通信Vol.135(2015年8月)

 連日の猛暑で体力を消耗されている方も多いのではないでしょうか?滅多に稼働しない我が家の寝室のエアコンも今年は何回か登板しています。リビングにはエアコンが無いので、シャワーで汗を流して扇風機の前を陣取るのが最近の夜の過ごし方です。
 最近、ふと学びってなんだろうと考えることがありました。
 日本の小中校合わせた不登校者は12万人以上います。いろんな理由はあるでしょうが学べる環境がありながら学校に行かない(行けないのではない)子供の数です。翻(ひるがえ)って発展途上国では学びたくても学べなかったり、片道数時間も歩いて学校に通って学ぼうとする子供たちがいます。
 子供の社会だけではありません。大人になってからの方が学びの機会や場所も沢山あって、自分の意思で自由に学べるはずなのに学ばない人の方が多いのではないでしょうか?
ある人が言っていました「賢い奴は、賢いうえに勉強するから、さらに賢くなる、頭の悪い奴は頭が悪いのに勉強しないから賢い奴に太刀打ちできないんだ」と。なるほど確かにその通りで、自分は中学の頃から英語が苦手で、英語の単語帳を見始めると途端に眠気が襲ってくるのです。学ぼうとする意欲が全く起きないのです。ですから英語のテストはいつも惨憺(さんたん)たる点数でした。英語が好きで海外留学までする人には、全く太刀打ちできない訳です。
学びの機会は何も机の上だけではありません。日常生活の中で他人の意見や他人の行動を見て、はっとすることがあります。そんな時に自分の問題として受け止めて、自分の行動を変えられるかが、学べるか否かの違いでしょう。
学びの機会はゴロゴロしています。学びの意識があればどんどん成長できるけれど不安や心配がついてきます、学ばないと決めれば成長はしないけど安心できます。人は成長する時には葛藤(かっとう)しながら1歩進んで2歩下がったりして自問自答しながら、カメのように前に進んでいきます。
傍(はた)から見ているとハラハラしますが、こんな人を見ているとついつい応援したくなります。
一日に一つ自分改善をするだけで、一年で365個の改善が出来ます。もちろん365個の改善全てが身につくわけではありません。身につくものもあれば身につかないものあるでしょう。身につかないものは時期尚早ということです。自分の器に合わないものは中々身につかないものです。ですから自分と他人を比較して、自分は出来るのにあいつは出来ないと見下したり、あの人は出来るのに自分は出来ないと悲観する必要はありません。人は其々(それぞれ)、得手(えて)不得手(ふえて)や長所短所があるものです。
私が老若男女に学びを勧めるのには理由があります。学びの先には必ず幸せがあるからです。逆に学ばない先には不幸がある場合が多いということです。学ばなくても幸せな人もいるかもしれませんが、幸せの貯金を食いつぶしている状態です。貯金が底をつかないうちに何か学びませんか?