通信Vol.92(2012年1月)

年末から、すっかり雪景色になり飛騨の冬らしくなりました。雪空と睨めっこしながら、屋根の雪を下ろそうかどうしようかと、思案している今日この頃です。

今回は、自分の心の色眼鏡を通して見える世界と題してお話ししたいと思います。
人はそれぞれ見ている世界が違います。視覚的な情報でなく、心で感じる世界というのは全て自分の心の色眼鏡を通した景色を見ています。
テレビで同じニュースを見ていても、隣の人と自分ではちがう受け取り方をしているということなんですが、中々そうは思えません。自分が思っているように他の人も感じていると思ってしまいます。同じ法律の上に立って、人を裁く最高裁の裁判官でさえ全員一致で同じ判決ということは稀なように、人の思いや考えは十人十色、百人百様です。

 世の中の出来事は心の色眼鏡を通して心に入り、それによって感じたことが言葉として出てきます。もっと詳しく言うと、話す言葉の内容でその人がどんな色眼鏡を持っているのか、どんな考えを持っているのか、どんな欲求を持っているのか見えてくることがあります。

 例えば、自分が浮気をしたいと思っている人は、パートナーが浮気しているのではないかと疑わしく見えてきます。浮気願望も後ろめたさもない人は、たいていパートナーの行動に無頓着です。自分が忙しいと思っている人は、他人も忙しいと思っていますし、普段、暇をもてあましている人は、世の中の人は暇をもてあましているんだろうと思います。つまり他人を疑っている事柄が、自分の欲求や後ろめたいことの現れとも言えます。
以前お付き合いのあった会社の社長は、自分の目が行き届かないところで従業員がさぼっているんじゃないかと疑って、私に「こっそり支店を見て来てくれ」と言われましたが、その社長さんは日中ゴルフをしたり、よく喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。自分がサボっている後ろめたさ(もちろん自覚はありませんが)が、他人のサボりを疑うという行動に現れていたわけです。
テレビで国会中継を見ていても「発言がぶれているじゃないか」と言って大臣を糾弾している国会議員の論点もぶれぶれですし、他の国会議員の秘書給与の不正流用事件を声高らかに糾弾していた人が、自分も同じことをして逮捕されました。同僚の不倫が許せないと言っていた人が不倫に走った話も聞いたことがあります。
 
 ここで誤解しないで欲しいのですが、他人の言動を見て、その人が心の奥底で何を考えているのか考えてみて下さいと言っているのではないのです。他人の心の中なんて読めたって一文の得にもなりゃしません。他人がどう思おうが、どんな欲求を持とうが自分には99%関係の無いことです。そんな無駄なことに時間を使う暇があったら、自分の言動を分析して、自分の心を見つめ反省する材料にしたらどうかという提案なのです。

 自分の事は、自分が一番知っているような気になっていますが、実はあまり分かっていません。自分は世の中で絶対正しいと誰もが思っています。しかし、自分の心の色眼鏡で世の中の事を見て、自分の都合の良いように歪曲して情報を記憶するのが常です。記憶さえも全て心の色眼鏡を通した情報の寄せ集めなのです。客観的事実と記憶した情報に大きな隔たりがある経験をした人も多いと思います。自分の思いも記憶も自分にとって都合の良いことがグローバルスタンダードなんだと思い込まないで、自分の独りよがりだと知った時に色んな事に謙虚になれるのではないでしょうか?
自分の隠れた欲求や、気付かない自分の行動に改めて気付いた時に愕然とすることもありますが、自分自身を知ることが人間としての深みを増すとは思いませんか?