通信Vol.99(2012年8月)

毎日暑い日が続いていますが、日が短くなってきたことに気づきましたか?ロンドンオリンピックも閉会し、2012年も折り返し地点を過ぎて、すでに後半に入っています。

今回は「自由」ということについて一緒に考えてみたいと思います。皆さんは「自由」が好きですか?「自由」より「束縛」が好きという人は少ないのではないでしょうか?
でもよく考えてみてください、自由ほど怖いものはないのです。なぜなら「自由」=「ルールが無い、もしくは少ない」ということは、高いモラルが要求されるし、その人のモラルの水準が見られているということだからです。
たとえば警察が世の中に無かったならどうなるでしょう、個々の高い自制心が要求されます。普段、車で走っている道路の制限速度が無かったらどうでしょう、ドライバー一人々々が何キロで走ったら安全か、交通の流れはどうか、自分の頭で考えながら走らなければなりません。安全運転の基準が自分の判断に求められるのです。あるいはスーパーマーケットやコンビニで欲しい物を万引きしても警察につかまったり、刑務所に入れられることがなかったらどうでしょう、社会的に個々の高い道徳心が要求されるのです。
昨年の東日本大震災直後の、首都圏の交通混乱時の、他人を思いやる心遣いや、東北での避難生活者達の秩序ある行動が世界の人達を驚かせました。日本の先進技術や、科学、産業は海外諸国に抜かされつつありますが、日本人の美しい、思いやりや道徳心は何よりも世界に誇れる文化ではないでしょうか
話を戻しましょう。ルールの緩い会社ほど、社員に期待するものが高いと言えます。他人に対してルールを強要しない人ほど、他人の常識に期待する傾向が強いとも言えます。ルールが緩いので罰せられたり、叱られたりすることは少ないのですが、それに甘えて自分の善悪の判断基準を緩くしていると、後でとんでもないしっぺ返しをくらうことがあります。気をつけたいのは、叱られないということは自分の判断基準やモラルのレベルをそのまま評価されているということです。ビックリするくらいルールの緩い会社で、いきなり首を切られるなんてのは、よくある話です。むしろ、叱られていた方が自分で判断しなくてよいので楽なのです。
私の経験によると、いつも文句ばかりぶつけてくるお客さんより普段温厚で大概のことは笑って許してくれるお客さん程、その寛容さに甘えていると、ある時突然怒りをかってビックリすることがあります。その怒りのエネルギーは凄まじく、取り返しのつかない事態になる可能性が高いです。ルールの緩い人ほど、相手にも高い自制心を要求している証でしょう。
厳しいルールのある家庭や会社で育ってきた人ほど、ルールの緩い環境に立たされると自分でどんどんルールを緩めてしまう傾向があると専門家は指摘します。自制することに慣れていないから、「ルールが緩い」=「何をやっても許される」と勘違いしてしまうのです。その逆に初めからルールの緩い環境で育った人は、自分で決めたルールで痛い思いを何度もしているので、常に「これで良いのか?」と客観的に自分を見つめるセルフチェック脳力に優れています。自分で軌道修正をかけることが出来るのです。自分がルールの緩い環境に置かれていると思ったら、今一度自制心のスイッチを入れなおしてみてはいかがでしょう。知らないところで「低モラル者」のレッテルを貼られているかもしれません。怖いことにそのレッテルには自分では決して気付くことが出来ないのです。
「自由」という甘い響きに踊らされて、知らない間にとんでもなく甘いルールで動いていたなんて事の無いように、しっかりと自制心を持って自分のルールをチェックしたいものです。よほど気をつけていても、自己ルールは甘くなりがちですから。