通信Vol.73(2010年6月)

 週末は概ね晴れていましたが、日曜夕方から雨が降り始めました。飛騨地方もいよいよ入梅でしょうかね。ワールドカップサッカーの動向も気になるところですが、日常の仕事に差し支えない程度に夜更しして下さいね(笑)

 先日、私の部屋に遊びに来てくれた友人のOさんの体験談から深く考えさせられた話を紹介したいと思います。

 Oさんとのお付き合いは、彼が派遣スタッフとして働いてくれたことをきっかけとして始まり、現在は市内の某会社で社員として働いている今に至って続いています。

 彼が現在の会社に就職するまでの経緯を少しお話ししたいと思います。
2年前、彼と当社との派遣労働契約が切れ、その後の就職活動中に何度か私のところに足を運んでくれました。当社やハローワークの求人情報などを共有しながら就職活動を二人三脚でやってきました。
彼はハローワークで見つけた、ある営業職の求人に応募することにしました。1人枠の求人に十数人の応募者があり、半ば諦めていたのですが奇跡的に採用が決定しました。就職にあたって第三者身元保証が必要となり相談に来てくれましたが、その頃にはプライベートでも一緒にトレッキングなどに行く仲になっていたOさんのことですから、快く身元保証人を引き受けました。
 ようやく決まった就職にほっと胸をなでおろしていた私の知らない所で、様々な困難が待ち受けていたことを、久しぶりに仕事の休みに遊びに来てくれたOさんの口から聞きました。

 正社員の求人ではありましたが、最初の半年間は時給750円の試用期間とのこと。最初の給料は10万円を切るものでした。絶望に近い失望を感じつつも、身元保証をした私の顔も立てなければと半年間は我慢する決意をしたそうです。
 それまで土木建設や住宅営業、建材配達の職種しか経験の無かったOさんですが、新しい職場ではレストランホールや物品販売のレジ打ちも要求されました。現場仕事オンリーだったOさんに、レストランのホールやレジ打ちは初体験で戸惑ったに違いありません。しかも給料は今まで経験したことの無い安さ。何度も辞めようかと思ったそうです。
 しかし、どんな仕事も出来ないとは言わずに、何事にも真面目に取り組むOさんの努力の結果は徐々に現れてきました。残業や諸手当が付くようになったり、時給がアップしたりと少しずつ待遇が改善されてきました。そしてようやく正社員登用まで後一歩というところまでこぎ着けました。給料も月給になるのも間近で1回目の給料の倍近い額が提示されたそうです。Oさんも「途中で諦めずに続けてきてよかった」と喜んでいました。

 仕事選びでは、仕事内容もさることながら給料の額が基準になることも多いと思います。しかし、給料を払う側からすれば、その人がどれだけ仕事が出来るかもわからないうちから給料の額を保障するというのは非常に勇気の要ることです。ですから求人情報がそのまま就職後の待遇を表しているとは言い切れないのです。最初は厳しい条件を出して、それを乗り越えてきた人を厚い待遇でサポートする企業も少なくないと思います。

 仕事量と給料を天秤にかけて、給料分だけ働いていてはいつまで経っても天秤は水平のままです。仕事量を増やすことに神経をすれば収入も時間差で釣り合ってきます。私はかつて20代の頃のアルバイト時代、誰よりも早く出社して無給で朝から仕事をしていましたが、今頃になってその頃のサービス残業分の給料が利子付きで還ってきていると思っています。


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