通信Vol.224(2023年1月)

今年は雪の少ない暖かな1月で除雪の出番が無くホッとしています。雪かきで生計を立てている方は、もう少し降って欲しいというのが本音でしょうが・・

今回は、他人の悪口を言う人から距離を置こう、という話をしたいと思います。

あなたの周りに、他人の悪口や陰口(他人を貶める話)を言う人はいませんか?もしあなたに誰かの悪口や陰口を言ってくる人がいたら少し距離を置いた方がいいかもしれません。あなたに誰かの悪口や陰口を言ってくるということは、あなたが居ないところであなたのことを悪く言っている可能性があるからです。

 

悪口や陰口って心の中ではみんな思っていたとしても、それを口にした瞬間にそれを聞いた人は嫌な気分で受け取ることになります。ちょうど痰やウンチと似ています。痰やウンチって体の中にある時は、周囲の人に嫌悪感を与えることは一切ありません。どんなイケメンでも美女でも痰やウンチを体内に蓄えています。でも一センチでも身体の外に出た瞬間に汚いものとして認識します。一秒前に体の中にあったからと言って、もう一度口の中に戻したり、大事にハンカチに包んでポケットに入れる人はいません。体外に出た瞬間に誰の目にも汚物として認識されます。

 

悪口や陰口ってこの痰やウンチと同じように、体内に溜めると健康的でないのでどこかで身体の外に出す必要がありますが、何処でも誰の前でも出していたら、気持ち悪がって誰も寄り付かなくなります。出した人はスッキリしますが、受け取った人は目の前に汚物がこんもりと湯気を立てている状態です。あなたがもし病気や介護状態になって誰も排泄物を処理してくれなかったら、あなたはウンコまみれになってしまいますから、身近な家族や看護師さんや介護士さんに処理をお願いしなくてはなりません。家族はあなたの汚い部分を受け止めてくれる人ですし、看護師さんや介護士さんは報酬をもらってお世話をしてくれるプロです。実際の排泄物の処理は家族や看護師さん介護士さんにお願いできますが、口から出る言葉の汚物の処理をお願いして良いのは、あなたの汚い部分を見せられるパートナーやカウンセラーなどのプロフェッショナルに留めるのが妥当です。もし誰にでも悪口や陰口を話しているとしたら、あなたはスッキリしているかもしれませんが、周囲の人はあなたの居ないところで鼻をつまんでウンザリしている可能性があります。

                                    

 そもそも何故人は悪口や陰口で他人を貶めようとするのでしょうか。自分に自信が無いので他人を下げて自分の価値を上げてよく見られようとするのです。これを心理学用語で優越コンプレックスと言い劣等感から生まれてくる感情です。自分に自信があれば、他人が何をしていようが何を言っていようが、気になりませんし、誰かに対してマウントをとる必要もありません。自分に価値があることが分かっているからです。悪口や陰口をいう自分の心理を分析してみると、誰かが悪いことをしているとか批難される行いをしていることとは関係なく、自分の中に問題があることが見えてきます。あなたがその人のことを悪く言おうが言わまいが、相手の生活は微塵もかわらないからです。自分の劣等感を埋めるために自分より幸せそうな人の足を引っ張って自己肯定感を満足させようとしている自分に問題があることが見えてきます。先日某市長がタバコのポイ捨てで非難されていましたが、同じことをホームレスのおじさんがしていても誰も叩かないでしょう。自分より地位や名誉のある市長だからこそ、みんなこぞって叩きたくなるのです。

では誰かに自尊心を傷つけられるようなことを言われた場合、その気持ちを悪口や陰口に変換せずにどう処理をするのかということについては、次回お話ししたいと思います。

通信Vol.223(2022年12月)

初雪も舞い、気持ちの上では冬到来ですが、身体の準備がまだまだ追いつかない今日この頃です。

今回は、人生を好転させる「行動ダイアリー」を紹介したいと思います。これは心理学の認知行動療法を提唱したアーロン・ベック氏が発明した手法で、自分の好きなこと、得意なことを見つけたり、仕事や勉強に対する取り組みが劇的に変わる方法です。

 

1日の行動を1時間ごとに区切って、行動の内容とそれによって得られた達成感と喜びを10段階で記録するという簡単なものです。朝起きてから寝るまで、1時間のうちで最も比重の重かった行動の内容だけをピックアップして書きます。  

大人なら仕事の内容、子供なら学校の中での行動や家に帰ってからの行動を書きます。書くのは、3日間だけです。

 

これによって何が分かるのかというと、「勉強」は嫌なもの、「仕事」は辛いものという先入観を持ちがちですが、実際にやった時の感情を見てみると、達成感も喜びも意外と大きかったりします。

「仕事はストレス」だという概念を持っていた人が、仕事が楽しいものだと気付くことがあります。働き方改革で世間では「長時間労働」が「悪」だという風潮がありますが、仕事が楽しく苦にならない人にとって、「長時間労働」は「悪」なのでしょうか?

