通信Vol.163(2017年12月)

今年は初雪が例年より早く、冬支度をせかされているような気がします。皆さんはどんな冬支度をしていますか?
今回は前々号でお話しした内容についてもう少し掘り下げてみたいと思います。
前々回の内容というのが、裸足でいばらの道を歩いて「いばらのトゲ」で足が傷つき「痛い」と思った時、いばらにトゲがあるからだと言うのも正解ですし、自分が裸足だからと言うのも正解ですが、この痛みにどう対処すればよいのかという内容でした。
ここで言ういばらというのは他人の事です。他人の行動や発言でイライラするという事象をこのたとえに当てはめると、「他人の言動」=「いばらのトゲ」でイライラしたり傷つくというのは、素足でいばらの道を歩いて「相手があんなことを言ったから」だとか「あの人があんな態度を取ったからだ」「あの人の言動が許せない」=「いばらのトゲが悪い」と言って素足でトゲを踏んで痛がっている状態です。
 
誰かに殴られたり銃で撃たれたりしたときに、誰が殴ったのか何で殴ったのか、こぶしで殴ったのか鈍器で殴ったのか、はたまた自分を撃った銃は何口径かなんていうことを問題視するよりも、自分の怪我の手当てやどこの病院へいったらいいかという心配をするのが先決ではないでしょうか?
ところが人間関係になると自分の心の手当てをそっちのけで、あの人があんなことを言うから悪いんだとか、あんなことをしているのを見ると不愉快だなんて考えてしまいます。まずは自分がどれくらい傷ついたのか、どうしてその言葉を言われると心が痛むのかを考える必要があります。そして傷ついた心のケアを真っ先にする必要があります。そして素足でいばらの道を歩いて足が傷ついたのなら、傷が癒えてもまた素足で歩いたら同じように足に怪我を負ってしまいます。傷の手当と同時に靴を履く知恵が必要です。

いばらにトゲがあるのは極々当たり前のことですからいばらを責めても仕方がありません。テレビでニュースや、芸能人のスキャンダルを見て「あんな人許せない!」と憤っている人がたまにいますが、腹を立てる前にやるべきことはテレビのスイッチを切ることです。それが素足に靴を履くと言うことです。自分が聞いて不快な情報や他人の言動は見ない、聞かないと言うのが最善策です。

また過去につらい体験、悲しい体験があると、悪気ない言葉で必要以上に傷ついたりします。同じことを言われたりされても自分と同じように傷つかない人がいるということは、自分の心に古傷があるということなのかもしれません。
自分の心の傷の手当を考えることが出来るのは自分しかいません。「自分の心の状態をよく見ること」=「怪我の状態を観察する」ということがとても大切です。
素足に靴を履くと言うことは自分自身をよく知るということでもあります。自分を知るというのはとても大切なことです。雪山に登るのに、自分がそれにふさわしい装備をしているのかを知らなかったなら遭難してしまいます。人生と言う雪山で遭難しないためにも自分の心の状態を今一度点検してみましょう。