通信Vol.79(2010年12月)

 昨年は、雪囲いも始めないうちにどっさり雪が降って、庭木や家の周りのものが大分傷んだので、「今年は」と意気込んで雪囲いをしてみたものの、「こんな年に限って雪は少ないんだよな」ともう一人の自分がささやいたりして、雪を待っている気持ちと、降って欲しくない気持が交錯して複雑ですね。

今回は、仕事をする上で私が一番大切だと思うことについてお話ししたいと思います。
私は仕事をする上でとても大切なことの一つに、人としてのアイデンティティが上げられると思います。アイデンティティとは、辞書を引くと「自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念」とあります。分かりやすく言うと何のために働くのか?何のために毎日会社に行って色んな事を我慢しながら働かなければいけないのか?ということをハッキリさせるということです。

 働くことを旅行に譬えるなら、どんな仕事に就くかという選択はどんな手段で目的地に行くかという選択に置き換えられます。バスで行くのか、クルマで行くのか、電車で行くのか、どのルートを通って行くのかという問題です。
 旅行ならば、どんな方法で行くかよりもっと大事なのは何処へ行くのかという目的地です。

 ところが世間一般に働くことについて、何故働くのかという目的よりもどんな仕事をするのかという手段だけがクローズアップされています。

 働く目的さえしっかりしていれば少しくらい嫌なことがあったり仕事の内容が自分の希望とずれていても我慢できます。ところが働くことそのものが目的になっていると、嫌いな上司や同僚と一緒に働いたり、仕事の内容が自分の思いと違ったりした時に仕事を辞めたい衝動にかられます。
 明確な目的地を持っていると、手段には多少の融通がききます。バスや電車の到着時間が少し遅れても高速道路が渋滞しても大した問題ではありません。

 仕事だけでなくあらゆることにおいても同じことが言えます。思考の自由度の狭い人、許容範囲の狭い人というのは、えてして物事の目的と手段をしっかり分けて考えられない人が多いのは事実です。

 これらのことからも色んな物事においてアイデンティティが重要であることはわかって頂けると思います。その為に、仕事人としてのアイデンティティも大事ですが、人としてのアイデンティティがもっと重要であると思います。

私は小学5年生のときに腎炎を発病し半年間の入院を経験しました。10歳の子供にとって得体の知れない病にかかって突然の入院生活。しかも安静が必要で、トイレ以外は勉強も遊びも全てベッドの上での生活。そこから連想するものは「死」でした。ハッキリ「死」を意識していたわけではありませんが、漠然と「死」に対する不安はその時から今日に至るまで、心の隅に常駐しています。だからこそ今という瞬間、自分は何をすべきなのかを常に考えるようになりました。自分はいったい何処からやってきて、何処に向かって生きているのかを何時も自問しています(セルフアイデンティティと呼ばれるものです)。ここさえしっかり押さえる事が出来れば、どんな仕事をしていようが、どんな暮らしぶりをしていようが、どこに住んでいようが、どんな肩書きがあろうが、大した問題でなくなるのではないでしょうか。
 新年のスタートは、じっくり自己のアイデンティティについて考えてみませんか?