又、実際に行動ダイアリーをつけた中学生が、ゲームは楽しい、勉強は辛いと思っていたけど、実際はゲームは達成感も喜びもあまり大きくなく、勉強の方が達成感も喜びも大きいことに気付いて、ゲームをする時間が減り、勉強の時間が増えたという事例があったそうです。

 

普段私たちは、自分の感情を客観的に見ることは少なく、固定観念や周囲の人たちの言葉に捉われて、色んな思い込みや信じ込みをしています。行動と感情を結びつけることによって、客観的に自分の好きなことや得意なことを見出すきっかけになればと思います。自分を知ることが、よりよく生きるために必要なことではないでしょうか。

通信Vol.222(2022年11月)

稲刈りも終わり、いよいよ冬に向けて心も身体も準備段階に入ってきました。皆さんの心の準備は整いましたか。

今回は、「他人からどう見られるか」と「他人からどう思われるか」についてお話ししてみたいと思います。

貴方は自分の表情や身だしなみ、ファッションについて他人からどう見られるかということを意識しますか?たいていの方は、毎朝顔を洗った後、鏡を見て他者からどういう風にみられるかということを意識していると思います。ここを意識しないとしたら、髭は伸ばし放題、ノーメイク、頭はぼさぼさ、よれよれのシャツに、サンダルで出勤なんてことになると思いますが、そうしないのは他人から「仕事のできるビジネスマン(ウーマン)に見られたい」とか、「しっかりした大人に見られたい」という願望からでしょう。「人は見た目が9割」なんて本が出るくらい、第一印象はとても大切で、それを覆すのは相当な努力が要りますし、余計な労力でもあります。

「どう見られるか?」と似た観念に「どう思われるか?」というものがあります。同じことじゃないの?と思う人もあるかもしれませんが、言葉は似ていても全く異質の観念です。自分の姿を見て相手がどう思うかを気にする人は多いと思います。あの人が自分の悪口を言っているのを聞いてへこんだとか、お客さんに褒められて嬉しかったとか、上司に褒められて自信を持てた、という経験のある人も多いと思います。男性が女性に、女性が男性に容姿を褒められて舞い上がることも良くあります。

ここでもう一度「他人からどう見られるか」ということに戻って考えてみます。髪の毛を整える。化粧をする。アイロンの効いたシャツを着る、靴を磨く、おしゃれをする、という行動は全て自分の努力でどうにかなる行為です。対して「どう思われるか」というのは、自分の範疇を超えて相手にゆだねる感情です。自分がコントロールできない問題です。

 

自分の領域

(自分がコントロールできる範囲)

清潔感のある服装

おしゃれする

真面目に振る舞う

誠実に接する

自分の意見を言う

他人に親切をする

相手の領域

(自分がコントロールできない範囲)

清潔に見えるか

おしゃれだと思われたい

真面目だと思われたい

誠実と思われたい

相手に媚びる

他人からのお礼を期待する

自分がコントロール出来ることに気を配るのが身だしなみであったり、マナーと言われる部分です。高級なレストランやカフェへ行くのに、ある程度の身だしなみを要求されるドレスコードというものがあります。場に見合った服装をしたり、人と話すときにマスクをするというのは他人に不快な思いをさせない思いやりです。服装によって他人からどう見られるかは、自分のコントロールできる範囲ですから最大限注意を払うべきですが、自分を見て相手がどう思うかは相手の気持ち次第なので、自分ではどうすることも出来ません。

 

 職場や社交の場で自分が「どう見られるか」には最大限の努力をしても良いと思います。しかしその先にある「どう思われるか」については、考えるだけ無駄ですし、精神的にも不健康な結果が待っています。

通信Vol.221(2022年10月)

