通信Vol.44(2008年1月)

 早いもので年が明けてはや半月が過ぎました。2008年はあと11ヶ月と半月です(当たり前ですが)何事も何事も先を見据えて生きていきたいものですね。人生は瞬(またた)く間に終わってしまいますよ。
 今回は、最近テレビである女優さんを見ていて気付いたことをお話したいと思います。
突然ですが貴方は最近誰かに叱(しか)られましたか?子供の頃や若いころはよく親や近所のおじさんおばさんに叱られたと思います。歳をとって「最近の若いもんは・・・」という愚痴(ぐち)をこぼしている人をよく見かけますが、「最近の老人は・・・」という言葉はあまり聞きません。よく観察していると列車の中やエレベーターのマナーの悪い年配の人を見かけますが誰も注意しません。自分より年上の人を注意できる人ってあまりいないのではないでしょうか。
 歳をとると色んなマナーが身について注意されなくなるのではなく、誰も親身に自分の将来を案じて注意してくれなくなるのでしょうね。老人にも未来はあるはずなんですが、言ってもわかってもらえないし、言うだけ無駄だと思うのかもしれませんね。
 注意するということは、相手の将来を案(あん)じて「ここで注意しないと相手が将来恥をかくぞ」とか「社会に出て恥ずかしくない人になってもらいたい」という思いから進言(しんげん)するのです。注意すれば憎まれるのはわかっていますから、誰も好き好んで注意なんかはしたくないのです。
 若い頃は叱ってくれる人が回りに沢山いてありがたいのですが、歳を重ねるにつれ叱ってくれる人は少なくなってきます。親も弱ってくると子供に逆ギレされたりして口を出さなくなります。そこで「自分は人間が出来てきたのだ」と勘違いするか、「誰も注意してくれなくなった、これからは注意してくれる人を大事にしよう」と謙虚(けんきょ)に生きるかでは何年か後に雲泥(うんでい)の差が出ます。
 誰でも歳を重ねるにつれ叱ったり忠告してくれる人は少なくなるし、ついつい叱られた時の言い訳(ヘリクツ?)が口をついて出そうになります。叱る方の立場に立ってみると、叱った時にヘリクツを言われると次回から叱るのを躊躇(ちゅうちょ)します。「どうせ言ってもヘリクツ言うんだろう(わかんないだろう)」と思うのです。そうなると叱られずに済んだ方は、間違ったことをしていても気付かないままどこかで恥をかくか、後ろ指を差されながら裸の王様になっていくのでしょう。だいたい、叱られたり忠告されて腹が立つのは、指摘(してき)が的(まと)を射(い)ている証拠(しょうこ)なのですが、自分ではなかなか認められません。自分の行動はあくまでも正当化しようとします。
 ではどうすれば常に謙虚でいられるのかというと第一に「メンター(人生の師)」を持つことです。お手本となる人がいると、その人と自分との差異点(さいてん)を見つけて直すことが出来ます。メンターは何人いてもかまいません。第二には身近に良きアドバイザーを持つことです。夫婦、友人、自分の思っていることを何でも話せて、忌憚(きたん)のないの意見を言ってくれる人が居たらその人は宝です。成人した後は、自分に意見してくれる人を持たないとどんどん高慢(こうまん)になっていきます。第三には自分の考え方や行動が世間一般的に見て常識的かどうかを自分でモニタリングしてみることが大切です。一番わかりやすいのは誰かにビデオを撮ってもらうことですが、そこまでしなくても言ったりやったりするまえにもう一度踏み止まって「こんなことを言っても良いのかな」「こんなことをして大丈夫かな」と再考(さいこう)するだけで違うはずです。これが出来ていれば食品偽装問題もなかったかもしれませんね。
誤解して欲しくないのですが、人間的に立派になれとか、謙虚に感謝して生きろという精神論を述べているんではないんです。謙虚になれば人が寄ってきます、人が寄ってくるということはお金も寄ってきます。お金(お札)の表に人の顔が印刷してあるのはだてじゃないんですよ。お金といっても根本は人と同じなんですよね。人もお金も水と同じで低いところへ集まってきます。一箇所に貯めると腐るのも同じ、常に循環(じゅんかん)が大切。