通信Vol.170(2018年7月)

西日本に甚大な被害をもたらした豪雨で、飛騨地域もあちこちで水害や土砂災害が発生しました。被災された方にお見舞い申し上げます。浄水場が処理能力を超えて断水した地域もありました。ひとたび自然災害に遭うと、普段いかに『安全』を当たり前のように享受しているかがわかります。40年以上前に作家のイザヤ・ベンダサン氏が著書「日本人とユダヤ人」の中で「日本人は水と安全はタダと思っている」と言っていましたが、安全と水はコストがかかるものだということが嫌というほど知らされました。

 今回は幸せや不幸はうつるのか?ということについてお話ししたいと思います。
 うつるかどうかの前に、人は何で幸せや不幸を感じるかということについて考えてみたいと思います。風呂上がりにビールを飲んだ時ですか?仲間とワイワイ言いながらバーベキューをやっている時ですか?給料が振り込まれた時ですか?美味しいものを食べているときに幸せを感じる人も多いと思います。逆に不幸を感じる時ってどんな時でしょう?恋人にフラれたとき?やりたくない仕事を頼まれた時?貯金の残高が限りなく0に近づいた時?誰かに意地悪をされた時?パワハラを受けたとき?
 
 人によって幸せや不幸を感じるポイントが違うと思います。同じ境遇にあってもAさんは「幸せ」と感じていてもBさんは「不幸だ」と嘆いているかもしれないのです。例をあげますと臨時収入で5000円もらえた時にAさんは「ラッキー!回転寿司で腹いっぱい食べよう!」と喜んでいます。対してBさんは「寿司が食べたいのに5000円ぽっちじゃ、回転寿司しか食べられないよ」と残念がっています。コップに半分溜まった水を見て「半分もある」と見るか「半分しかない」と見るかによって、幸せを感じるか不幸を感じるか分かれるということです。
 これは物事に遭った時の思考のクセによって幸せを感じやすい人と不幸を感じやすい人に分かれるということです。この思考のクセというのがく(・)せ(・)者(・)で、生まれ育った環境(特に親の思考のクセ)の影響を強く受けます。また普段一緒に行動している友人や家族の影響も受けやすいのです。周囲の人の思考のクセの影響を受けないほど強い信念を持っている人や、他人に影響を及ぼすほど強烈なキャラクターの人は別として、大抵の人は周囲の人の意見や考え方に流されやすいものです。配偶者やパートナーが「あの人って最低」といえば「そうだよね、最低だよね」と共感するケースが殆どです。そうやって共感してくれる人を配偶者やパートナーに選びやすいので当然と言えば当然ですが。
 自分の思考のクセが誰かの影響を受けやすいということは、友人やパートナーが「幸せ」「不幸」と感じるポイントに共感しやすいということです。つまり「幸せ」を連発する人と一緒に居れば「幸せ」をたくさん感じるようになりますし、「不幸」を連発する人と一緒に居ると「不幸」空気に包まれやすいということです。
 彼氏彼女が欲しい人は、パートナーいない者同士で遊ばないで、彼氏彼女のいる友達と遊ぶと良いなんていうことも聞きます。自分がどんな友達を選ぶかで将来どんな人生を歩むかが見えてくるとも言われます。あなたはどんな友達を大切にしたいですか?

通信Vol.169(2018年6月)

高山もいよいよ梅雨入りの季節となりました。うっとうしいジメジメは嫌ですが雨降りのドライブは好きです。稲垣潤一の「ドラマティックレイン」なんかかけたりすると妙にテンションが上がってしまいます(私かなり古い人間です笑笑)

先日、歌手の西城秀樹さんが亡くなられたと報じられていました。アイドルタレントの元祖のような人で情熱的な歌で存在感のある人でした。自分が子供の頃にテレビで見ていた人がいなくなるというのは寂しい気がします。自分も歳を取ったことを痛感します。