つい先日まで暑い暑いと言っていたのに、ここ数日の寒さに耐えられず我が家では、すでに石油ファンヒーターを稼働させてしまいました。

ここ最近何回かにわたって自己受容についてお話ししてきました。そこを踏まえて、ある方からこんな質問を受けました。

「今のままの自分を受け入れるということは、努力向上をしなくてもいいという事でしょうか?」たしかに自己受容で、あるがままの自分を受け入れると、努力向上しなくても良いのではという気持ちになります。努力したくない自分、成長したくない自分、現状を守ろうと思う自分をそのまま肯定して受け入れるということは、その場所に留まることを良しとするようにも受け取れます。

しかし、それは本当に自己受容という事なのでしょうか。受験を控えた子供とお母さんを例にとってみたいと思います。

高校生の子供が模擬試験で結果が出せず落ち込んで帰ってきました。

子 「この前の模擬試験、①結果が良くなかった。志望校あきらめないといけないかも。」

母 「そう、②模擬試験思うような結果が出せなくて③落ち込んでるんだね。」

子 「うん、④自分なりに頑張ったつもりなんだけどなー」

母 「⑤頑張った結果なら、仕方ないよ。貴方が行きたいところへ行けるよう、お母さんは応援して

るよ。

 ここで会話の内容をBeing(こころの状態)Doing(行動)Having(行動の結果得られたもの)に分けてみたいと思います。①はHaving、②もHaving、③はBeing、④Doingです。お母さんは⑤で子供のDoingやHavingは追及しないでBeingを受容し応援しているメッセージを伝えています。

 子供はここで母親に守られている安心感を得て、もっと頑張ろうと奮起します。

逆に母親が「これからしっかり頑張れば、ちゃんと希望の○○大学にいけるわよ、頑張りなさい」と励ますと、子供は「○○大学に行かないと自分は認めてもらえないんだ」と、自分が母親の望む大学に行かないと母親に受容してもらえないと感じてしまいます。

 ここでたとえた子供と母親のやり取りのようなものが、自分の心の中で「自分」と「自分を見守る親」という一人二役のような形で内在します。これをインナーペアレント(内なる親)とインナーチャイルド(内なる子供)と言います。

 実際の親でなくても自分の心の中で、受容的な親が出来上がると、内なる子供の自分は次へのチャレンジが出来るようになります。

チャレンジしたくない今のままでいいという考え方は、自分のBeingが受容できていないからです。人は不安感があると現状を守ろうとします。現在立っているところから動かないのが自分を守る最善の方法だからです。これは太古の昔から培ってきた生きる知恵だとも言えます。大昔は自分の命を狙う獣や山賊、海賊から命を守るために知らない土地を歩かないとか、新たなことを試みないというようなことが経験的に身についていました。

年月は大きく移り変わっても太古のプログラムが脳に組み込まれています。だから、毎日同じことを繰り返すことに安心感を覚え、現状の殻を破ろうと思わないのです。

 ロシアの作家トルストイ「誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分を変えようと思わない。」と言っていますが、これはまさに人間の本質をついていると思います。

 新たなチャレンジの為に受容的な「インナーペアレント(内なる親)」を育ててみませんか。

自己啓発#自己受容#子育て#インナーチャイルド#インナーペアレント#Being

通信Vol.220(2022年9月)

今回は心の安全基地というお話しをしたいと思います。自己受容を強化するためには、心の安全基地が必要になってきます。

日常生活の中で「誰かにキツイことを言われた」「ショックな出来事があった」「努力して試験勉強したのに結果が実らなかった」等々好ましくない出来事が起こった時に、夜も眠れないくらい落ち込んだり、何日も悩む人もいれば、数時間も経ったらケロッと忘れてしまう人もいます。比較的心が安定している人とそうでない人の違いはどこにあるのでしょうか。

「3匹の子豚」というおとぎ話があります。子豚の3兄弟がそれぞれ、「藁」「木」「レンガ」で家を作ります。そこへオオカミがやってきて子豚たちを食べようとします。藁と木で作った家はすぐにオオカミに壊されてしまいますが、レンガで作った家は壊されずに子豚たちを守ったというお話しです。心の安全基地がもろい人は、子豚の家のように少しずつ強くしていくことで他人に振り回されない安定した心を持つことができます。

心の安全基地を強化するためには、まず他者との間にしっかりした境界線を引くことです。境界線を引くということはどういうことかというと、一つの問題が起きた時に、それが他者の課題なのか自分の課題なのかをしっかり見極めて、他者の課題に首を突っ込みすぎないということです。

