通信Vol.177(2019年2月)

今年は例年よりも雪が少なく個人的にはありがたいのですが、雪を収入の糧にしてる人にとっては雪が待ち遠しいことでしょう。

今回は、大人の義務についてお話したいと思います。義務と聞くとちょっと堅苦しい気がしますが、子供や社会に対する責務と言ってもいいかも知れません。

皆さんは、自分自身がどんな義務を負っていると思いますか?もちろん憲法に定められた教育、労働、納税の他に自分が持っていると感じる義務です。

私が今回皆さんに考えて欲しい義務が「幸せに生きる義務」です。どんな人でも「幸せになりたいか?」と聞かれれば「もちろん」と答えるでしょう。でも、色んな場面で幸せになる選択肢でなく、不幸になる選択肢を選んでいる人が多いのも事実です。

たとえば自分がやりたいことや、欲しいものを我慢して子供に時間やお金を使う、会社や家族のために自分を犠牲にする等々自分の幸せを後まわしにして、他人のために自分を犠牲にしている人もいるのではないでしょうか。あるいは他人の目を気にしすぎて、欲しいものを買わなかったり、着たい服を着られなかったり、やりたいことが出来ない人もいると思います。

他人のために何かをするのはすごく大切なことですが、自分が満たされていない状態で他人に何かをしてあげようとすると続かなかったり、心の健康が保てません。まずは自分の心のコップを満たすのが先決です。そのためには自分の心の声に耳を傾ける必要があります。多くの人は自分の心の声に耳を傾ける前に、他人の声に敏感になりすぎて、どう思われているかばかりを気にしてしまいます。

高校を卒業して1年半後にイベント会社を起業して、その後何度も失敗を繰り返しながら現在は数万人を動員するDJになった男性がこんなことを言っていました。「陰口を言われる奴が人生の主役なら、陰口を言う奴は人生の脇役だ。どうせ一度の人生なら脇役でなくて主役にならないと。主役になった者が最後には勝ちでしょ。」と。

他人の顔色ばかりを気にしたり、誰かの陰口を言い合って、他人の人生の脇役で終わるより、自分の人生の主役で生きる方が数倍かっこ良いと思いませんか?他人の顔色を気にしたり、誰かの人生についてあれこれ考えている時間があったら、自分の心の声に耳を傾けて、どうしたら満足のいく人生が送れるかを真剣に考えたほうが数倍有意義だと思いませんか?私たち大人が自分より若い人や子供たちに、夢を与えられるとしたら、自分の人生を精一杯楽しむこと、今の生活を楽しみ尽くすことだと思います。

大人が毎日辛そうな顔をして愚痴をこぼしていたら、子どもはこんな大人になりたくないと考えるはずです。子供が進学と共に他所へ出て行って実家に帰ってこないという声を度々耳にします。また会社の経営者の子息が事業を承継してくれないと悩んでいるのを聞くと、案外、親の苦しんでいる姿と自分の未来を重ねてしまうのが原因ではないかと思ってしまいます。

ではどうしたら人生を楽しめるのかということが問題になってきますが、それこそが全精力を傾注して追い求めなければならない問題ではないでしょうか?自分の幸せは自分にしか分かりません。誰も教えてはくれないのです。あなたはどんな幸せな人生を歩んでいますか?

通信Vol.176(2019年1月)

平成もいよいよあと数か月を残すところとなり、次の元号が何になるかがあちこちで話題になっていますね。みなさんはどんな元号になると予想しますか?

 

今回は、自分の意見をはっきり言った方がいいのか?言わない方が他人とうまく付き合えるのか?ということについて考えてみたいと思います。

あなたは、会議や友達との会話で自分の意見をハッキリ言うタイプですか?それとも他人とぶつかることを避けて自己主張しないタイプですか?

