通信Vol.161(2017年10月)

中秋の名月は10月4日だったそうですが、皆さんはご覧になりましたか?朝晩の冷え込みも秋の深まりを知らせてくれます。
今回は自分を知ることの必要性についてお話したいと思います。
あなたは今、野原に咲く薔薇の道を歩いています。薔薇の茎はトゲがあり、踏みつけるととても痛いです。でも底の厚い頑丈な靴を履いたらどうでしょう。野原一面に咲く薔薇の花の景色を楽しみながら薔薇の道を悠々と歩けます。もし薔薇の道を歩いて足の裏が痛いとしたら、それはあなたが裸足だからです。こう考えると、なんだ靴をはけばいいじゃないか、簡単な話だと思うかもしれませんが、あなたは自分が靴を履いていないことを知らないのです。自分の姿が見えていないのです。自分が裸足であることを知ることができれば、靴を履くと言う行動に移ります。靴が履けないのは自分の姿が見えないからです。
私の姿を知るという事は、私の足に厚底の靴を履かせ、どんな道でも闊歩できる勇気を持つことです。
薔薇に足が傷つき「痛い」と思った時、薔薇にトゲがあるからだと言うのも正解です。また、私が裸足だからと言うのも正解です。どちらも正しいのです。ここで言う薔薇というのは他人の事です。
 具体的な例をあげてお話ししたいと思います。
 OLの江美の部署には女性が4人と男性課長の5人。メンバーは新入社員の朝子22歳、朝子の教育係で2年先輩の圭子24歳、無口で大人しいパートの恵理38歳、田崎課長
55歳、そして中途採用でリーダー的存在の江美32歳です。業務の内容は通販会社のお客様相談センター、毎日顧客からの苦情や困りごとを電話で受け付けています。
 中途採用で皆の中心的存在の江美には悩み事があります。それは田崎課長からはメンバーのクレーム対応のまずさや、時間がかかりすぎることを指摘され、メンバーからは、「頑張っているのに課長から正当な評価をされていない」と悪口ともとれる愚痴や不満をぶつけられます。江美自身もチームのとりまとめを課長から丸投げされ、相談しても「自分で考えろ」と冷たく投げ返されるだけで具体的な指示をしてくれない課長に不満が爆発しそうです。課長から指摘された部下の改善点も部下に上手く伝えることが出来ずに悶々としています。
江美の抱える問題を一つ一つ見てみましょう。まず部下に対して問題点を指摘できないのは、自分が部下からどう見られるだろう?嫌われるのではないか?という不安や恐れがあるからと思われます。部下がしっかり仕事をしないから悪い=薔薇のトゲというのも正解ですし、自分が嫌われたらどうしようという不安や恐れがある=靴を履いていない自分の姿というのも正解です。また課長に対する不満の問題を見てみると、強力なリーダーシップを発揮しない上司=薔薇のトゲと、リーダーとはかくあるべきという理想のリーダー像を押し付けている自分=靴を履いていない自分の姿ということも出来ます。
「薔薇のトゲを一つ一つ抜くことを考える=相手の問題点を解決する」ことばかりに目が向き自分が靴を履いていない事実に気付いていないケースが往々にしてあります。ではどうすれば自分の姿に気付き靴を履くことが出来るのか。次回は深掘りして考えてみたいと思います。

通信Vol.160(2017年9月)

9月に入ってから一気に秋らしい気候になってきました。我が家の周りでは稲刈りが着々と進んでいます。気候的には5月や6月と同じくらいなんでしょうが、気持ちは寂しさで一杯ですね。

今回は「貴方は運のいい人?悪い人?」というテーマでお話したいと思います。
そもそも運の良し悪しって何で判断するんでしょう?
宝くじが当たったら運のいい人でしょうか?その大金を目当てに強盗に入られて殺されたらたちまち運の悪い人?
交通事故で片足を失ったら運の悪い人?でも怪我のおかげで戦争に行かずにすんだら運の良い人?
運の良し悪しは誰かに客観的に評価されるものでなく、自分で決めることであるみたいですが、それでも誰が見ても運の良い人と悪い人というのはあるでしょう。