具体的な例を挙げると親が子供の進路について「貴方の学力なら○○大学へ行った方がいい、○○大学なら卒業しても就職に困らないし、学費もそんなに高くないから」とすすめたとします。本人はグラフィックの世界で仕事をしたいのでそちらの専門学校への進学を希望しています。親も子も境界線がきっちり引けていたなら、親は「自分はあなたの学力なら○○大学へ行くのがいいと思ったけど、あなたが行きたいと思う道へ進むといいよ」と子供の意思を尊重できますし、子供は「お母さんの気持ちは分かったけど、自分の将来は自分で決めるから応援してね」と言えます。親としては「子供に立派な大学へ行って、一流企業に就職して親を安心させて欲しい」という課題があります。しかしこれは親の課題(希望)であって。子供は親の希望を満足させるために生まれてきたのでも、生きているわけでもありません。時には親を失望させる人生を選ぶこともあるのです。子供としては一流大学へ進学して一流企業に就職するよりも自分の好きな仕事を選ぶことで生涯に稼ぐお金がグッと少なくなるかもしれないが、自分の好きな仕事をしたいという子供自身の課題なわけです。

会社でのケースを考えてみましょう。上司から「○○が出来ることで一人前の社員として評価する」と言われたとします。しかしそれは上司の目線からの評価基準や希望であって、自分の価値観と違うものであれば、自分の意見を伝えることはとても大切です。大切なのは上司の価値観を踏まえたうえで、自分の価値を見出していくということです。他者の満足を満たすために仕事をするのではなく、他者に貢献できているかどうかで仕事の価値を見出した方が、本当の意味でやりがいのある仕事に結びつくような気がします。一見すると「他者の満足」と「他者への貢献」って同じことのように聞こえますが実は全く性質の違うものです。例えば家庭での食事の献立をバランスの取れた健康的なメニューにするということは家族への貢献という点でとても大切なことです。一方家族の満足を優先して美味しくても体によくないものばかり食卓に並べたらどうでしょう。この場合、家族に喜ばれるのは後者の方だとしても、長期的に見れば家族が病気になったりして不幸な未来がやってきそうです。

「他者を喜ばせること」=「他者へ貢献すること」ではないということが分かってもらえたでしょうか。

通信Vol.219(2022年8月)

毎日暑い日が続いたと思ったら、いきなり集中豪雨で土砂災害の危険なども出てくる地域があります。本当に何が起きてもおかしくない今日この頃です。

前回、自己肯定感を高めるには「Doing」(行動や努力)や「Having」(行動や努力によって得られたもの)でなく「Being」(あるがままの私)を受け入れることが重要というお話をしました。

「Doing」とは自分の行動で、テスト勉強を一生懸命やったとか、スポーツの練習を一生懸命やった。友達とケンカした、人を傷つける言葉を言った等々です。

「Having」とは、Doingによって何かを手に入れた状態のことです。学校の成績、地位、収入、肩書、足が速い、腕力がある、他人に対して影響力を持っている、お金や財産、ブランドのバッグや時計などです。

「Being」とは、あるがままの状態のことです。自己受容というのは自分のBeingつまり、あるがままの自分を受け入れるということです。

よく誤解されるのが自己肯定感というと、○○大学に合格した、有名企業に就職した、オリンピックでメダルを取った、国体に出た、等で高まると思われがちですが、それらは自信にはつながりますが、自己肯定感とはちょっと違います。つまり「Doing」=人一倍努力した、勉強を頑張った、節約したことによって「Having」=希望の大学に入れた、会社を立ち上げた、オリンピックに出た、ブランドのバッグを手に入れたという結果を受け取るわけですが、これらを自己肯定の拠りどころとすると、受験に失敗した、事業に失敗した、怪我をしてスポーツが出来なくなった、頑張る気持ちが起きない、やる気が起きないというときに自己肯定感が下がってしまいます。努力することは素晴らしいのですがその努力や頑張りがいつも続くとは限りません。目標に向かって頑張っているときは自己肯定感が上がりますが、その頑張りを四六時中保てる人はいません。「Doing」「Having」は条件付きの自己肯定にはなるのですが、どんな時でもブレない自己肯定感というわけではないのです。

ブレない自己肯定感には自己受容が必要不可欠なのですが、「Being」=「あるがままの自分」を自己受容していくということは、頑張れるときはもちろん、頑張れない自分も受容(許す)ということです。ではどうしたら自己受容を深められるのかということについて考えてみたいと思います。

一つ目のアプローチとしては「マインドフルネス」という手法です。10年ほど前からGoogleIntelといった世界的企業が社員のストレス緩和やクリエイティビティ開発のために社員研修に導入したことで注目されるようになりました。