自己主張する人は、自分の意見を言わないことでモヤモヤが残るのが嫌だからハッキリ言うという人、何が何でも自分の思い通りに事を動かしたいという人、等々人それぞれだと思います。また、自己主張しない人にもそれぞれ言い分があると思います。

先日ラジオを聴いていたら、テレビ等で有名な大学教授の武田邦彦さんの人生相談で、あるお母さんが「子供には自分の意見をハッキリ言える人になってほしいと思いますが、小さい頃からそのように育てても良いか?」という質問をしていました。それに対し武田さんは、「自分の意見を言う前に、他人の意見をしっかり聞いて、それを認める力をつけて、その上で自己主張する力をつけないと、社会の中で上手くやっていけない」という趣旨の回答をしていました。他人の意見をしっかり聴いて、それを認めるというのはとても難しいスキルです。これが出来たらどんな社会でも他人と上手くやっていけるといっても過言ではありません。

自己主張する場合の大前提として「自分の意見が正しい」と思う人は多いと思います。テレビの討論会などを見ていても、自分の意見を主張する人は他人を論破したがる傾向があるのも事実です。はたして貴方の考えは絶対正しいのでしょうか?正しいのか正しくないかを論ずるには、検証が出来ないとハッキリとしたことは言えないのですが、果たして物事が起きた結果について、違う方法が検証できるでしょうか?今朝起きるのが30分早かったらどんな一日になったでしょう?早く家を出た結果、交通事故に遭ったかもしれません。でも、時間は巻き戻せませんから検証は出来ません。違うパートナーと結婚していたらどうでしょう?あるいは独身を貫いたならどうでしょう?いまある結果を無かったことにして時間を巻き戻すことは不可能ですし、もしタイムマシンに乗って過去にさかのぼって違う選択肢を選んだとしても、より良い結果が得られる保証はありませんから、何が正解か間違いかは誰にもわからないのです。自分と相手の意見が対立する場合も同じです。どんな意見でもどちらが正解かは誰にもわかりません。目的地にたどりつく方法がA、B という2つのルートがあって、どちらが早いか、どちらが安全かは議論できても、突発的な事故や渋滞の予測は不可能です。どんな結果でも、過去にさかのぼって違うやり方を検証できないので、今起きている結果が正論と考えるのが得策です。

自己主張をしつつ、周りの人と協調するためには、「自分の意見だけが正しい」という偏った考えを捨てなければならないということです。武田さんは「他人を尊重できないうちは、自己主張をしない方が良い」とも言っています。私もOK、あなたもOKというスタンスが出来れば自己主張をしても、周囲の人と上手くやっていけるということでしょう。

 

通信Vol.175(2018年12月)

暖かい日が続いていたと思ったら、急に冷え込んできたので体調を崩す人も多いのではないでしょうか。私はタイヤ交換、雪囲い、水道の凍結防止等々冬の準備を着実にすすめています。

今回は仏教や色んな宗教、哲学でも言われている因果の道理(原因と結果の法則とも言われます)ということについてお話ししたいと思います。

あなたは、自分の運命は何によって決まると思いますか?神や仏が決めるもの?親からの遺伝?先祖の霊?色んなことを教えてくれる人はいますが、私はシンプルに、自分の行いによって自分の運命が決まるといわれる仏教の因果の道理を信じています。因果の道理は針の先ほどの例外も認めません。すべての結果(運命)は過去の自分の行いによって決まると教えられています。

先日、元日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏の逮捕で世間はその報酬の高さに驚きました。彼は今、数百円ですら自由に使えない東京拘置所の個室に投獄されています。自らが招いた結果ですが、私たちは他人の不幸を見たときは、「因果応報」=「種まきに応じた結果が現れる」と言いますが、自分が不幸な目に遭った時「因果応報」とは思えません。「どうして自分ばかりがこんな目にあうのか?」「あの人も同じことをしているのに、あの人は逃れてずるい」「あんな悪いことをしているのだから、懲らしめないと」と他人を貶めようとさえします。自分に起こるすべては、過去に自分が行った行為の結果だと教えるのが因果の道理ですから、自分が知らない間に過去に蒔いたタネが芽を出しただけです。生まれたての赤ん坊でも、100年生きたお爺さんでも、現在の運命は過去に自分の蒔いたタネが芽を出していることに変わりありません。赤ん坊の場合は人間に生まれてくる前に蒔いたタネということです。

この原因(行為)と結果(運命)の関係について、善因善果、悪因悪果、自因自果(善い行いは良い運命を招き、悪い行いは悪い運命を招く、すべては自分のやった行いが自分の運命を作っていく)と教えられています。誰かに嫌なことをされた時に、あなたが仕返しを考えなくても、因果の道理はやった本人に確実に作用します。人を殺して警察に捕まらなくても、その結果は必ず真犯人に返ってきます。10人殺して自分が死刑になったとしたら、残り9人殺した分の結果は死んだ後の世界で受けます。逆に誰が見ていなくても、良いことをすれば自分に良い運命がくるということです。