イギリスの心理学者リチャード・ワイズマン博士がこんな実験をしました。
実験に参加したのは18歳から84歳の男女400人。参加者全員に新聞を渡し何枚の写真があったかを報告するものでした。
不運な人々は、写真を数えるのに平均して2分かかりましたが幸運な人々はわずか数秒でした。
 これは新聞の2枚目のページにメッセージが書かれていたからです。
「読むのを止めて。この新聞には43枚の写真があります」
このメッセージはページの半分に、大きな文字で書かれていました。メッセージは全ての人に平等に与えられたものです。しかし不運な人々はこれを見落としがちで、幸運な人々は、それを発見することができたのです。
 またこの新聞の途中には、二つ目の大きなメッセージが書かれていました。「読むのを止めて。これを見た、と実験者に伝えれば、250ポンドもらえます。」またもや、不運な人々はこの幸運を見落とします。

この実験から不安は予期せぬ出来事に気付く力をダメにすることがわかり
ました。不運な人々は周囲からの色んなメッセージを受け取ることが出来ず自分が不運であると思い、不安や不満を抱えています。この実験では新聞の中の写真を見つけるのに必死で他のことは見落としています。幸運な人は、ゆったりと心を開き、自分が求めているものだけでなく、そこにあるものに気づき、周囲からのメッセージを受け取ることが出来ています。インスピレーション(ひらめき)を感じ取るのが上手いのも幸運な人の特徴です。

目の前で起きている事象は運のいい人、悪い人に関わらず平等です。幸運
な人々は目の前に散らばっている肯定的な出来事を見つけて感謝し、不運な人は不幸な出来事を集めて自分は不幸だと嘆きます。この違いが幸運な人と不運な人の分け目です。決して容姿や収入、地位、パートナーの有無で決まらないのです。
 
あなたは運がいい人ですか?それとも・・・

通信Vol.159(2017年8月)

毎日暑い日が続きますが、こんな暑さもあと少しの間だけですね。秋の風が吹き始めると何だか寂しい気分になります。もう少しだけ飛騨の夏をじっくり堪能したいと思います。

今回は上手なクレームの伝え方を伝授したいと思います。
あなたは誰かにクレーム(苦情)を伝えたことがありますか?そのクレームはきちんと相手に伝わって、あなたの困りごとは確実に解決されましたか?

たとえば家電量販店で買った掃除機が1週間で動かなくなってしまった。スーパーで買った食材が痛んでいた。宿泊先のホテルで禁煙室を予約したはずなのに、部屋がタバコ臭い。通販で買った品物が不良品だった。等々自分の思いと違った事象に出くわしたときに怒りにまかせて不満を相手(店員?)にぶつけたことが一度や二度はあるでしょう。私は何回もあります。しかし、こちらの怒りのボルテージが上がれば上がるほど相手が思うような対応をしてくれなくて、最終的にはクレームを言っている客があきらめるか相手が折れて謝るまでネチネチとごねるかの二者択一になります。
本来であればこちらが困っているのだから、サービスや物を提供する側が真摯な対応をしてくれれば丸く収まるところです。
こちらは問題を解決してほしいだけなのに、困っている状況が伝わらないのには原因があります。それに気づいてからというもの、クレームの伝え方を根本的に変えた結果、素晴らしいクレーム対応を何回も体験することが出来ました。それ以後は腹の立つクレーム対応には一度も遭遇していません。

