通信Vol.49(2008年6月)

 窓から眺める新緑も色濃さを増して、いよいよ夏を迎える季節となりました。樹木の勢いに負けそうになっていた自分の気持もようやく追いついてきました。

 今回は「自分を知る」と題してお話したいと思います。
 あなたは自分のことをどれくらい知っていますか?長所、短所、趣味、特技、嗜好、癖なんでもかまいませんがどれくらい列挙できますか?
僕は、自分を知ることが社会でも家庭でも、とても大切なことだと思っています。何故かというと、自分のことがわからないと自分らしさ・自分の長所がだせない、ひいては幸せな生き方が見つけられないと思うからです。

譬えて言うなら、自分が乗っている車の性能を知らなかったら、スポーツカーで河原に乗り入れて動けなくなったり、軽自動車で高速道路をかっ飛ばしてエンジンが焼きついたりします。自分の乗っている車の特徴や性能を知ることによって長所がいかんなく発揮されるのです。軽トラには軽トラの素晴らしさがあり、スポーツカーにはスポーツカーの良さがあり、1BOXカーには1BOXカーのメリットがあります。
他人のしていることを見て「すごいなー」「偉いなー」と誉めることが出来る人は、自分と他人を比べて自分より他人が優れている部分があると認められる人、と同時に自分にも他人に負けない部分があるんだという自信のある人です。軽トラは高速道路でフェラーリに追い抜かれても「僕も時速300km出せるようになりたい」とは思わないでしょう、「高速じゃヤツ(フェラーリ)の方がすごいけど、俺も田んぼに行ったら負けねーぜ」という自信があるはずです。自分に自信があるから、他人を認めて誉められるのです。

自分の長所に気付くと、短所も認められます。自分の短所を認めるというのは勇気のいることです。「俺ってここがだらしないよな」「わたしってめんどくさがりね」「自分って人に注意できるほどもの覚えが良くないな」と思えると、他人の行動を見ても腹が立たなくなります。
テレビで矢の刺さったカモや、色んな動物虐待のニュースが流れるとコメンテーターやキャスターが口を揃えて「ひどいことをしますね」と怒っていますが、彼らの食卓に牛肉や鳥肉が並ぶことは無いのだろうかと疑問に思います。自分に都合の良い時には、どんな残酷なことでもしているのです。宿題に中々とり掛からない子どもを叱ろうと思って、ふと自分の子供の頃を思い出して「そういえば俺も最後まで手をつけなかったなー」と反省したり、「あいつの部屋散らかってたなー」と思ったら自分の身のまわりも散らかっていたりします。自分が出来ないことを棚に上げて他人には色んな要求をしているのが現実ではないでしょうか。

 自分を知ることは安心にもつながります。たとえばこんな言葉をよく耳にします。「あの人にバカにされた・・」馬鹿にされたという言葉を鵜呑みにすると「相手の言葉によって自分が馬鹿になった」ということでしょうか?私が誰かに何か言われて馬鹿になったのなら大変なことですが、誰に何を言われようが自分の価値は変わりません。誰かが私に「馬鹿!」と言っても本当に馬鹿なのなら当たっているので腹を立てる必要がありませんし、馬鹿じゃないなら相手の言い分は間違っているのでやはり腹を立てる必要がありません。自分をよく知りさえすれば、相手の言葉に過剰に反応する必要は無いのです。自分の価値は、相手の言葉によって上がったり下がったりするわけではないのですが、相手の言葉が心に刺さって苦になることはよくあります。そんな時は、時間をかけて自分の価値を見つめ直してみてはどうでしょうか?
 自分を知るということは、過剰評価でもなく、過小評価でもなく、本当の自分の姿を見ていくということです。自分を知ることの大切さがわかっていただけたでしょうか。