通信Vol.98(2012年7月)

 暑いときには暑いと感じ、寒いときには寒いと感じる、当たり前のことのように思えますが、これだけ暑くても「暑くない」と言って長袖を着ている母を看ていると、暑いときに暑いと感じるこの身体に感謝の気持ちが起きてきます。
今回は「思いの力」ということについてお話ししたいと思います。
皆さんは、「自分の思い」に力があると思いますか?身体の行動や言葉には力があることは、ご承知の通りです。こぶしで相手を殴れば、相手も自分も痛い思いをした上に傷害罪で逮捕されます。ここでいう「力」とは物理的なパワーではなく、自分の運命を変えていくような目に見えない「力」のことです。先ほどの例でいえば、人を殴ったという行為によって自分が逮捕されて社会的な制裁を受けるという運命を受けますが、自分の運命を変えるような目に見えないパワーを、ここで「力」と言っているのです。
自分がメンタリストや超能力者でなくても、目の前の相手が自分のことを好いているのか嫌っているのか感じることが出来る人は多いでしょう。後輩や自分より若い人がお世辞を言ってもどこか小馬鹿にされているような印象を受けたり、逆に言葉はぶっきらぼうでも自分のことを慕ってくれていると感じたことはありませんか?言葉に出さなくても、思いは相手に伝わるものです。逆を言えば、どんなに言葉を飾っても、目の前の相手にどんな思いを持っているかは、相手に筒抜けだと言えます。
「言葉に出さなくても相手に伝わっているのか、便利じゃん、ふーん」と思った方もあるでしょう。では何故今回わざわざ通信のテーマに挙げたのかというと、ここからが大事なお話しなんです。私たちの心の中で思っている「思い」=「心の行為」に自分の運命を変えていくだけのエネルギーがあるということなんです。もちろん「体」や「口」の行為にも運命を変える力はありますが、「体」も「口」も「心」の奴隷ですから「心の行為」がダントツに力があるのです。
例えば自分が嫌いな人が居るとします。その人の悪口を言えば「心」と「口」で悪い行為をしますから、悪いエネルギーが自分にどんどん溜まっていきます。ここで注目したいのが、悪いエネルギーが嫌いな相手に溜まっていくのでなく、自分の中に溜まっていくのです。心の中で「あいつさえいなければ」「あの態度が気に入らない」「自分がなんでこんなことを言われなきゃいけないんだ」と思えば思うほど、自分に悪いエネルギーが溜まっていき、自分の運命に悪い結果をもたらします。
もちろん、その相手があなたにひどい仕打ちをしているのならば、その悪いエネルギーは相手自身に溜まってきますから、近い将来、必ずその人自身に悪い運命をもたらします。あなたが直接手を下さなくても、悪いエネルギーを出す人は必ず自滅して、自ら苦しむことになります。悪い人間関係というのは長くは続かないものです。
では、誰かに嫌なことを言われたり、冷たくされて辛い思いをした時に、どうすれば悪いエネルギーを自分に溜めないで、運命を良く出来るのでしょうか。それには視点の切り替えが必要です。意地悪をした相手の身になって考えてみると見えてくるものがあるはずです。「自分に嫉妬してるんだろうな」とか「恋人がいなくて淋しいんだろうな」「他人をコントロールしたがる病気なんだな」等々、自分を正当化出来る材料は沢山あるはずです。相手が何を言っても「自分の事を言われているんじゃない」「自分には関係の無いこと」「独り言」と思っていれば、悩まなくて済むはずなんです。単純に考えれば、悪い感情は受け取らないということです。
たとえば、あなたの家に押し売りが山ほどの鉄クズを持って訪問し「1万円で買ってくれ」と言われても「買いませんから帰ってください」と言って追い返せば、あなたは山ほどの鉄クズとは無縁です。誰かに嫌なことを言われて悩んでいる状態とは、その相手から全く価値の無い鉄
クズを買わされて途方に暮れているのと同じ状態です。価値の無いものをわざわざ買う必要がありますか?でもこの価値の無い鉄クズを、価値のあるものに換える方法もあります。相手がひどい仕打ちをしてきた時に、相手の生活環境や心の貧しさを感じ取って、自分に同じようなところが無いか、セルフチェックの材料とすることが出来たなら、鉄クズは価値のあるものにかわります。あなたが「あの人のお陰で自分が成長できた」と思えたらならば、1万円の鉄クズをリサイクルして数十万円の現金を手にするのと同じ価値を手に入れられるはずです。
 嫌いな相手から鉄クズを買って嘆いていても、明るい未来はありません。どんどんリサイクルして心が豊かになれば、実生活も豊かになってきます。
 悪いエネルギーを溜めないことばかりを書きましたが、そこから一歩進んで良いエネルギーを出すためには、他人の長所を認める、尊敬する、目標とすることです。「智者はどんな人からも学び、愚者は誰からも学ばない。」と言われるように、目の前の人の良いところだけを見つけて認められたら、自分自身が大きく成長できるはずです。嫌いな人の全人格を認めたり、尊敬する必要はないんです。部分的に認められる部分があれば、そこだけにフォーカスしていきましょう。