通信Vol.30(2006年11月)

 紅葉も真っ盛りで、これが終わるといよいよ冬の到来ですね。雪に悩まされる季節ですが、無ければ無いで寂しい気もします。ほどほどに降ってくれればいいのですが・・・わがままですね(笑)
 今回は「ゆるす」ということについてお話ししたいと思います。あなたは誰か「ゆるせない人」がいますか?「あの人のここだけがゆるせないな」「夫のこの癖がゆるせないの」「あの上司のこの言葉はゆるせない」「父親のここがゆるせないわ」・・etc誰でも、普段は意識していなくても心の奥底には秘めた感情があるかも知れませんね。
 では「ゆるせない」「ゆるさない」ということはどんなことなのかを考えてみましょう。あなたがゆるさない人は、あなたがゆるさないことによって苦しみを受けるのでしょうか?それともあなたに「ゆるして欲しい」とこい願うのでしょうか?おそらく、あなたがゆるそうが、ゆるすまいが何も変わらない日々を送っているのでしょう。それこそ「そんなことはゆるせない!」と思いますか?
 つまりゆるしが必要なのは自分自身を呪縛から解き放つためなのです。人はゆるしてもらえなくて苦しむのではなくて、自分自身がゆるせなくて苦しんでいるのですから。
 では、どうやってゆるせない人をゆるすかと言う前に、なぜその人がゆるせないのかを考えてみましょう。自分の心の中を見つめてみると、自分と同じ部分を持った相手に腹が立つことがあります。特に自分が抑えている欲求を奔放に満たしている人がいると、ゆるせない存在になったりします。例えて言うなら異性に対して臆病な人が、自由奔放に恋人をとっかえひっかえしている人を見てゆるせないと思ったり、お金は使わずに貯めるものだと思っている人は、浪費癖のある人をこき下ろしたりします。つまり、何らかの理由で自分の欲求が抑えられていることがゆるせない原因と言えそうです。言葉をかえるなら自分自身のコンプレックスが強い人ほど、他人にダメ出しをしたり、ゆるせずに苦しんでいると言えそうです。
 自分のコンプレックスを感じている部分を他人に投影して「あの人はゆるせない」と言っているのです。本当のところは「自分自身のここがゆるせない」ということなのですが、自分の姿を見るのが怖いので、他人に投影して「ゆるさない自分」を演じているのです。見方をかえれば、自分自身を見つめることが「ゆるし」の第一歩と言えそうです。以前勤めていた会社で、新入社員が就業時間中にメールを打っているのに腹を立てた古参OLが周りの社員に「あの子は常識がない」とまくし立てていたのを聞いて、その古参OLはそんな噂話で他人の仕事の手を止めていることに気付かないんだな、一人でメールして他人に迷惑かけない新入社員の方がましじゃないかと思って聞いたことがあります。誰でも仕事中に息を抜くことがあります、タバコを吸ったり、お茶を飲んだり、電話をしたり、でも自分の事には気付かないで他人の行動ばかりに目が行くんですよね。
他人をゆるすということは、イコール自分をゆるすということです。つまり、自分の本当の姿を見つめてそのまま受け入れるということです。欲張りな自分を受け入れる、わがままな自分を受け入れる、よこしまな自分を受け入れる、いかがわしい自分を受け入れる、だらしない自分を受け入れる、甲斐性のない自分を受け入れる・・・等々ゆるすべき自分は沢山ありますが、自分の姿が見えていないとゆるすべき自分がわからず、他人をゆるすこともできません。
 ゆるしは、自分を呪縛から解き放つ鍵です。小さなゆるしから挑戦してみませんか?