良いことをいくらやっても良い運命にならなかったり、悪事の限りを尽くしても一生裕福で安泰な人生を送っている人を見たりすると、因果の道理なんて嘘じゃないかと思ったりしますが、原因を作っている時期と、結果が現れる時期に、時間差がある場合が殆どなので分かりにくいのです。早い場合では、車でスピード出したとたんに白バイに捕まるようにすぐに結果が現れますが、多くの場合はかなり遅れて結果が現れます。

もう一つ因果の道理を分かりにくくしているのが、原因と全く違った性質の結果が現れることが多いということです。道行くおばあちゃんに親切にしたら仕事で昇進したなんていう、一見何の関係も無いような結果の現れ方が殆どです。

また、宝くじで大金を当てることが良い運命だと考えがちですが、大金を手にしたことによって人から脅迫されたり事件に巻き込まれたりしたら、逆に悪い運命だったということです。生まれつきの手足の障害のために兵役を逃れ、戦争で命を落とさずにすんだ人もいます。何が良い運命なのか悪い運命なのかわからなくなってしまいますが、因果の道理が理解できて納得出来たら、他人を妬んだり、傲慢になったりせず、ひたすら自分が良い行いを重ねていけばよいのだと知ることができます。

通信Vol.174(2018年11月)

紅葉もクライマックスを迎え、いよいよ冬支度をしなければと、そわそわしている今日この頃です。先日は、飛騨市からプロ野球選手が誕生した話題で持ちきりでしたね。

今回はハインリッヒの法則についてお話ししたいと思います。ハインリッヒの法則は聞いたことが無い人でも、ヒヤリハットの法則は聞いたことが有るかもしれませんね。重大な事故の裏には300回のヒヤリ・ハット、29回の中度の事故、災害が隠れているというものです。元々ハインリッヒの法則といわれるものですが、こういった経験則は色んなものに活用できます。

例えば、習い事などで目標を目指すときに、小さな目標を300回クリアして、中ぐらいの目標を29回クリアできれば大きな目標を達成出来るとか、勝負事なら小さな勝利を300回、中ぐらいの勝利を29回達成すれば、大きな勝利をつかみ取ることが出来るといった具合です。意中の相手をつかまえるには、300回の誉め言葉と、29回のアプローチで落とせるかもしれません。

悪い事例でいえば、車の運転で300回の小さなヒヤリ・ハット、29回の事故未遂の向こうには大事故があるということですから、常日頃から運転のヒヤリ・ハットをなくさなくてはいけません。人間関係でいえば300回の小さな衝突、29回の中ぐらいの衝突の先には関係の破綻が待っていますから、関係を続けたい相手とは極力衝突しないようにしなければなりませんし、逆に関係を終わらせたいと思っている相手とはチョコチョコ衝突すればいいということになります。

これらから分かる事は、良いことも悪いことも何でも数打てばそれなりの結果が出るということです。スポーツでもビジネスの世界でもよく言われるのが、成功者とそうじゃない人の違いは、結果を出すまでやり続けるかどうかといわれます。野球選手でも天才といわれている人達は、人知れず血のにじむような練習をしています。大企業家と言われる人たちも、表面に出ていない失敗を沢山していると言われます。発明家で有名なエジソン
「私は失敗したことがない、ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。」
と言っています。YouTuberのヒカルさんは、「ふつうの人はYouTubeで成功するぞと意気込んでやる人は殆どいないから、毎日アップする!他の人より抜きん出てやる!という気持ちでやっていれば、他の人より抜きん出て、そこそこ稼げるようになる」と言っています。逆に悪いことの場合は「これくらい良いだろう」という軽い気持ちで常日頃からやっていると、コップに一滴一滴溜まる水がやがて満ちて、コップから溢れ出すように、最後には取り返しのつかない事が起こって、後悔することになります。

良いことも悪いことも「継続は力なり」ですね。継続は、運命を変える力を持っているということです。出来るなら良いことを継続したいものですね。

通信Vol.173(2018年10月)

