通信Vol.178(2019年3月)

今年は3月に入った途端に春っぽいと思ったら、今、パソコンを打っている部屋の窓の外は吹雪いています。一気に冬に逆戻りといった感じですね。
今回は、何事もホドホドの勧めと題してお話したいと思います。
皆さんは何かに取り組むときに熱くなって取り組む方ですか?冷め気味に淡々と取り組む方ですか?
中庸とか中道と言われるように、物事を判断するときに正か邪か、プラスかマイナスかといった極端な判断をせずに、どちらでもないというスタンスをとるという考え方があります。
私は、中庸、中道といった考え方が好きです。
テレビやインターネットで凄惨なニュースや残酷な事件を聞いた時に、腹を立てることが有ると思いますが、加害者に対して憤るというのは「正儀」に感情が振れている時です。「許せない」「厳罰に処すべき」という感情に振り回されそうになった時、ふと犯人側の感情に立ってみるのです。どんな幼少期を過ごしたんだろう。どんな親にどんな風に育てられ、どんなふうに社会を見て何を感じて育ったのだろうと犯人の立ち位置で考えてみます。どんな凶悪犯でも人間の脳を持って人間の思考をしています。どんなに動物的な残虐な事件の犯人でも動物ではありません。もちろん犯人の思考に同調する必要はありませんが、犯人のものの考え方を感じることで、犯人と被害者の中間の位置で物事を見ることが出来ます。もちろん犯罪者を肯定するということではありません、犯罪者の背景に意識を向けることによって怒りのエネルギーを違う波動に変えるということです。
私がなぜ中庸、中道が好きなのかというと、極端なものの見方、考え方は、心が疲れるからです。心が疲れると自分も他人にも余裕がなくなります。何事もホドホドと考えると心にもゆとりが生まれます。
野球やサッカーでも自分のひいきのチームが勝ったり負けたりというのは、スポーツ観戦の醍醐味でしょう。それが楽しいからスポーツ観戦をするのでしょうし、自分の好きなチームが負けた姿を見て喜ぶ人は少ないと思います。でも少し観点を変えると、ひいきのチームや選手が負けて悔しがっている姿を見て、スポーツマンシップの美しさに感動を覚えるという人もいます。この悔しさをバネに次は勝ってほしいとか、どん底から這い上がる姿に感動を覚える人もいるでしょう。負けた試合の中でも健闘を称えることは出来ます。
これこそが中庸、中道だと思うのです。強いから応援するのではなく、勝っても負けても好きなチームを応援するというのが、スポーツ観戦の中庸精神です。以前サッカーの試合でオウンゴール(自爆点)をしてしまった選手を殺した熱狂的なファンがいましたが、これなどは極端な熱狂ファンです。
喜怒哀楽を楽しんだ方が人生楽しいという人もあるでしょう。もちろん人それぞれですから喜怒哀楽を楽しみたい人はそうすればいいと思いますし、誰にも邪魔されるものでもありません。
でも視点を変えて色んな楽しみ方が出来ると肩の力が抜けて楽になれると思いませんか?