通信Vol.228(2023年5月)

乗鞍の雪も大分融け、地肌が見えてきました。田植えもどんどん進んでいるようです。山々の新緑も眩しいですね、私はこの時期が一年で一番好きです。

 

今回は「善いことをすると悪人になる。」という話をしたいと思います。

え?善いことをすると善人になるんじゃないの?と思った貴方の感覚は間違っていないと思います。何故なら善いことをする目的は、自分が蒔いたタネが自分に還ってくると信じているからでしょうから。他人に親切にすれば相手から感謝されて、自分にも善いことが回ってくると思うでしょう。逆に悪いことをすれば、捕まって刑務所に入れられたり、他人から批判されると思うから行為自体をひかえるでしょう。これ自体は「因果の道理」といって宇宙の法則のようなものですから、誰も否定は出来ないと思います。

 しかし、貴方にはこんな経験がありませんか?道端の吸い殻を拾い集めていた貴方の傍を走りさる車からタバコの吸い殻がポイ捨てされてイラっとした。自分や周囲の人の健康を考えて禁煙していたら、居酒屋で横に座った人がタバコをスパスパ吸ってとても気分が悪かった。高速道路を法定速度で安全に走っていたら、猛スピードのクルマが追い抜いていって腹が立った。コロナ感染対策でマスクをしてコンビニに入ったら、マスクをせずにお店に入ってきた人がいて気分が悪かった。自分は会社で朝の挨拶を特に気を付けて大きな声でやっているが、挨拶を返さない人がいて腹が立つ等々。

 自分は善いことをしているつもりだけれど、ついつい他人にも自分と同じことを求めてしまい、それが出来ていないと腹が立つというのはよく聞く話です。

善いことをするのは、誰から見ても価値ある行動なのに、心の中がモヤモヤしたという経験が誰にでもあるのではないでしょうか。「善いことをすると悪人になる。」というのはこんな時です。どこでどう間違えたらこんなことになるのか検証したいと思います。

道路の吸い殻を拾うという行為は、誰にでも出来るものではありませんから、その行為自体は全く間違ったことでは無いどころか賞賛されるべき行為です。

その傍らを走っていた車の運転手が吸い殻をポイ捨てしたのは、悪い行為ですから誰が罰しなくても、その行為の本人に悪い結果(運命)が還るというのは宇宙の法則から見ても間違いないでしょう。

 ところが、「吸い殻を拾っている私の横でポイ捨てをするとは何事か!」という○○警察のような私の心が自身をイラっとさせるのです。せっかく善いことをしていながら、気分を悪くしてしまっては何か損をしたような気になってしまいます。

ではどんな心持ちでいれば気持ちよく善い行いが出来るのでしょうか。自分は拾う人(良いことをする人)、あの人はポイ捨てをする人(蒔いたタネの報いを受ける人)と客観的にとらえて、「この野郎!」と他人を責めないことです。他人を責める根本には「自分は正しい、あの人は間違っている」という考えがあります。「自分だけが正しい」という思い込み、信じ込みはいろんな場面で人とぶつかる原因となります。自分でも気が付かないところで他人に迷惑をかけていることが多々あります。必要もないのに車でドライブして排ガスで大気を汚したり、過剰包装でプラごみを量産したり、機嫌の悪い雰囲気を漂わせて周囲の人に気を遣わせたり、他人から見たら眉をひそめるような行為を自分では気付かずにやっていることも多々あるのです。

自分だけが正しいのではない。又、自分の気付かないところで周囲の人に迷惑をかけているかもしれないなと思えれば、善いことをしても奢らず、謙虚に善が出来るのではないでしょうか。