通信Vol.213(2022年2月)

日に日に日差しが強くなり、春の足音が聞こえてきそうです。雪が解けるようすを見ていると、何だかワクワクしてきますね。

 

今回は前回に続き「自分で決めることの大切さ」について続いてお話ししたいと思います。

自分で決めることによって幸福度が上がるというお話をしましたが、物事を自分で決断しているんだという意識が大切です。私たちは毎日小さな決断を繰り返していますが、いちいち自分で決断したという自覚は無いかもしれません。どんな服を着て出かけるか、昼ご飯は何を食べるのか、何時まで仕事をするのか、どんな化粧をするか、どの道を通って目的地へ行こうか、知らず知らずのうちに小さな決断をしています。「優柔不断なんですー」という人でも、昼ご飯に何を食べるか決められずに夕方になってしまったなんて人は居ません。

 

自分の行動をよくよく分析してみると、他人にされていることも根本的には自分で決断している事ばかりです。学校や職場でいじめに遭ったとしても、相手からの悪意のある言葉を受け止めると決めているのは自分です。目の前にいる人が貴方に罵詈雑言をあびせたとしても、自分が「受け取らない」と決めてしまえば、落ち込むことはありません。私が以前、名古屋市内の公園を歩いていたら突然ホームレスの男性に絡まれ「コノヤロー、バカヤロー、ふざけんなてめー」と罵られたことがありましたが、「おかしな人がいるな」と思っただけで、全く気にもなりませんでした。他人から罵られるという状況でも、誰が罵るかで受け取り方が全く違います。逆を返せば自分で「誰の何を受けとるか」を決めているという事なんです。

おかしなことを言う人がいても、自分は「受け取らない」と決めてしまえば、苦しまずに済みます。週刊誌やインターネットで誹謗中傷されても、自分が受け取らないと決めたら、苦しみませんが、わざわざ読みに行って傷ついている人が殆どです。直接酷いことを言われて傷ついたとしても、自分が「忘れる」という決断をすれば、次の日には元気になります。相手の言葉で「傷ついている自分を演じる」と決めているのは自分です。

「演じる」と言いましたが、アドラー心理学によれば全ての行動には目的があるといわれています。つまり同情をかったり、注目を集めるために「傷ついている可哀そうな自分」を演じているということです。その証拠に、無人島に一人で暮らしていて、孤独感に打ちひしがれる人は居ないでしょう。無人島に一人ということは、これ以上孤独なことはありませんが、その様子を見せて同情をかう相手がいなければ、孤独感を漂わせる必要が無いということです。

 

話を元に戻しましょう。嫌な仕事もその職場を選んだのは自分です。夫のDVに苦しむ女性も、DV夫を選んで一緒に住んでいるのは自分です。ニュース報道を見て不愉快になる人は、自分でテレビを見て(消す自由、見ない自由があるにもかかわらず)不愉快になるという選択肢を選んでいます。嫌いな人の言葉に嫌悪感を抱くのも、自分が選び取って心に留めているのが原因です。

 

愚痴を言いそうになったら、何を自分で決めたからこんな状況になっているのか考えてみてください。誰かのせいで自分が苦しんでいる、誰かに苦しめられていると思うと愚痴が出てきますが、そんな時は「自分で決めたことだから」と呟いてみてください。魔法の呪文のように愚痴がスーッと消えていきますよ。