ではどう伝えれば自分の困りごとが相手に伝わり、こちらが求める以上の対応を引き出すことが出来るのでしょうか?
ポイントは3つあります。
○1つ目は感情を付け加えないこと、受け取らないこと。たいていの場合、怒りの感情を乗っけてしまうのでそれだけで相手のシャッターが下ろされてしまいます。冷静に状況を説明するだけで十分すぎるほど相手には伝わります。また相手が感情的な対応をしてきた時は相手の感情をふるいにかけて、言葉の本質だけを受け取るようにします。あくまでも感情は受け取らないというスタンスで望むと、相手が出した怒りの感情は相手の喉の中に戻っていきます。
○2つ目は、手のひらにボールを乗せて相手と一緒に眺めるように、客観的に「こんなんなってまって、困ってるんですよー」と相手と一緒に手のひらに乗せたボール(第三者の困りごと)を見るかのようにふるまう。多くの場合ボールを相手に渾身の力を込めて投げつけた後に、「どや!痛いやろー!」といわんばかりに睨みつけてしまいます。それでは相手は逃げ腰になるだけです。
○三つ目は相手の立場に立って考える。「あなた達の立場もよくわかる」というスタンスで相対すると自然とこちらも笑みがこぼれます。怒って伝えても微笑みながら伝えても、店のシステム的に出来る対応は限られています。あとはその店員の裁量によってどこまで良い条件の対応を引き出すかがこちらの出方次第です。
これらは、いわゆる客としてのクレームだけでなくて、身近な人に要望を伝える時にも有効ですから是非お試しください。

通信Vol.158(2017年7月)

早いもので夏至が過ぎ、これから日に日に昼間が短くなっていきます。とはいっても夏はこれからが本番ですので、熱中症対策をお忘れなく!

 人の悩みの80%は人間関係とも言われ、どこへ行っても何歳になっても人間関係の悩みは尽きません。今回はそんな人間関係の悩みを99%解決する素晴らしいツール(道具)をお届けしたいと思います。
 貴方がコミュニケーションをとるのが苦手な人は誰ですか?お父さん?お母さん?パートナー?姑さん?職場の上司?同僚?部下?コミュニケーションがとりにくい理由は色々あると思いますが、その理由を探ることは今回省かせてもらいます。嫌いな相手、苦手な相手との関わりを改善するのに、ほぼどんな場合でも大体当てはまるミラクルツールのご紹介ですのでご安心ください。
 ツールを紹介する前にお断りしておきますが、ツールを使わずに力わざで他人との関係を絶ったり遠ざかったり出来たとしても、必ず同じような問題が別の人と起きたり、もっと強烈な問題を持った人が現れて新たなトラブルが始まります。これは必ず起きるといっても過言ではありません。今起きている問題から目をそらさず、解決の糸口にむけてアクションを起こすことが大切なのです。
この手法はスイスの心理学者ユングが提唱した「集合的無意識」というものを利用して関係改善するという理論的な解決方法ですので、必ず良い効果を貴方にもたらしてくれると信じています。あなたはこんな経験をしたことがありませんか?電話しなきゃと思っていた相手から電話がかかってきたとか、子供が学校給食でカレーを食べてきた日の夕食の献立をカレーにしてしまった、などなど。これらは集合的無意識の作用と言われています。つまり自分が相手に対して思っていること、感じていることが、言葉に出さなくても心の奥底で相手と通じているという考え方です。この集合的無意識を上手く使って人間関係を改善しようというのが今回紹介するツールです。科学的な根拠は立証が難しいのですが検証結果では99%の結果が出ている手法です。
では肝心の中身に触れたいと思います。
 まず貴方が苦手と思う相手(○○さん)を思い浮かべながら2つの言葉を出来れば声に出して言います。相手が目の前にいる時に心の中でつぶやいても効果的があります。心の中でつぶやくにしても声に出して言うにしても心をこめる必要はありません。嫌いな相手を好きにならなくても大丈夫です。心を込めずに言うだけで効果があります。
その時に次のようなイメージを浮かべながらつぶやいて下さい。
心の中の泉に投げた石が深い深いところまで沈んでいく様子をイメージしながら言葉を発します。
一つ目は 「○○さんが心から幸せでありますように」と言います

 二つ目は 「○○さんからの学びは終わりました、ありがとう」と言います

たったこれだけです。イラッと感じた時にこの二つを相手の目の前で思ったり、寝る前に唱えるだけで嫌いな相手との関係がガラリと改善します。嫌いな相手に心をこめる必要はありません。形式的な呪文と思ってもらえれば結構です。もちろん心をこめれば数倍早く効果が表れます。これは本当に効果があり、実践した人が口ぐちに「不思議」と言います。私自身も苦手な人がいなくなりました。

通信Vol.157(2017年6月)

