通信Vol.119(2014年4月)

飛騨の桜も蕾が色付いてきて、春の訪れを待つばかりとなりました。木の芽や蕗のとうの天麩羅が料理に出ると、味覚でも春を感じますね。

今回は最近のニュースから感ずることをお話ししたいと思います。
猪瀬都知事の借金問題、佐村河内氏のゴーストライター問題、小保方晴子氏の論文ねつ造疑惑、みんなの党の渡辺代表の借金問題etc・・・
世の中ウソだらけだと辟易している人も多いことでしょう。

でもちょっと考えてみて下さい。
ウソをついたことのない人っているんでしょうか?

影響を与えるか否かとか、ウソの大小はあるでしょうが、生まれてから一度もウソをついたことが無いという人は一人もいないと思います。
とんちで有名な一休さんは「今日ほめて、明日悪く言う人の口、泣くも笑うもウソの世の中」と詠んでいます。所詮、世の中みんな大なり小なりウソをつかなきゃ生きていけないということです。
考えてみて下さい、思いついたまま考えたまま喋っていたら「最近会っていない間に老けたんじゃない?」「その服センス無いわねー」「しわが増えたんじゃない?」なんて発言になって、誰も寄り付かなくなってしまいます。ウソが全て悪いわけではないんですね。人を傷つけないで人間関係を良好に保つためには必要なウソもあるのです。

「あなた今ウソついたでしょう、どうしてそんなウソをついたの!!」と他人を弾劾していた人が、数ヵ月後に同じように他人から「ウソつき!」と糾弾されているのをテレビで何回か見たことがあります。みんなの党も元党首渡辺喜美氏も数カ月前まで、猪瀬元都知事の借金問題が浮上した時に「潔く辞任して責任を取るべきだ!」と糾弾した側の人でした。それが天に向かってつばを吐くがごとく、同じ問題が自分に降りかかってきたわけです。
他人に厳しい人は、実は自分のことが見えてない人だったりします。自分のことを棚に上げて他人を厳しく批判していることが殆どです。何でもいい加減に済ませることが良いことではないと思いますが、相手がウソをつかなければいけない事情を察知した時に、あえて騙されたふりができるやさしさもあっていいのではないでしょうか?ウソを付きたくてつく人なんてそうそう居ないものです。止むに止まれぬ事情があってウソをつくことが殆どです。
世の中、他人のアラを探したり、糾弾したり、クレームをつけたりと他人を責める人があふれています。きっとそんな人達も日々の生活に疲れて自分に余裕が無くなっているのでしょう。私個人としても、そんな人達がホッとできるような環境を作ったり、ホッと出来るような言葉がけが出来るようになりたいと思います。