今回はメンタルの強さについてお話ししたいと思います。あの人はメンタルが強い、メンタルが弱いなどと言いますが、メンタルの強さとは一体何を表すのでしょうか。
誰かに嫌みを言われたときに言い返せる人が強い人でしょうか?じっと我慢できる人が強い人でしょうか?
いろんな説があるとは思いますが私はメンタルの強さとは外的要素に心が揺さぶられないということだと思います。外的要素に揺さぶられないとは例えば友達やパートナーから批判の言葉を浴びせられたとしても、それによって自分の心の中が乱されにくいとか、強い外的ストレスをすぐに忘れられると言うことです。よく言えば心のタフな人、悪く言えば外的要素に鈍感な人と言えそうです。鈍感と言うとマイナスなイメージが思い浮かびますが、対人関係において、外的要素にある程度鈍感であると言うのはとても強みなのです。
心が敏感であればそれだけ傷つきやすくなりますし、他人の評価を気にして自分のやりたいことが出来なくなってしまう可能性があります。他人がどんなに不機嫌な顔で居ても自分はそれにつられないで上機嫌で居られるのはメンタルが強い証拠です。喩えるならば外でどんなに暴風雨が吹き荒れていても、建付けのしっかりした頑丈な家の中に居れば少しも濡れずにすみますが、屋根に穴が空いている家に住んでいたらどうでしょう?少しの雨でもびしょ濡れになってしまいます。メンタルを強くするということは、建てつけの良い頑丈な家に住むのと同じです。嵐にあったら、家の中でテレビでも見て嵐が過ぎるのをじっと待つだけです。
メンタルを強くする目的は何か考えてみたいと思います。メンタルが強いとどんな良いことがあるのでしょうか?他人にどう思われているのかが気にならなくなったり、周囲にどんな人がいても自分の機嫌を乱されなくなります。自分が主体の人生を送れるようになるということです。先ほどの家の譬えでいえば、外で暴風雨が吹き荒れていても快適な家の中でソファーに寝転がってテレビをみて過ごすことが出来るのと、屋根に穴の開いた家で、雨漏りに不安を感じながら過ごすのでは雲泥の差があります。
他人の機嫌が悪いのはその人の都合であって、貴方には関係のないことです。嫌味を言ってくる相手は貴方に嫉妬しているのです。あなたが目標を高く持てば必ずドリームキラー(夢を壊す人)が現れます。そんな他人の言動で一歩踏み出すのを止めたり、クヨクヨするのは勿体ないことです。1年365日、1日24時間は万人に平等に与えられています。同じ時間を過ごすならば、どうにもならない他人のことを考えて過ごすより、どうしたら満足のいく人生になるか、どう高みを目指せるか、どんな楽しいことがあるかを考えて生きる方が良くないですか?
一度きりの人生ですから。

通信Vol.168(2018年5月)