ちょっとプチ自慢をさせて下さい。
僕ってスゴイんです。
何がスゴイかって?
何かが、スゴイんです。
何かって何よ?
何かです(自分でもよく分かりません笑)

人は誰かに認めてもらいたい、誰かに「貴方ステキね」「君スゴイね」「大好き」って言われたい生き物です。ここが根本的に人と動物の違いだと思います。
子供の頃は、何か出来るようになったり、賞をもらったり、試合に勝ったりすると、周りの大人たちから「スゴイね!」「エライね」って言われますよね。お母さんやお父さんから「大好き」って言われたりします。

でも大人になると褒められることが極端に少なくなる、いや褒められてることに気付かなくなるんです。賞賛を素直に受け取れなくなる。「ありがとう」「すごいですね」「どうしたらそんなふうになれるの?」「教えてください」等々褒め言葉は溢れているのに、褒められていると思えない。
いい歳して「私のこと愛してる?」なんて親に問いかけるのもためらわれます。子供のことを愛していない親なんていないのに、言葉で言ってもらわないと愛を感じられない。あるいは死んでしまった親を悪者にして「私は愛されてなかった」と愚痴ってしまう。

逆に褒め言葉を沢山受けとれる人、褒め言葉を褒め言葉と認識できる人、自分が愛されている(いた)と感じられる人は、セルフイメージの高い人です。セルフイメージとは簡単に言うと、自分劇場の脚本の様なものです。自分をどんな役者に仕立てるのか、どんな人生劇場を演ずるのかは脚本にかかっています。
他人の言葉でクヨクヨして悲劇のヒロインを演じるのか、自分のやりたい事を楽しんで快活な人生を演じるのか、全て自分で決められるのです。どうせ一回きりの人生なら、悲劇のヒロインを演じるより、楽しく愛に満ちた劇のヒーロー、ヒロインになりたいものです。

ではどうしたら褒め言葉を沢山受け取ってセルフイメージを高められるのでしょう?
そこで、褒め言葉を沢山受け取られる様になる魔法のことばを教えちゃいます。
それは、事あるごとに「俺(私)ってスゴイね!」「私って愛されている」って何度もつぶやくんです。何がスゴイかって理由を言ってはいけません。誰に愛されているかも問題ではありません。何故ならスゴイに理由をつけるとその事象が崩れた時にスゴくなくなるからです。誰かに愛されていると思うとその相手に裏切られた時に愛が崩れます、だからとにかく「私ってスゴイ」「俺って偉い」「私は愛されている」を連発です。無意識に言えるようになると本当に何かがスゴクなったり、偉くなったり、誰かに愛されたりします。セルフイメージは色んなアイテムを調達したり、自分に必要な人をキャスティングしたりすることも出来るのです。

 ね、僕ってスゴイでしょ!(笑)

通信Vol.156(2017年5月)

野山の新緑が眩しい季節となってきました。例年、5月は花粉アレルギーで目や鼻の奥の痒みがあったのですが、今年は薬も飲んでいないのに嘘のように症状が出ないので
ありがたいです。

 今回は「読書のすすめ」と題してお話ししたいと思います。

 まずは下のイラストが気になった方も多いと思います。一番左の人は目の前の綺麗な光景に目を奪われていますが実は壁面に描かれた絵を見て感動しています。

真ん中の人は壁面の絵の向こうに広がる現実の世界を眺めています。一番右の人はさらにそのはるか上空に広がる素晴らしい光景を見ることが出来ています。この三者の立ち位置の違いはどこから来るのでしょうか?

一番左の人は地面の上に立っています。真ん中の人は数十冊の本の上に立っています。一番右の人は数百冊の本の上に立っています。

 このイラストは何をあらわしているのでしょうか?

