通信Vol.155(2017年4月)

 昨日、市内を車で走っていたら梅の花が咲いているのを見つけました。今年は開花が遅いようですが、桜の花もまだ固い蕾ですね。会社近くの緑地公園の桜ももうじき咲きだしそうでワクワクします。
 
 今回は健全な自己肯定感の作り方パート2についてお話したいと思います。
前回、自分の自己肯定感を築く為に、自分は何のために生きて、世の中にどうかかわっていくのかという精神の土台の上に「自発型自己肯定感」を築くことをお勧めしました。

今回はそこから発展して、自己肯定感と他者肯定との関係についてお話したいと思います。しっかりとした自己肯定感を持つと他者も肯定できるようになります。「私もOK!貴方もOK!」という状態です。
自己を肯定するということは、良い面も悪い面もひっくるめてオールOKということなんですが、こんな経験はありませんか?友達と話をしていて、他の事で気にかかることがあって話を上の空で聞いていたら後日その友人から「この前言ったじゃない、忘れたの?」と言われて自己嫌悪に陥ってしまう。だれでも1度や2度いやもっとかもしれませんがあると思います。でも良く考えてみて下さい、貴方は日々何十人と会って会話をし、色んな物を見たり感じたりしています。それらすべてをいつまでも記憶しているなんていうスーパーマン(ウーマン)は居ないでしょう。貴方が話している友人は、貴方が一日に出会う人の何十人の内の一人です。ですから友人と話したことを覚えていなくても全然OK!ではないですか?自分が忘れてOKなら、自分が言ったことを相手が忘れていてもOKになりませんか?まさか自分はOKなのに、他人はNGなんてことは言えませんよね?(笑)

他人が自分の事をどう思っているのか気になって仕方がない、という不安も自己肯定感が解決してくれます。自分の心に目を向けてみると、誰かのことを四六時中恨んだり憎んだりするほど暇ではありません。ということは他の誰かが貴方のことを嫌っていたとしても四六時中貴方のことを考えている時間はありません。しかも誰かが貴方のことを良く思っていなかったとしても、それはその人の心の問題であって貴方には直接関係のないことです。他人がどう考えようとどう思おうとその人の思考なので、変えることも無くすことも出来ません。
他人から見た私の像がどうであっても、私が自分の事をいたわって慈しむことが出来たならそれでOKです。辛いことがあったら「辛かったね」、悲しいことがあったら「悲しかったね」、嬉しいことがあった日は「良かったね、嬉しいよ」、怖い時は「怖かったね」って他人に言ってもらいたいと誰もが思いますが、幼少期ならまだしも良い歳の大人が誰かにこんな言葉をかけてもらうなんてことは、ほぼ期待できません。ではどうするかというと自分で自分を抱きしめて「辛かったね」「悲しいね」「嬉しいよ」「怖かったねーよしよし」と自分を慰めるのです。幼いころ母親や父親が暖かく包み込んでくれたように、もし幼いころ親が包み込んでくれなかったなら、現在大人の貴方が貴方の中にいる幼少期の自分を抱きしめて包み込んで「何があってもオールOK!」と言えれば大丈夫です。
他人が自分の事をどう思うかということよりも、自分が自分の欠点も含めて好きになれるかということが自己肯定感で極めて重要です。他人の許せない部分は自分自身の許せない部分の投影なのです。