マインドフルネスとは、今この瞬間に自分の内面で起きていることに良い悪いの判断をせず、起こっている感情をそのまま受け入れるということです。

「自分はいま明日の仕事のことを心配しているな」

「自分は過去にあったあのことを悔やんでいるな」

「自分はいまイライラしているな」

こんなふうに、今この瞬間に湧き上がる感情をあるがままに受け入れること、これがマインドフルネスです。心配する必要ないとか、悔やんでも仕方ない、イライラしてはいけない心を落ち着かせよう、といった禁止令を出さないで、あるがままの感情を感じるのがコツです。

腹が立った時には「腹が立っているな」という感情を感じたら「どうして腹が立っているのかな」と怒りの下にある感情を探ってみましょう。多くの場合「裏切られて悲しい」「自分を尊重してもらえなくて惨めだ」「がっかりした」「不安だ」という第一感情を認めたくないために、第二感情である「怒り」にすり替えてしまっています。感情の源泉に目を向け。第一感情を感じ取ってみましょう。

                                              (次号につづく)

通信Vol.218(2022年7月)

いつになく短い梅雨が明け、夏らしい暑さが続いています。今が一番夏らしい季節ですね。夏の果物といえばスイカですが、個人的にはパイナップルにかぶりつきたい今日この頃です。

 

今回は、自己肯定感についてお話ししたいと思います。自己肯定感とは人生を豊かに生きたり、穏やかな人間関係を築く為に必要なものです。何があっても揺らがない自尊心とも言えます。

自己肯定感と聞くと、○○大学を出たから自分は賢いとか、仕事ができるとか、国体に出場したから自分はすごい、テストで満点を取ったから自分はすごいという事を想像しがちですが、それとはちょっと違います。もちろん勉強して難関大学に入ったり、スポーツで名を馳せることは素晴らしいことです。これらのことは自分に自信をつけることにはつながりますが、自信をつけることと自己肯定感を育むことは違います。

自己肯定感とはどんな状態でも自分を肯定できる状態で、良いときも悪いときもこれで良いと思える感覚です。自分がどの程度自己肯定感を持っているのかを簡単にチェックする方法があります。それは他人をどの程度肯定できるか、受容できるかで計ることが出来ます。何故なら人は自己を肯定する程度しか他人を肯定できないからです。自己肯定感の器と他者肯定感の器はイコールなのです。あの人のここが許せない。あの人のあの言葉が許せない等と他者を肯定できない人は、まず自身の自己肯定感を高めてみることをお勧めします。

自己肯定感を高めるために必要なのが自己受容です。良いときも悪いときも、出来ても出来なくても自分自身を受容(受け止める)ということです。自己を受容すると、自分のことも他人のことも許せるようになって、世の中が少し生きやすくなります。他人のことが許せないというのは生きにくいものです。学校や職場で嫌いな人、許せない人が何人かいる人は、その場へ行くのが苦痛になりますし、嫌いな人とコミュニケーションをとることもストレスになるでしょう。

誤解しないで欲しいのですが、自己を受容するということは、嫌いな相手を好きになれという事ではありません。誰かのことを嫌いな自分を許すということです。○○さんのことが嫌いな自分、どんな相手とでも仲良くなれない自分が許せないから辛いのです。もし自分が嫌いな人(仮にAさんとします)Aさんに原因があるのなら、Aさんの周りの人がみんなイライラするはずですが、そうでないのならば自分の心にイライラの原因があるということになります。私はAさんのことが心底嫌いなんだな。Aさんのここが嫌いなんだな。と自分の気持ちを受けとめることが大切です。

ではどうしたら、自分の良いところも悪いところも受容できるようになるのかという方法論になってきます。自己受容を育んで自己肯定感を高めるためには、自分の気持ちを分析してみることが必要です。

ここで「Doingドゥーイング」,「Havingハビング」,「Beingビーイング」についてお話したいと思います。「Doing」とは自分の行動です。徹夜でテスト勉強をした。仕事の成績を上げるために血眼になって努力した。などです。次に「Having」とは自分が手に入れた物、地位、名誉、他人からの評価などです。最後に「Being」とは自分自身のあるがままの姿、存在そのものということです。

自己肯定感を高めるには「Doing」(行動や努力)や「Having」(行動や努力によって得られたもの)でなく「Being」(あるがままの私)を受け入れることが重要になってきます。自己受容ということです。これについては次回もう少し掘り下げてお話ししたいと思います。                                      

(次回へつづく)