通信Vol.50(2008年7月)

 今年は雨が少ないようでありがたい反面、夏の渇水が心配になってきますね。

 先日友人の紹介で20代前半の男性に会ってお酒を飲んだのですが、歳に関係なく魅力的な人は居るものだなーと感心しました。今回は彼(A君としましょう)のエピソードを紹介したいと思います。
 ある日の職場の昼休みの出来事、私の友人がみんなで食べようとおにぎりを差し入れました。タイミングも悪かったのかもしれませんが誰もそのおにぎりに手を着けません。「どうぞ」と勧めても「おなか一杯です」と断る人ばかり。その中で一番若いA君だけが「いただきまーす」といっておにぎりを数個食べて「ごちそうさま、美味しかったです。」と言ってくれたそうです。意識的かどうかはわかりませんが、A君は瞬時に自分がどう動いたら先輩が喜ぶかを考えたのです。
 その話を聞いて「なんて思いやりのある人だろう」と思いました。こういうのを今風に言うと空気が読めると言うんでしょうか。A君のように相手の立場に立って物事を考えられるということは、それだけで特技と呼べるかもしれません。
例えば、友人や会社の上司や部下、同僚から「私・・・と思うんだけど、あなたは、どう思う?」と相談されたとします。空気の読める人は相手が求めている回答を踏まえた上で「自分ならこう思う」という意見を述べます。でもよく見る失敗例は「あなたの場合はこうしたほうがいい」と自分の考えを押し付けている場合です。「どう思う?」と聞かれているのに「私はこう思う」という回答になっていないので、聞いた方もなんだかしっくりこないのです。
 
仏教を広められた釈迦は大宇宙最高の仏のさとりを開いておられた方です。ある日、お弟子が「お釈迦様ほどの方は、悩みは無いのでしょうね」とお訊ねすると「たしかにあれが欲しいこれが欲しという悩みはないが、仏の眼には人々が雨のように地獄(苦しみの世界)に落ちているのが見える、どうしたら彼らに救いの法を教えることが出来るかを日々悩んでいる。」とおっしゃいました。
 以前ある先輩に、自分の会社のことを相談した時、最後に「悩みは尽きませんよね」と言ったら先輩は一言「お前のは悩みでなくて愚痴や、悩みってのは自分がどう動くかを考えることや、他人を思い通りに動かしたいと考えるのは愚痴や」と言われて「ハッ」としました。如何に自分中心に物事を考えているかを知らされて反省しました。

私たちは「悩んでいる」と言いながら中身はどうかというと「子供が言うことを聞かない」「あの上司が仕事をしないから」「あの人が私の思いどおりにならないから」「亭主が酒癖が悪い」「隣の家の庭に草が生えている」と自分にはどうする事も出来ないことで頭を使っています。
悩むべきは「子供にどう言ったらわかってもらえるか」「どう上司のサポートをするか」「あの人にどう自分の思いを伝えるか」「どう接したら亭主の酒の量が減るのか」ということではないでしょうか。自分がどう言ったら相手に伝わるかとか、どう助言したら相手が成長するかを考えているのが「悩んでいる」という状態で、これには周りの人もアドバイスのしようがありますが「あの人が・・・」「子供が・・・」「上司が・・・」「部下が・・・」と言いかけたら、黙って聞くしかありません。悩みではなくて「愚痴」だからです。

相手の為に自分がどう動こうか、どう言ったらいいかを考えると毎日脳みそはクタクタに疲れます。でもその分夜はグッスリ眠れます。悩みが不眠の原因だと思っている人は、もう一度「自分の問題」か「他人の問題」かを自分に問いかけてみるといいかもしれませんね。