 人が経験できる物事や、経験する時間には限りがあります。日中仕事をしている人は家に帰って寝るまでの数時間や休みの日の時間しかありませんし、身体も一つですから経験できることには限度があります。それを補うのに読書という手段があります。

 本の著者は、一冊の本を書きあげるのに色んな取材を重ねたり、参考文献として何冊も本を読んだりします。自分に代わって色んなことを経験したり
取材してそのエキスを伝えてくれるわけです。

 そのエキスを自分に取り入れることによって、心で感じる世界観が変わってきます。右のイラストでいうなら段々と視点が変わってきて、物事を広く見られる(感じる)ようになるということです。読書をしている人としていない人では見えている世界観が違うということでしょう。

 ただ、本やインターネット上に溢れる情報は出所があやふやで真偽が定かでないものもあるので、すべて鵜呑みにしないことも大切ですが、喰わず嫌いでなく何でも読んでみる、見てみる、聞いてみることが大切です。取捨選択する選択眼も次第に養われてきます。

 私も最近、忙しさや老眼で本が読みにくくなったのを良い訳に読書から遠ざかっていたので、今日から読書を習慣づけたいと思います。


通信Vol.155(2017年4月)

 昨日、市内を車で走っていたら梅の花が咲いているのを見つけました。今年は開花が遅いようですが、桜の花もまだ固い蕾ですね。会社近くの緑地公園の桜ももうじき咲きだしそうでワクワクします。
 
 今回は健全な自己肯定感の作り方パート2についてお話したいと思います。
前回、自分の自己肯定感を築く為に、自分は何のために生きて、世の中にどうかかわっていくのかという精神の土台の上に「自発型自己肯定感」を築くことをお勧めしました。

今回はそこから発展して、自己肯定感と他者肯定との関係についてお話したいと思います。しっかりとした自己肯定感を持つと他者も肯定できるようになります。「私もOK!貴方もOK!」という状態です。
自己を肯定するということは、良い面も悪い面もひっくるめてオールOKということなんですが、こんな経験はありませんか?友達と話をしていて、他の事で気にかかることがあって話を上の空で聞いていたら後日その友人から「この前言ったじゃない、忘れたの?」と言われて自己嫌悪に陥ってしまう。だれでも1度や2度いやもっとかもしれませんがあると思います。でも良く考えてみて下さい、貴方は日々何十人と会って会話をし、色んな物を見たり感じたりしています。それらすべてをいつまでも記憶しているなんていうスーパーマン(ウーマン)は居ないでしょう。貴方が話している友人は、貴方が一日に出会う人の何十人の内の一人です。ですから友人と話したことを覚えていなくても全然OK!ではないですか?自分が忘れてOKなら、自分が言ったことを相手が忘れていてもOKになりませんか?まさか自分はOKなのに、他人はNGなんてことは言えませんよね?(笑)

他人が自分の事をどう思っているのか気になって仕方がない、という不安も自己肯定感が解決してくれます。自分の心に目を向けてみると、誰かのことを四六時中恨んだり憎んだりするほど暇ではありません。ということは他の誰かが貴方のことを嫌っていたとしても四六時中貴方のことを考えている時間はありません。しかも誰かが貴方のことを良く思っていなかったとしても、それはその人の心の問題であって貴方には直接関係のないことです。他人がどう考えようとどう思おうとその人の思考なので、変えることも無くすことも出来ません。
他人から見た私の像がどうであっても、私が自分の事をいたわって慈しむことが出来たならそれでOKです。辛いことがあったら「辛かったね」、悲しいことがあったら「悲しかったね」、嬉しいことがあった日は「良かったね、嬉しいよ」、怖い時は「怖かったね」って他人に言ってもらいたいと誰もが思いますが、幼少期ならまだしも良い歳の大人が誰かにこんな言葉をかけてもらうなんてことは、ほぼ期待できません。ではどうするかというと自分で自分を抱きしめて「辛かったね」「悲しいね」「嬉しいよ」「怖かったねーよしよし」と自分を慰めるのです。幼いころ母親や父親が暖かく包み込んでくれたように、もし幼いころ親が包み込んでくれなかったなら、現在大人の貴方が貴方の中にいる幼少期の自分を抱きしめて包み込んで「何があってもオールOK!」と言えれば大丈夫です。
他人が自分の事をどう思うかということよりも、自分が自分の欠点も含めて好きになれるかということが自己肯定感で極めて重要です。他人の許せない部分は自分自身の許せない部分の投影なのです。