通信Vol.153(2017年2月)

 今年は雪が少ないなんてたかをくくっていたら、連日の雪降りで「もうたくさん」と思っている人も多いのではないでしょうか?何事も程々が肝心ですね。
 
 人間関係の悩みを殆どの人が抱えています。仲間とそりが合わない、夫婦間の問題、親子の問題、友人とのいざこざ、隣人とのトラブル等々あげたらキリがありません。他人との関係がうまくいかないなと思った時に、少し気が軽くなる方法を聞いたのでご紹介したいと思います。
 それは、この問題(悩み)の原因は、相手と私に半分づつあると考えることです。夫婦の問題で悩んでいる時を例にあげるなら、相手が悪夫もしくは悪妻で、あなたが良妻or良夫と仮定します。そこで相手が100%悪いという考えから離れられないと相手に天罰が下るまで恨み続けますが、そんな悪夫、悪妻を選んだ自分にも責任が半分あると考えたらどうでしょう。どんな悪夫、悪妻でもそんな人を伴侶として選ばなければ苦しむことはなかったはずです。そんな相手を選んだ選択責任が半分はあるはずです。

友人に騙されて借金を背負って苦しんでいる人も、そんな友人を信用してしまった(正確にはそんな友人に自分は良い人だと思われたいという欲がはたらいてしまった)自分に半分責任があるのです。自分は悪くないのに、自分がこんなに苦しいのはあいつのせいだという呪縛が消えないから苦しみが消えないのです。仏教では「善因善果、悪因悪果、自因自果(良いことも悪いこともすべて自分の蒔いたタネによるのだよ)」と教えられます。他人が作った原因によって自分が苦しむという結果は100%無いと教えられますが、通り魔や強盗、いじめの加害者が悪くないということではありません。それらは仏教では縁と言われ、半分の責任があります(法的な意味ではありません)が、自分にも原因(半分の責任)があるというのが仏教の考え方です。

自分にひどいことをした相手を許すということと相手の呪縛から離れるということは別の問題です。家族を殺されたり、ひどいいじめをされた相手を許せないというのは当然のことだと思います。許せない相手を許さなくてもいいのです、一生許せない相手もいるでしょう。しかしその憎しみの感情にとらわれて自分の人生が暗くなったり、行動に制限(あの人に会いそうな場所には行きたくない等)が出てきてしまうと、自分の人生が台無しになってなってしまいます。加害者の方が大手を振って生きているのに、被害者やその周辺の人達が苦しみながら生きていくというのは納得できないという人も多いのではないでしょうか?自分がどんなに悲しみの淵に立って落ち込んでいても、あなたが憎いあいつは今頃パフェを食ってご万悦なんです。あなたが悲しんでいようが、苦しんでいようが相手は微塵もダメージを受けません。

もちろん「悪因悪果」ですから、あなたが「相手に天罰を」と願わなくても当然の報いを受けるでしょう。自分が作った半分の原因は何だったのかという反省は必要ですが、あなたは相手の責任や受けるべき報いまで背負いこむ必要は全く無いのです。憎い相手のことを思い出しては憎いと思うのは相手がナイフを持って立っているところに自分から何度も刺されに行くようなものです。2次被害、3次被害を自分で作り出すのは、ばかばかしいと思いませんか?
憎しみの呪縛から離れて、もっと自由に人生を楽しみませんか?