通信Vol.107(2013年4月)

 会社の前の緑地公園の桜もほころび始めましたが、最近の冷え込みで開花も一時停止がかかったようになっています。高山祭が終わった頃に満開を迎えそうです。
 
 今回は「勉強(学習)」について考えてみたいと思います。

勉強は子供のころから大嫌いという人もいると思います。勉強と聞くと、何か難しいことを覚えなくてはいけないとか、頭を使って何かを計算しなければいけないと思ってしまいますが、机に座って数学や英会話を学ぶばかりが勉強ではありません。

 頭脳を使って何かを考えるということが勉強と定義づけると、マージャンやパチンコで如何に勝つかをデータ分析しながら必死で考えるのも勉強でしょうし、テレビゲームや携帯電話のゲームで如何に高得点を獲得するかを考えるのも勉強でしょう。

 要は頭脳を使って、何かを達成することに意味があると言えるのではないでしょうか?

 私たちは生きていると何かしら障害にぶつかります。障害にぶつかるとどうにかしてそれを乗り越えようと努力をします。一つ例をあげると、鉄棒で逆上がりが出来ずに苦しんでいる子供がいるとします。この子供は何度やっても逆上がりが出来ません。毎日毎日、放課後のグランドで練習をしています。2週間ほど練習をしていたらフッとしたきっかけで逆上がりが成功し、その後は何回やっても逆上がりが出来るようになりました。このような経験がある人も多いのではないでしょうか?

これと同じことが日々の私たちの頭の中で起きています。

 昨日まで悩んでも解決しなかったことが急に解決したり、いままで難しいと思って出来なかった仕事がいつの間にか出来るようになっていたりする経験は誰でもあると思います。脳が学習している証拠です。

 英語の学習教材で「聞き流す英会話」なんていうのがありますが、あれも同じ理屈なのだと思います。毎日毎日英語を聴いているうちに、無意識下で英語を聴きとる能力が養われるのでしょう。

 こうして考えると人間の脳は何歳になっても学習し続けられるのではないかと思えます。以前テレビ番組で、70歳を超えた個人タクシーの運転手さんの海馬(脳の中で記憶を司る部分)が年々成長しているというのを見たことがあります。タクシーの運転手さんというのは、道を覚えるだけでなく、お客さんとの会話のネタも仕入れなければいけませんから、新聞やテレビをよく見て時事ネタを頭に入れておくらしいのです。そんな刺激が毎日あったら脳はボケる暇なんてないかもしれませんね。

 最近、月曜日から金曜日までデイサービスに出かける母の背中を見ながら、何か生活の張りになる仕事を持たせてあげたいと感じる今日この頃です。