通信Vol.229(2023年6月)

田植え風景も一通り落ち着き、夏の到来を待つ季節になってきました。梅雨入りしたとはいえ、毎日ジトジトしていないので個人的にはうれしいです。

今回は「愛」について話をしたいと思います。

「愛」には受け取る「愛」と与える「愛」があります。他人から愛を受け取ることに焦点をあてると愛されていると思え、他人に愛を与えることに焦点をあてると相手のことが愛おしく思えます。

自分は「愛を与えることが好き」と思っていても、よくよく自分を見つめていくと受け取る愛に焦点を当てていたなんていうこともよくあります。また、どちらかしかやっていないということもなく他人に与えたり、他人から受け取ったりしてバランスを保っています。

ここで簡単な質問をしてみたいと思います。貴方は無条件に人や動物を愛していますか?無条件とはダメ出しをしない愛し方ということです。たとえば赤ん坊に対して「今は泣かないで」とか「このタイミングでウンチしないで」「オッパイの飲みが悪いよ」なんてダメ出しをするお母さんはいないですよね。ペットのワンコに対して「オスワリの仕方が悪い!」とか「餌の食べ方が悪い!」なんて、いちいち怒る人も殆ど見たことがありません。

自分の推しのアーティストの追っかけをやっている人を知っていますが、彼女はどんなに遠くの都市で開催されるライブも見に行くし、そのアーティストのグッズ販売に並んで直前で売り切れたとしても文句も言いません。ライブ開始が遅れても、終了時間が延長になっても文句ひとつ言わずに熱狂的に応援しています。まさに無条件の愛です。

自分が子供だったときは、親から無条件で愛されていたなんて考えたこともありませんでしたが、自分が親になって初めて、自分が親から無条件で愛されていたことを知ります。親に反抗しまくっても家から追い出されることなく、ご飯も作ってもらい、生活費も学費も全額負担してもらっていたのですから。ダメ出しせずに無条件で愛することが、愛を与えるということです。好いた惚れただけが愛ではないのです。

私は彼(彼女)のことを愛していると言っている人でも「どうしてLINEの返事をしないんだ」「どうして自分との時間を作ってくれないの」「ちゃんと私のこと考えてる?」と相手を責めたりします。相手にダメ出しをするということは、「〇〇してくれないと私を愛していることにならないよ」と愛に条件を付けているのです。愛に条件を付けているときは、「愛」を受け取ることに焦点があたっている時です。

受け取る「愛」に焦点があたっていると人間関係はしんどくなります。何故なら他人や天候は自分の思い通りにコントロール出来ないからです。天候のことなら「なんでこんな時に雨が降るんだよ」と空に向かって怒るまえに黙って傘をさすか、カッパを着るでしょう。ところが相手が人間になるとどうしても自分の思い通りになると思ってしまいます。傘もささずにカッパも着ずにずぶ濡れになっておいて「どうしてくれるの!」と相手に詰め寄るのです。

「与える愛」に注目して「自分は愛を与える存在になる」と決意すると不思議なことが起こります。それは他人を見たときに、自分(私)に愛を与えてくれる人なのか自分(私)から愛を奪おうとしている人なのかが見分けられるようになるのです。自分が親になって初めて親の無条件の愛を知ると前述しましたが、自分が親になった後で、子供として自分の親に接すると親の愛情をより一層深く知ることができます。与える者の気持ちが分かるようになるからです。同じように他人に対してダメ出しをしない愛を与えることに焦点をあてると、自分に対してダメ出しをしないで愛を与えてくれる人が見えてきます。試しに「自分は愛を与える存在だ」と決意してみませんか?