通信Vol.53(2008年10月)

 ある日の我が家での出来事。夕食を終えた小四の娘に言った「早いうちに宿題やりなよ。」その言葉に即座に反論「やる気なくなった。」「なんで?」「だってやれって言われてやったら、指示に従ったみたいだから、やだ。」(なるほど、体は子供だけど頭の中は大人だねー。俺もその気持ちよくわかるよ)
 
 ブラジルで学生に最も人気の高い大企業を経営するリカルド・セムラー氏は著書の中でこう言っています「わたし達は、生活や文化のあらゆる側面で、デモクラシー(民主制)を求めています。私生活や銀行、子供の学校、家族や友人の間では、人は一人前のおとなと見なされているのに、それが職場になると突然、半人前の若者のように扱われてしまうのはどうしてなのでしょうか?」と。

自分は「ああしなさい」「こうしなさい」とコントロールされるのが嫌なのに、なぜ他人に対して「○○しておきなさい」「こうならないとだめだ」と他人をコントロールしたくなるのでしょうか?

人は黙って見ていると驚くべき力を発揮する時があります。もちろん「失敗しても大丈夫、私が付いているから」という後ろ盾は必要ですが。子供でも大人でも、どんな難問でも必ず解決できる力を持っていると信じています。解決できない問題は起きっこないんです。小学生に事故米流通の後始末をさせるなんていう事態は起きようがないですから。同級生に苛められた、先生に叱られたといった問題ばかりのはずです。

 でも他人が問題にぶつかるとつい助け船を出したくなるのが人情です。でもそこをググッとこらえる忍耐が大人には必要です。ややもすると「冷たい人」と思われがちですが、「相手を信じて何も言わない」のと「無関心」は違います。
どうするのがその人の為になるのかを熟慮する必要があります。自分で荒波を乗り越えられると信じて、あえて大海に手漕ぎボートで船出させる勇気が必要です。
「何を助言するか」でなくて「何を言わないか」が大切ではないでしょうか。助言をしないからといって何もしゃべらない人がたまにいますが、人と人のコミュニケーションは大切ですから会話の中で言葉を選んでしゃべるということです。

 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーはある人に「君より部下の方が優秀だね」と言われて「そうさ彼らの方が私より優秀に決まっているさ、だけどね、私はその優秀な彼らを必要な時に呼んで、仕事をさせているのだよ」と言ったそうです。彼の墓標にはこうかかれているそうです。 「自分より実力のある仲間たちを集めた者、ここに眠る」と。
 これを聞いて事業経営だけでなく社会貢献事業もしていたカーネギーを力のなかった人だと思う人がいるでしょうか。彼は自分の仕事の領域をわきまえた、素晴らしいリーダーであったに違いありません。「リーダーの力でなく自分の力でここまで成長できたのだ」、部下にそう思わせたら、リーダーとしては本望です。
 
「親は無くても子は育つ」ということわざがありますが「親があっても子は育つ」の方が正解かもしれません。戦後は親が忙しくて、兄弟の子守りをしながら家事をしたなんて話をよく聞きます。その頃の子供達が大人となり高度経済成長を支えてきました。自分で考えながら大人のように振舞うことで、子供も成長できたのでしょう。現代は親が子供の問題を取り上げて成長の妨げになっている時代かもしれません。
親子に限らず他人と関わることは大切なことだと思いますが、相手の宿題まで取り上げないようにしたいものですね。必ず自分自身で解決できるはずですから。