今年は夏の酷暑の後は、豪雨災害、台風と自然の猛威に翻弄される年ですね。
今回は「安心感」というテーマでお話ししたいと思います。
あなたは、どんな時に安心感を感じますか?安心感とは何かに包まれている感覚、何かに守られている感覚で、根拠のないものです。私達は幼児期に、母親や父親に守られ(それ以外の大人の場合もありますが)育ちます。色んな事象から、あるいは人から、動物から、自然から守られています。ほとんどの動物は生まれて直ぐに自分で歩いたり泳いだり出来ますが、人間だけは、生まれてから自分の手足を使って移動出来るようになるまでに、1年以上もかかります。自然界の常識でいったら、人間の赤ん坊は超無防備な存在です。
生まれてから一定期間、誰かの助け無しでは生存すら不可能なのです。
この生命体として非常に弱い人間が、段々と成長していくに従い身体も心も成熟していきます。この心身が成熟していく過程で、安心感というのがとても大切になってきます。
親や親代わりの人が子供に安心感を与えるというのと、外的要因から守るというのとは意味合いが違うのですが、ここを混同してしまうとせっかく子供の心に自立心が芽生え始めたのに、芽を摘んでしまうことになります。
安心感というのは、例えば道に迷ったり、転んで怪我をしても最終的には見守ってくれている誰かがいることで得られる感覚です。子供が自分で道を探したり、怪我をして泣きながら自分の足で立って歩き始めるのを、親はそっと見守りながら子供の自立を信じることが必要です。子供のことが信じられないといつまでも干渉したり、面倒を見すぎてしまいます。子供を守ると言いながら子供のことを信用できていないのです。

子供が家庭から出て学校や社会に出ていくということは、一人で色々考えながら世の中を渡っていくということです。たとえ保育園児であっても、家庭から出れば一個人としてのプライドを持って他人と渡り合っていくのです。親が子供のことを信じて手や口を出さないことが子供にも伝わって、自立心が芽生えます。子供が何をしていても無関心というのと、見守りながら口を出さないというのは、一見同じように見えるかもしれませんが、親の気持ちは子供に伝わりますから、親が見守ってくれていれば子供は必ず独り立ちをしていきます。

子供の頃に安心感のある環境で育つと、安心感を持った大人になりますが、残念ながら安心感を持てずに大人になってしまったらどうしたらよいのでしょう。安心感を与えてくれるはずの親も他界してしまっていたら・・・ そんな人でも大丈夫、遅すぎることはありません。自分の中に、自分を見守って「大丈夫!」と背中を押してくれるもう一人の自分を作れば良いのです。天才バカボン赤塚不二夫のマンガ)に出てくるバカボンのパパはどんなことがあっても、最後は「これでいいのだ!」で締めくくります。どんな過程があっても全ては必要必然、最後は「オールOK!」ということです。

皆さんも一日の最後に呟いてみましょう「これでいいのだ!」

通信Vol.172(2018年9月)

今年の夏は高校野球に釘付けになった人も多いのではないでしょうか。
大阪桐蔭高校の根尾くん(飛騨市宮川町出身)の活躍に心踊った人も多いでしょう。彼の活躍の凄さと同時に彼のメンタルの安定感に感心した人も多かったのではないでしょうか?

今回は彼の言動からメンタルを安定させるコツを学んでみたいと思います。
根尾君は周囲の人から褒められると、周囲の仲間や、自分を育ててくれた人、対戦相手を称賛します。多くの人は自分がいかに頑張ったかをアピールしたくなるのですが、自分の話はほとんどしません。
他人から褒められたり、自分が恵まれていると感じたら意識の矢印を周りに向け感謝するというのは一見簡単に見えますが、中々出来ません。
 逆に、他人から嫌な圧力を受けたら、自分を高めるように自分に意識の矢印を向けてみます。自分が他人と比べて、恵まれていないと感じて惨めな気持ちになったら、自分が恵まれている材料を探して自分も負けないくらい恵まれている事に気付くと気持ちが落ち着きます。

