通信Vol.42(2007年11月)

 紅葉も終わりに近づき、冬の足音が近づいてきましたね。冬は僕の好きな時期でもあります。寒いのは苦手ですが雪が降ったときの静寂や、夜に雪が降った翌朝、陽の光に輝く銀世界は何度見ても感動します。そして何よりも「冬来たりなば、春遠からじ」といわれるように、冬は春の到来を予感させる季節でもあります。春を待ちわびて、寒さにじっと耐える草木や動物たちを思うといじらしさを感じますね。
 今回は「人を育てる」ということについてお話したいと思います。
 「育てる」というとおこがましく聞こえるかもしれませんが、目の前の相手が何かを学習して人間として一回り大きくなることを「育てる」ことの定義とするならば「子育て」に始まり「夫育て」「妻育て」「後輩育て」「部下育て」「上司育て」「行きつけのお店の店員育て」「得意客育て」といろんな場面で「育てる」というシチュエーションが存在します。
 「育てる」というと「あの人に育ててもらった」と相手に思わせることが「育て」のように感じるかもしれませんが、本来の「育て」とは自分の人生を振り返った時、あるいは、育ててくれた人と同じ立場に立った時に「あの人に育てられた」と気づくものかもしれませんね。
 今風の言葉で言うと「教育」が「ティーチング」、「育て」が「コーチング」ということでしょう。人生を自動車の運転にたとえるならば、教習所の教官のように「はい、そこでウィンカー出して、はいブレーキ踏んで、ハンドルきって・・・」というように何もわからない人に対して、すべて指示をするのが「ティーチング」、助手席に座った恋人のように「すごく運転がスムーズね、これなら安心して乗っていられるわ、今日はどこか景色のきれいな所に連れてって」と褒めて気分を良くさせて課題を与えるのが「コーチング」です。極論を言えば「失敗させない」のが「ティーチング」、「失敗から学ばせる」のが「コーチング」とも言えます。どちらが良いとか悪いということではなく、ケースバイケースで使い分けるのが賢い教え方だと思います。
 一つ例を挙げると、あなたの行きつけのレストランがあるとします。そこであなたがウェイトレスに作法や食事を出すタイミングを自分の納得のいくように教えたとします。するとその店のスタッフは「あの客はうるさいからこうゆう方法を守っていれば間違いない」とあなた向けのマニュアルを作成するに違いありません。一見快適に食事が出来る環境が整ったように見えますが、それ以上にあなたを喜ばせるサービスは期待できそうにありません。それに対してウェイトレスに「今日は笑顔が素敵だね、何か良いことがあったの?」などと相手に好かれる言葉をなげかけながら「自分はこんなサービスをされると嬉しい」と伝えておくと、機会があるたびにあなたを喜ばせるサービスを、手をかえ品をかえ提供してくれるに違いありません。前者のウェイトレスの心の中は「どうしたら叱られないで済むだろう」という気持ちが一杯で、余裕が生まれないのに対して、後者のウェイトレスの心の中には「どうしたら喜んでもらえるだろう、あんな方法はどうかな、あれも喜んでもらえそう」とアイデアがどんどん膨らんでいきます。
 確かに一般的な社会常識を教えるとか、マナーを教えるときは「コーチング」でなくて「ティーチング」が必要な場合もあります。特に相手が子供の場合は「ティーチング」の割合が多くなるでしょう。しかし相手が大人の場合は、殆ど「コーチング」が必要な場面です。「ティーチング」によって本人の成長を阻害しているケースがよく見られます。
 ここで「コーチング」においてとても大切なことがあります。それは「相手が自分の力で学習をし、成長すると信ずること」です。極端な言い方ですが、相手の成長を邪魔しないことが最高の「コーチング」かもしれません。
人間は幾つになっても成長し続ける素晴らしい生き物です。僕を含めてみんな、これからいっぱい失敗しながら、色々学んで大きくなっていきませんか?失敗大賛成!