通信Vol.101(2012年10月)

 朝晩の冷え込みが秋が深まってきたことを感じさせます。今年の夏に初めて植えた食用ほうずき(別名ストロベリートマト)を先日収穫しました。農業をやる根気は持ち合わせていないのですが、ほったらかし農法で育つものだけは相性が良いようです(笑)

 今回は、歴史に残る名言から学んでみたいと思います。
『蒔いたものしか刈り取ることはできない。
そこに近道はない。それが農場の法則。』
(作家・経営コンサルタント/スティーブン・R・コーヴィー)

 農業をやってみると、蒔いたものしか刈り取れないんだと痛感しますが、実際に自分の生活に置き換えてみると中々そうは思えないことばかりです。
「何で自分ばっかりこんな割の合わない仕事をしなきゃならないんだ!」と腹を立てたことはありませんか?
「どうしてあいつばっかり、恵まれるんだろう?」と妬ましく思うことはありませんか?
「自分はこんなに恵まれているのはどうしてなんだろう?」と不思議に思うことはありませんか?
世の中で起きている物事すべてに、ある一定の法則があるとしたらどうでしょう?あなたが受け入れようが受け入れまいが、厳然とした、ある一定の法則にのっとって物事が成り立っているとしたらどう思いますか?

 宗教、倫理、道徳における、学者や智者と言われる人たちが異口同音に、物事には原因と結果の法則があると言っています。以前も何回かこの紙面上で仏教に説かれる因果の道理のお話をしたことがありますが、仏教以外にも同じような考えを持つ人が非常に多いのです。
 それは具体的には、良いことも悪いことも自分が蒔いた種は、必ず自分の身の上に現れるという原理原則があるということです。ですから現在の自分の身の上に幸せな出来事が起きているのであれば、過去に自分が良いことをしてきた結果ですし、現在自分が苦しんでいるのなら過去において悪いことをしてきた結果です。
 過去に自分がしてきた行いが自分の人生を作っているのだし、これからの人生は今の自分の行いが作っていくということです。蒔いた種は時間の遅速こそあれ、必ず芽が出ます。最後に刈り取るのも自分です。

 過去に自分がしてきたことを悔やんでも、タイムマシンが無い限り過去の行為を変えることは出来ませんが、今からの行いは改めることが可能です。
「これぐらい誰でもやっているから」と思ってやっている悪い行いが、未来の苦しみを作るのです。たとえば道端にゴミを捨てる、他人の悪口を言う、仕事をサボる、誰かに意地悪をする、誰かを困らせて喜ぶ、等々日常思っている事、やっている事、悪い種はゴマンとあります。
 反対に未来を幸せに導く種も沢山あります。人が嫌がる仕事を進んでやる、誰かの幸せの為に奉仕をする、他人の幸せを願う、他人を誉める、一生懸命働く、等々。すぐに芽が出なくても落ち込むことはありません。種は畑で栄養を吸ってやがて大きな収穫をもたらします。
 不幸になりたい人は一人もいません。みんな明日の幸福を願って生きています。だからこそ真剣に「悪いことを止めよう、良いことをしよう」という心掛けが大切なのです。