通信Vol.64(2009年9月)

今年の初夏に、種を植えた食用ほうずきが、もうじき実を付けそうで、毎日楽しみに眺めています。そんなことに喜べる自分を客観的に眺めながら、「俺も歳とったなー」と感じるこの頃です。
 突然ですが、あなたはほめられて伸びる「ほめられ派」ですか?叱られて伸びる「叱られ派」ですか?
 「ほめられ派」と自認している僕が、かつて大型自動車の免許を取りに教習所に通っていた頃の話です。
普通自動車免許は教習所に通わずにとったこともあって、車の運転には少しばかり自信があった僕は、大型免許も楽勝だろうとタカをくくっていたのですが、教習していくにしたがって、同乗する教官によってその日の出来が良い日と、最初から最後までつまづきっぱなしの日があることに気が付きました。しかも調子の良い時の教官も、悪い時の教官も決まった人なのです。
 調子が良い時の教官は「お、うまいね」「いいよ、その感じ」とほめてくれるのですが、悪い時の教官は「ハンドルを切るタイミングが遅い」「どうしてそのタイミングかなー」とダメ出しが多いのです。ダメ出しばかりされていると「俺って運転下手なのかな?」「どのタイミングでハンドル切るんだっけ?」と余計な思いが色々頭の中を駆け巡って、リラックス出来ないのです。
仕事でもスポーツでも、自分の力を出し切ろうと思ったらリラックスすることが大切です。人は緊張すると体も頭も委縮してしまって、自分の力を出し切れなくなってしまいます。それに気が付いてからは、なるべく相性の良い教官に当たるように教習の予約を取るようにしました。

なぜそんな昔のことを思い出したかというと、最近日記をつけだして、仕事や家庭でその日うまくいかなかったと思った点を書き出すようにしたのです。反省の意味を込めて二度同じ石でつまづかないようにと思って書きはじめたのですが、これがなかなかうまくいかないのです。一つクリアすると別の問題にぶち当たる。忘れた頃にまた前の問題にぶち当たる。そこで一つの仮説を立てたのです。
間違えないように、失敗しないようにと思って書いた言葉が、逆に失敗する為のプログラムとして脳にせっせと書き込んでいるのではないだろうかと。人間の脳はすごくだまされやすいのです。「いいぞいいぞ、この調子」とプラスの言葉を聞かせたり文字を読ませたりすると本当にプラスになる行動しかしなくなり、「どうしてうまくいかないんだ」「また失敗だ」とマイナス言葉を聞かせていると、マイナスに働く行動を体が勝手にとるようになります。
「○○をやってはダメ」とインプットしていると「ダメ」の部分だけ抜け落ちて「○○を・・」が残るようなんですね。そういえば昔、中学の英語のテスト勉強をしている時に父親に「ここはこうゆう風に間違えやすいから気をつけろ」と教えられて、テスト本番でその通りに間違えたことを思い出しました。

ではどうすれば良いのか。答えは簡単です。悪いことが起きた時は悪い事柄の中から良かった点を書き出して、良いことがあった時はなぜこんなに良いことがあったのか詳しく書き記すのです。そうすることによってプラスの情報のみが脳に書き込まれて、どんどん良い方向に進みます。
日記にプラスの出来事を書き留めるようにしたら、毎日どんどん良い方向に物事が進むようになりました。やはり僕は「ほめられ派」なんですね。
 
 世の中には「ほめられ派」「叱られ派」どちらが多いのでしょう。周りを見渡してみるとほとんどが「ほめられ派」ではないでしょうか。自分が「ほめられ派」なのに他人をほめるのって難しいですよね。特に家族のように近い存在の人をほめるのって照れくさいですが、誰でもほめられたらきっと嬉しいはず。欠点には目をつむって長所を見つけてみませんか?きっと自分に良いことが起こりますよ。