 ほとんどの人が真逆のことをやっています。他人から褒められたり、恵まれた環境になると自分は出来る人だ!凄いラッキーだと有頂天になり、他人から貶(けな)されたり、自分より恵まれている人、ズルをして楽をしている人を見るとその人をトコトンおとしめたり、不満をブチまける。傷ついた自分の気持ちのケアをそっちのけで、自分を傷つけた相手の悪口を並べ立てます。誰でもやっているこの行為が実は自分のメンタルを不安定にさせている元凶なのです。
他人に褒められたり、恵まれた環境というのは、実は周囲の人の助けによることが多いのです。根尾君のように能力の高い人程、謙虚に自分の能力を見つめています。なぜ有頂天になるとメンタルが不安定になるのかというと、ちょうどジャングルジムのてっぺんにのぼると、気持ちよさと同時に不安定さからくる怖さを感じます。上を見ながらがむしゃらに上っているときは、不安感というのはありません。謙虚さというのは、まだまだ上があると思ってのぼっている状態です。だから不安感が少ないのです。だから順調な時ほど意識の矢印を外に向け、謙虚になる必要があるのです。
反対に他人から貶(けな)されたり、責められたときに自分を貶(けな)した相手、責めた相手の悪口を友人や家族に何時間もかけて話す人がいますが、私たちの脳は嫌な記憶を何度も思い出す度に、より強固な記憶となって脳に焼き付けられていきます。嫌な記憶はさっさと捨てて忘れてしまうのが一番です。おまけに人の悪口というのは自分で発する言葉が自分の耳に入って来ます。私たちの脳は嫌な言葉を聞くとストレスが溜まる構造になっていて、他人の言葉でも自分の言葉でも関係なくストレスを感じます。自分が落ちていると感じた時ほど、意識の矢印を他人ではなく自分に向けて「自分は頑張っている」「自分は恵まれている」と自分を持ち上げるほうに持って行ったほうがメンタルは安定します。
 安定したメンタルで日々過ごしたいものですね。

通信Vol.171(2018年8月)

大雨の後は連日の酷暑で体力を消耗されている人も多いのではないでしょうか?今年は記録的な猛暑で「今までエアコンなしで我慢していたけれど、今年初めて家にエアコンを設置したという声もあちこちから聞こえてきました。まだまだ暑い日が続きそうですね。

 今回は、「劣等感と向き合う」と題してお話ししたいと思います。
 あなたは劣等感をお持ちですか?私は色んな劣等感を持っています。集中力がない、大学中退、英語が苦手、数字が苦手、身長がもう少し・・、挙げたらきりがありませんが誰でも劣等感を幾つか持っているものです。劣等感の反対側に「プライド」があると思っている人もありますが、実は「プライド」とは劣等感の別名です。人より劣っていると認めたくないから、何とかごまかして劣っていないように見せているのが俗にいう「プライド」です。

では何故、今回の通信のタイトルを「劣等感と向き合う」としたのかと言いますと、自分の劣等感を認めて向き合うことが、プライドの鎧を脱ぎ捨てて、肩の力の抜けた生きやすさに繋がるからです。

 劣等感を認めようと思っても、なかなか認められないのは、自分の劣等感を愛していないからです。人の劣等感は短所そのものではありません。短所は見る角度を変えれば長所にもなります。長所としてとらえていないから、短所=劣等感に繋がってしまうのです。例えば「落ち着きが無い」という短所は、つねに色んなことに気が回るという長所だったりします。「ルーティンワークが苦手」という短所は「新しい企画を立ち上げる力がある」という長所だったりします。「内向的」という短所は、「他人に騙されたり、他人とのトラブルを未然に防ぐ能力が高い」とも言えます。短所には必ずと言っていいほど長所がセットになっています。短所=劣等感=長所として見ることが出来ると、自分のことを欠点も含めて好きになれます。

 自分の劣等感を好きになれれば、劣等感にとらわれることなく自由に生きられます。他人の言葉で、自分が馬鹿にされているような気がして腹を立てるのは、自分の中の劣等感にトゲが刺さるからです。劣等感も含めて自分を本当に愛することが出来たら、他人から馬鹿にされるような言葉を浴びせられてもスルーすることが出来ます。劣等感にトゲを刺すのは他人でなく、他人の言葉を聞いた自分自身だからです。愛せない劣等感を持ち続けると、自分で自分を痛め続けるのです。自分で自分を痛め続けることほど悲しいことはありません。自分の最後の味方は自分自身ですから、誰かに傷つけられても馬鹿にされても自分だけは味方でいて欲しいと思います。自分のことが好きになれたら、周囲の人もあなたのことをきっと好きになるはずです。 
 貴方の最大の味方は、あなた自身ですから長所をどんどん見つけて褒め倒しましょう。明石家さんまさんは「自分のことが大好き」と公言しています。さんまさんを見ていると「私もあなたのことが大好きです。」って言いたくなりますよね。