通信Vol.54(2008年11月)

言葉は使う人の気持ち次第で美しくもなり、凶器にもなります。

ある方から送られてきた詩↓↓↓を読んで泣けました。

『母さんとアイスクリーム。』
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった…
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった。
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった。
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんがひかれた…!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車にひかれた事。
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事。
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事。
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた。
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある。
母さん、ごめんよ
最後に死ねって言ったこと今でも悔やむよお母さん。

これを読んで、ある出来事を思い出しました。昔小学生のころ、夜遅くなって次の日学校に画用紙を持っていかなければいけないことを思い出した僕は、母親に無理を言って車で5分ほどのところにある文房具屋に行って買ってきてくれるように頼みました(実際はもっとキツイ口調で言ったのですが)。冬の凍みる夜に車を走らせた母は15分ほどして青ざめて帰ってきました。「○○橋を過ぎた交差点で、車が回転した」というのです。幸い他に車がいなくて事故にはならずに帰ってこれたのですが、あの時事故にあっていたらと思うとゾッとします。

言葉は自分の口から出た後は一人歩きをします。相手の心の中で何度も反復されたり、記憶に留まって何年も相手を苦しめたり、楽しませたり、喜ばせたり。

 一期一会という言葉があります。一期(一生)に一会(一度きりの出会い)ということですが、この無常の世の中、誰と何時どんな形で別離するかわかりません。最後に交わした一言が相手の心に留まってあなたのイメージを確定してしまいます。親子、夫婦、知人、友人、ご近所さん、会社の同僚と、いつも今生最後の別れと思って接してみてはいかがでしょうか。嫌いな相手にも少し角の取れた態度や言葉で接することが出来るのではないでしょうか。