通信Vol.179(2019年4月)

雪の少ない冬も終わって、ようやく春だと思ったら、また雪が積もったりと、自然って思ったとおりにならなくて不思議ですね。

今回はモノゴトに意味づけをするということについて考えてみたいと思います。
モノゴトに意味づけをするというのはどういうことでしょうか?そもそもモノゴトには、どんな意味も付随していません。

例えば、最近のニュースでも話題になった、日産自動車の元会長のゴーン氏が会社のお金を私的に使っていたらしいという話も、日産の社員や株主である人と、私のように全く関係ない人間では、感じ方が違います。ニュースそのものに意味はありませんが、聞く人がニュースに意味づけをしているのです。株主ならば、自分たちに配当されるはずだった余剰利益がゴーン氏によって搾取されたと感じるかもしれませんし、社員ならば自分の受取るボーナスが減ったと感じるかもしれません。それぞれに自分自身がニュースについて意味付けを行なっています。東日本大震災原発事故で東京電力が日本中から叩かれているときに、東京電力の株を買ってみたのですが、株主になる前と後ではニュースの聞こえ方が全く違うのに自分でも驚きました。

誰かに傷付けられたと感じる場合はどうでしょうか?相手の言葉にはやはりどんな意味もありません。たとえ相手が悪意を持って発した言葉であっても、どんな酷い言葉であっても、口からこの地球上の空間に発しただけではどんな意味もありません。電車の騒音と一緒です。どんな酷い言葉を投げかけられても、それに対して意味付けをしなければ、言葉は電車の騒音のように捨てられるだけです。

 災害や事故にあってダメージを受けたときはどうでしょうか?たしかに、どうして自分がこんな目にあわなきゃいけないの?と天をうらむこともあるでしょう。でも自然だってだれかに悪意をもって災害を起こしているわけではありません。不幸にも災害や事故にあっても、それがきっかけで自分が恵まれていることに気付いたり、周囲の人に感謝出来るきっかけとなったなら、災い転じて福となすことが出来るわけです。

 誰かが悪意を持って自分にひどいことを言ったり、意地悪なことをする時は、自分にダメージを与える為にそういった行いをしているわけですから、一番の仕返しはそれらの行為に対してプラスの意味付けをして幸福感に浸ることです。

一番痛々しいのは、どんな物事にもマイナスの意味付けをして、悲劇のヒロインになって打ちひしがれている人です。そうやって注目を集めて自己承認欲求を満たす方法もあるのですが、それでは自分も周囲の人も疲れてしまいます。マイナスの意味付けをしがちな人は、そういう思考の癖を自覚して、少しずつでも意識してプラスの意味付けをすると良いかもしれません。思考の癖は幼少期から長い年月をかけて形成されるものですから、簡単に変えることは出来ませんが、少しでも楽に生きたい、より良く生きたいと願うのならば、きっかけになると思います。