通信Vol.100(2012年9月)

 我が家の周りでは稲刈りも進み、秋祭りの旗もあちこちに立って、すっかり秋の気分なのに、着る服は夏とほぼ変わらず、まだ半袖や短パンが片付けられずにいます。
 皆さんの家では何か秋の準備を始めていますか?

 今回は、「愛情」に付いて考えてみたいと思います。愛情と聞くと親子関係や男女の恋愛を想像するかも知れませんが、愛情が大事な場面はそれだけではありません。

 愛情を因数分解すると「慈しむ心」「大事に思う心」「幸せを願う心」「思いやる心」と言えると思います。
これは他人に向けられることもあれば、自分に向けられることもあります。他人に対しては愛情いっぱいだけど、自分には愛情を掛けられないということはありません。

 他人に対する愛情の量が自分に向けた愛情の量のバロメーターです。

 愛情に付いてもっと掘り下げて考えてみたいと思います。愛情とは一方通行の心です。それとよく似ているけど本質的に違う気持ちも私たちは持っています。
恋愛でよく見られる「好き」とか「一緒にいたい」「一緒にいると楽しい」「世話をやきたい」という気持ちです。

 えーっ?それが愛情じゃないのと思う方もあるかもしれませんが、「好き」とか「世話をやきたい」という気持ちは、相手から見返りがあって初めて納得できる心です。

 当然裏切られれば傷つきます。言葉をかえれば、相手に対する「期待」の気持ちということです。「期待」が裏切られると「愛情」だと思っていた心は「憎悪」に変わります。「期待」と「愛情」は似て非なるものなのです。

 腹の中では見返りを計算ずくなのに、愛情をかけているつもりになっているのが私たちです。「これだけしてやったのだから、感謝してもらわないと・・・」という気持ちが心のどこかにありませんか?サービスの対価を払う(もらう)というのは愛情でなくて「契約」です。

 家族や恋人、会社や近所の人間関係が契約だらけになったらどうでしょう。「ご飯を作ってもらったら、その苦労を忍んで感謝するまで食べてはいけません」「働きに見合った、給料しか払いません」となったら、窮屈で生きにくい世の中になるのではないでしょうか?

 もちろん誰かに何かをしてもらったり、与えてもらった時に感謝したりお礼を述べるのは、ごくごく普通のことだとは思いますが、受け取る側にとっての「普通」=与える側にとっての「普通」ではないということも覚えておく必要があります。

今回「愛情」をテーマにしたのは、最近特に人材育成、商売、子供の教育、世の中のこと(全てと言っても過言ではありませんが)に愛情が欠かせないと痛感するからなのです。

 愛情のない家庭で健康な子供は育ちませんし、愛情のない夫婦関係ではいつもケンカばかりでしょう。愛情の無い上司の下で部下は育ちませんし、愛情の無いお店には人も集まりません。
 逆にいえば世の中の繁盛店とは愛情に満ちた場所なのです。社員が育つ会社とは愛情に満ちた会社です。子供が伸び伸び育つ家庭とは愛情に満ちた家庭です。夫婦円満とは愛情に満ちた夫婦関係ということです。

愛情とは見返りを求めない無償の心です。厳密にそんな愛情を私たちが持てるかどうかは今回あえて問題にしません。とにかくやってみることが大切だからです!

 自分を慈しみ、他人を慈しむことが出来たなら、明るい未来がきっとあるはずです!