通信Vol.56(2009年1月)

 2009年は正月気分も吹き飛んでしまうほど、波乱の幕開けといった感じがします。東京の派遣村では500人もの職を失った人たちが寝泊りをしていると聞き、とても他人事とは思えません。中には少しずつ職が決まったり住むところが見つかって出て行く人もいると聞き、少し希望も見えていますが、楽観は出来ません。何故なら今新聞やテレビで派遣切りを見ている正社員が同じ道を歩みそうな気配だからです。
 経済アナリスト達は100年に一度の恐慌が来るとの見方を強めていますが、どうやら社会経済が本当に未曾有(未だかつてないこと)の事態に転落しそうです。いたずらに不安を煽っていると揶揄する人もいますが、津波が襲ってくる前に「津波が来るぞ」という警告は必要です。何も知らないで津波にのみ込まれるのと、予備知識を持った上で対策をして津波にのまれるのでは怪我の度合いが違うのです。社会が悪い、経済が悪いとぼやいてみても、自分や家族を守れるのは自分しかいません。荒波を乗り切る力を一人一人がつける必要があります。

どうしたらこれからやってくる世の中を乗り越えていけるのか。平穏な世の中ならなんとなく生きていてもそれなりにお金を稼いで人並みの生活を送れますが、世界同時恐慌の中生きていくのは悪天候の中、大海に手漕ぎボートで漕ぎ出すようなものです。自力でオールを漕いで乗り切る腕力と方向を見定める眼力が必要です。では腕力と眼力をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

 まず荒波の中を漕ぎきる腕力ということについて考えてみましょう。肉体の力でいえば筋肉隆々の太い腕が、力があって頼もしい印象を受けますが、人生において肉体の力の強弱はあまり関係がありません。他人から、企業から求められる強さとは、与えられた状況下で黙々と職務を全う出来る柔軟さです。旧国鉄が民営化されて現在のJRになった時、列車の車掌だった人がショップやホテルの接客業務に異動になって、こんな仕事は自分には出来ないと退職した人があったと聞きますが、自分のプライドにこだわって新しいものを受け入れられない硬さが、混迷の時代には弱点になるのでしょう。
 「泥水をすする」という比喩があります。のどが渇いて生きるか死ぬかという時には「これは泥水だから」などと言っていられない、どんな水でもすする覚悟ということですが、いざとなったら自分がどんな仕事でもやり抜く覚悟がありますか?もちろん人間としての尊厳を失ったり、他人を卑しめる仕事は出来なくて当然だと思いますが、汚い、恥ずかしいとかみっともないということが言っていられない状況に陥った時に、プライドを捨てて行動が出来るかどうかが、真の強さではないでしょうか?

 もう一つ大切なのが、どちらに向かって進むかという眼力を養うことです。どんな仕事に就いたら将来安心とか、お金は何処に預けたら安全かというのも大切なことですが、もっと大切なのは、自分が何の為に生きているのかという根本的な人間力が備わった眼力です。お金を稼ぐのは何の為?家を建てるのは何の為?健康に気を付けるのは何の為?家族をつくるのは何の為?一つ一つの問いを突き詰めていった時に丸裸にされる自分の姿があります。やがて死んでいかなければいけないのに、どうして頑張らなければならないのかという問いの答えが見つかった時、死ぬほど頑張って荒波の中オールを漕ぐ事が出来るのです。伝説の創業者と言われるソニー井深大松下電器松下幸之助、ホンダの本田宗一郎等々も皆、深い人生哲学を持った人ばかりです。
 
 新時代はお金の有る無しや地位の高低、名誉等、今までの幸福の基準が崩れようとしています、これからは人間力の高さ、人としての本質的な強さが大切な世の中になるのかもしれませんね。