通信Vol.180(2019年5月)

元号が昭和から平成に変ったときは、昭和天皇崩御と共でしたから、すべてが自粛ムードでしたが、今回は生前退位ということで、お祝いムードで世の中が沸いていましたbね、こんな体験は二度と出来ないのではないでしょうか。

今回は仏教で教えられている「因果の道理」ということについてお話ししてみたいと思います。
因とは原因の因、果とは結果の果、道理とは宇宙の真理ということで、物事には原因と結果が密接に関係していて、その法則は宇宙のどこへ行っても、いつの時代でも成り立つ法則であるということが「因果の道理」ということです。

ここでいう原因とは、私たちが心で思ったり、口で言ったり、身体で行う行為ということです。身口意(いんくい)の三業(さんごう)と言われ、身体の振舞い=身業、口でしゃべる事=口業、心で思うこと=意業(いごう)が原因となって、私たちの結果(運命)を作っていると言われます。

その原因と結果の関係について次のように教えられています。「善因善果、悪因悪果、自因自果」「良い行いをすれば良い運命になり、悪いことをすれば悪い運命になり、自分の行いが全て自分の運命を決める」と教えられます。

分かりやすく言えば、「大根の種を蒔けば大根が出来る」、「スイカの種を蒔けばスイカが出来る」、「お酒を飲めば自分が酔っぱらう」ということです。原因と結果の関係が直接的な場合は等流因等流果(とうるいんとうるか)と言われ、分かりやすいのですが、ほとんどの場合が「誰かの悪口を言ったら財布を落とした」等のように、原因と結果が直接結びつかない、異熟因異熟果(いじゅくいんいじゅくか)と言われる場合です。因果の道理を分かりにくくしている一つの要因です。
もう一つ分かりにくくしている要因は、過去、現在、未来にわたって原因と結果の法則が成り立っているということです。今月一生懸命頑張ったのに給料は先月と同じ、その次の月も頑張ったのに給料が変わらず、又次の月も、又次の月も・・・となると大抵の人は嫌になって仕事を辞めてしまいがちですが、蒔いた種は必ず生えますから、やがて利子がついて大きな結果となって返ってきます。また今理不尽な境遇に置かれて天を恨んでいるのは、過去(世)に自分がどんな種を蒔いてきたかを知らないからです。
上司の目を盗んで仕事をサボって、バレずに今は良い目をみても、結果は嘘をつきません、やがて自分が苦しむ結果になります。また、ぜんぜん苦労知らずで、恵まれすぎた生活を送っている人は過去に良い種をうんと蒔いてきたのかも知れません。ですから他人の環境と自分の環境を比べてうらやんだり、妬ましく思うこと自体が意味のないことだとわかると思います。
ほとんどの人が因果の道理を信じられずに、目の前に現れる結果に右往左往してしまいます。因果の道理を深く信じることが出来れば、色んな事に不必要な腹を立てずに済みます。他人の悪い種まきは誰も罰しなくても、その人に悪い結果をもたらします。他人の悪い行いを見て、自分が腹を立ててわざわざ自分が悪い種を蒔く必要はありません。自分はひたすら良いことを思い、良いことを話し、良い行いをすることに徹すれば心も穏やかに過ごせるのではないでしょうか。