通信Vol.63(2009年8月)

今年は梅雨が長引いたうえに、梅雨明け後もすっきりしない天気が続いて、農作物も日照不足の影響が心配されていますが、我が家のプチ農園は元気な野菜たちがスクスクと育っています。

 皆さんは毎日の生活の中で、どれだけ『わけ無し行動』をやっていますか?『わけ無し行動』とは明確な理由付けの無い行動ということで、他人から「何故それをやらなくてはいけないの?自分の自由じゃん」と言われて「○○の為にしなきゃいけないから、やりなさい」と強制力のある理由付けが出来ない行動ということです。

 たとえば朝の挨拶、「おはよう」「おはようございます」という挨拶は誰もが家庭や地域、会社で言っていますが「なぜ、挨拶をしなければいけないの?」と聞かれると、もっともらしい答えがありません。「気持ちがいいから」「人間関係に重要だから」位しか思い浮かびません。

 他にも『わけ無し行動』はたくさんあります。身の回りの整理整頓、朝の掃除、ご飯を頂く前の合掌、車の洗車、身だしなみ、笑顔、親切、ラジオ体操、・・・etc、こうしてあげてみると昔学校や家で大事だからといって躾けられてきたものばかりのような気がします。

 しかし、先にもあげたようにその強制力の無さからか、段々となおざりにされてきたように思います。注意しようにも相手に「何故やらなきゃいけないんですか?」と聞き返されると返答に困るからです。戦後までは先輩や年配者の言うことに「何故ですか?」などと聞いたならぶん殴られたので、わけも聞かずに言われたとおりに従ってきたのですが、最近は理屈をこねる子供や大人が増えすぎました。

 日進月歩の科学の恩恵か、暑ければエアコンをつけて快適な環境を作り出します。時間がなければお金で飛行機や電車、高速道路を使って、時間を買っています。近代は環境に合わせて自分を変えるよりも、自分に合った環境を捜し求めるようになってきたように思います。と同時に色んな便利さに慣れてしまって感謝の気持ちをどこかに置き忘れてきたような気がするのです。理由の無いことはやりたくないというのも、自分中心の世の中を作り出しているような気がします。

 最近、自分をわざと不便さの中に身をおいてみるのが楽しいと感じるようになりました。エアコンを切って汗をかきながらうちわで扇いでみる。自転車や徒歩で会社まで行ってみる。アトラクションや食べ物屋の行列に並んでみる。昔を思い出して、時代に逆行してみたくなっただけですが・・・
私が子供の頃、家の車にクーラー(当時はエアコンでなくてクーラーと呼んでいました)なんてついていませんでした。夏の海水浴に行くときは、富山ナンバーの車にはどれもクーラーが付いていてうらやましく思ったものです。国府から高山へ行くにもバスや汽車に乗ってということがよくあったし、高3の夏期講習や受験で名古屋へ出るときは、特急(ワイドビューは無かった)や急行でなくて、各駅停車で5時間かけて名古屋に行きました。

 便利さと不便さを知って、今の生活に感謝をしたり、『わけ無し行動』を一生懸命やってみることってとても大事なことだなと最近思います。何故かって?それはやってみた人にしかわからないのです。スイカの味が文字で表せないように、これらの大切さはやってみた人にしかわからないのです。そしてこれからの社会、こういう事を大切にしていく人が中心的存在になっていくような気がしてならないのです。何故なら私自身が自分の老後、会社を任せたり大事な仕事を任せる人を選任する場合の判断基準としていくだろうと思えるからです。そしてそう思うのは、私一人だけではないと感じるから・・・