通信Vol.69(2010年2月)

ようやくバンクーバーオリンピックも開幕し、日本人選手の活躍を期待していますが、世界トップレベルの技のぶつかり合いは、それだけで見ていてワクワク感動します。

 スポーツ選手、特にオリンピックに出場する選手は、4年に一回の桧舞台の為に毎日血のにじむような練習をしています。
 日々努力をしている人を見ると、必ず思い出す話があります。自戒の言葉として強く印象に残っている、こんな話です。

 あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんが町へ買い物に出かけた時にふと見ると、おばあさんの好物の饅頭が店頭で売られていました。とても美味しそうなので
2人で食べようと饅頭を10個買って帰りました。家に帰るとおばあさんは、大好物の饅頭に大喜び。お茶を入れて2人で縁側に座って食べ始めました。おじいさんとおばあさん、2人仲良く1個目をペロリ、2個目もペロリ、3個目もペロリと食べました。4個目も何とか食べて、さすがにおなか一杯になってきましたが、あまりに美味しいので5個目も残さず食べてしまいました。「あー美味しかった、さすがに5個目の饅頭はえらかったけど美味しかったなー、ばあさんや」「ほんとうに、美味しかったねおじいさん、5個目で満腹じゃね、ごちそう様」と二人は満足そうです。その様子を見ていた隣の家の欲張りばあさん。「あの2人はなんて馬鹿なんじゃろ、最初っから5個目を食べておけば、1個で満腹してあんなに饅頭買わなくて済んだのに」と町へ行き、先ほどの饅頭屋の店先で、ほかの客が饅頭を5個買おうとしているところに割り込み、店員が「1個、2個、3個、4個・・」と数えたところで「その5個目の饅頭下さいな」と言いました。店員は(おかしなばあさんだな)と思いましたが、饅頭を1個渡しました。家に帰った欲張りばあさん、「しめしめ5個目の饅頭1個で満腹になれば、安上がりじゃわい」と一人ほくそ笑んで饅頭をほおばりましたが、ちっともお腹一杯になりません。「おっかしいなー、5個目の饅頭だから腹いっぱいになるはずなのに」と首をかしげました。それもそのはず、1個目の饅頭なんですから。
 そんな馬鹿な人がいるはずないと思いますか?
 喩えを饅頭から少し変えてみましょう。たとえば、学生時代勉強を一生懸命にやっていたA君が一流企業の係長、自分がフリーターだとすると、A君のことが何だか妬ましく思えてきませんか?今までスポーツや勉強でライバルだと思っていた友達が、一歩先を行くようになると何だか腹立たしく思えてきませんか?他人の水面下での努力を見ないで結果ばかりを羨む心は、5個目の饅頭を狙っている心と同じだと思いませんか?
 私は20代前半の頃(ちょうどバブル経済真っ只中)から企業経営者に憧れを持っていました。自分もいつかは一国一城の主になりたいと思うようになり、経営に関する本を何十冊も読み漁りました。だんだん知恵が付くにつれ「良い経営者」、「悪い経営者」を分類するようになりました。「自分だったらこんな経営はしない」とか「もっとこうやれば儲かるのに」「商売の基本がわかってない」と一丁前に評論をしていました。自分はフリーターの身分で評論家のように評論をし、夢だけは何時かは経営者になって自社ビルを建てたいとか、高級車に乗っている自分を想像していました。まさに5個目の饅頭だけを狙っていたのです。経営者の苦労も知らないであんなことを言っていた自分が恥ずかしく思えます。
自分では気を付けているつもりでも、人真似をして金儲けをしたいとか、どこかに打ち出の小槌が落ちているんじゃないかという、妄想が沸きあがってきます。他人の持ち物や地位を羨む心は、すべて「5個目の饅頭を狙う心」と言っても過言ではないでしょう。

 やはり1個目の饅頭からコツコツと食べていった結果5個目で満腹するように、目の前の饅頭を食べることに専念することが、豊かな人生を歩めるのかもしれませんね。