!」