通信Vol.206(2021年7月)

 梅雨明けも間もなくだとは思いますが、先日のテレビニュースで流れていた、熱海での土石流の映像は大変ショッキングな内容でしたね、日本は島国で国土が狭いのでどうしても傾斜地に家を建てるケースが多くなってしまいます。今回のように短時間で雨が降った時など今まで以上に、地盤のゆるみや避難指示などが出ていないかなど注意を払う必要がありそうですね。

 

 今回は怒りの行方についてお話したいと思います。

 貴方は誰かに嫌な言葉を浴びせられた時に、この人にいつか仕返しをしてやろうと思ったことはありませんか?

また、子供の頃上級生にこっぴどく締めつけられたから自分が上級生になった時に下級生を締めつけてやろうと思ったことはありませんか?

貴方が誰かに傷つけられたことを、関係のない他人にやって溜飲を下げる手法は、よくよく考えるとおかしなことです。たとえば自分のクルマを故意に傷つけた人がいたとします。自分がやられてムカついた事を、誰か関係のない人のクルマに傷をつけてスカッとしますか? もちろんやった相手が見つかれば、お灸をすえたくなりますが、相手のクルマを同じように傷つけるかといえば答えはNOです。そんなことをしたら自分が器物損壊罪で警察に捕まってしまいます。私なら保険や自腹で物理的な傷を治したら後は早く忘れたいです。

目に見える犯罪行為を例に挙げると、やられたらやり返すことが如何に間違ったことか分かりますが、実際に自分が被害に遭うと、理性が吹っ飛んでしまい相手を思いっきり懲らしめたくなります。

人間関係で考えてみるとどうでしょう。誰かから嫌な言葉を言われたり、冷たい態度をとられたりして落ち込むこともあると思います。こんな時こそ何とかして相手をやり込めたいと思う気持ちが出てきませんか?

東野圭吾の小説「さまよう刃」は高校生の娘を殺された主人公長峰重樹が犯人の不良少年たちを、探し出し惨殺していくという話で、私も娘を持つ父親として、気持ちは共感できる部分が多々ありました。実際に家族を殺された遺族が「自分の手で犯人を殺してやりたい」という言葉を聞くと胸が締めつけられるような気分になります。

宗教によっては「目には目を、歯には歯を」などと報復を良しとするものもありますが、日本人の根底に流れる仏教にはどのように教えられているのでしょうか。

「善因善果 悪因悪果 自因自果」と言われ、良いことも悪いことも自分が行った行為は全て自分に返ってくると言われます。誰かが悪人を罰しなくても、その報いは必ず本人に返ってくるということです。悪いことをしている人を見てイライラするのは、誰かがその人を罰しなければいけないとか、許されるべきじゃないと思うから、直接手を下せない自分にイライラするのではないでしょうか。もし自分がその相手を警察官のように取り締まることが出来たらスカッとします。しかしほとんどの人は「許せない」と思っても、罰せられない悪人を見て怒りの矛先をどこに向けたら良いのかわからず悶々とするのでしょう。仏教の教えによれば、自分が裁きを下さなくても悪いことをした人には必ず報いがやってきますから、自分の問題にする必要がないのです。それどころか自分が誰かを憎むことによって、その悪い思い(悪因)の結果を自分が受けるようになるのですから気を付けなければいけません。