GWも終わり野山の新緑がまぶしい季節になってきましたね、梅雨のジトジトは嫌いですが、雨にぬれる新緑はみずみずしくて心が落ち着きますね。

今回は自分を大切にしようというテーマでお話したいと思います。あなたは自分を大切にしていますか?
そりゃあ自分が大切だから大事にしているよと答える人も多いと思いますが、食べすぎが止められない、タバコが止められない、お酒を飲みすぎてしまう、不摂生が止められない、他人のことが大切に出来ない、なんて人は心から自分を大切だと思っていないのかもしれません。
食べ過ぎやタバコお酒を、健康を害するほど摂取してしまう人は、自分の身体を犠牲にして何かを得ようとしているのかもしれません。たとえば親の愛情、パートナーの愛情、周囲の人からの愛情などです。子供のころ怪我や病気で具合の悪い時しか親からの愛情を感じられなかった人は、自分の身体を犠牲にしてでも相手からの愛情を引き出そうとします。もしそんな思考癖の持ち主でしたら、自分の身体を犠牲にして相手から何かを引き出すよりも、自分の最大の味方が自分自身だということを自覚することが必要です。自分自身の一番の理解者は自分自身ですから。
 思春期の私がそんな思考癖の持ち主でした、親とのコミュニケーションが苦手で自分から親に打ち解けることが出来ず、親も放任主義で結構ほったらかしで育てられたので、自分に関心を持ってほしくて、未成年なのに飲めない酒を飲んだり、タバコを吸ったり、無免許で車を夜な夜な乗り回していました。もちろんその当時は自分が親の愛情が欲しくてそんなことをしているなんて自覚はありませんでしたが。
 愛情が欲しい時だけでなく、相手へ怒りをぶつける方法としても自分を痛めつけることがあります。いじめによる不登校や自殺など、相手への最大級の抗議の手段として自分の命を引き換えにしてしまうこともあります。時には病気になったり精神を病んだりすることもあります。
 愛情を得ようとする時、相手へ抗議しようとする時、両方に共通するのは相手を変えようとする思考です。実はこの「相手を変えようとする考え」がいろんな場面で苦しみの元となります。エリック=バーン(カナダの心理学者)は「過去と他人は変えられない。しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。」と言っています。
 相手から得られないことに不満を感じたり、相手からの言葉に傷ついた時に真っ先にやらないといけないのは自分の心のケアです。自分の心の傷の手当に最大限の力を注ぐべきです。自分を大切にできない人は他人を大切にすることが出来ません。持っていないものを他人に与えることが出来ないのです。他人を大切に出来なければ他人から大切にされることもありません。人間関係は双方向ですから、どちらか一方からだけ大切にしたりされたりするということは滅多にありません。
 ですから自分を自分で大切にしたり他人から自分を大切にしてもらうようにするには、自分を大切にすることが最大優先事項なのです。あなたの一番の味方はあなた自身ですから。

通信Vol.167(2018年4月)

春の高校野球で優勝した大阪桐蔭の根尾昴君(飛騨市出身)の話題で先日盛り上がりました。スポーツを観戦する楽しみって他人の頑張りに元気をもらえるからなのでしょうね。オリンピックや箱根駅伝高校野球などスポーツ選手の頑張りに元気をもらう人は多いです。自分はあまりスポーツ観戦をしないのですが、たまに見ると熱い気持ちが込み上げてきますね。

ここから今回のネタです。一昨年末に15年飼った犬が死んでからペットを飼っていなかったのですが、最近また犬を飼い始めました。久しぶりに犬の躾けをしていてわかったことをシェアしていきたいと思います。
犬の問題行動は犬の性格もあると思いますが、飼い主のしつけが大切だと言われます。子犬の時のしつけが大切だからとトレーナーに預ける人もあるそうです。しかし飼い主の元に帰ってきてから、又元の状態に戻ってしまうことがよくあるそうです。ここから分かる事は、問題行動の原因は犬でなくて飼い主側にあるということです。犬は人間の人間の言葉が理解できませんから、人間の声のトーンで感情を感じ取って振舞います。飼い主が強く叱るとシュンと小さくなったり、褒めると得意げになったりします。トイレ以外でそそうをして飼い主にかまってもらおうとすることもあります。嫉妬して飼い主以外に噛み付くこともあります。飼い主がいつも犬の機嫌をとるように振る舞うと、どんどんわがままになります。これらの行動から何がわかるかと言うと、犬にどう振る舞ってほしいかを考えて叱ったり言葉がけをしたりしてもうまくしつけられませんが、犬がどのタイミングでどう言われたら嬉しいのか、嫌なのかを考えるとうまくしつけられるのです。
例えば「オスワリ」を教えるのに無理矢理座らせて「オスワリ」と言ってもなかなか覚えてくれませんが、何かのタイミングで座った時に「オスワリ!よしよしいいぞ!」と撫でると覚えてくれます。トイレを失敗したときに叱るより、上手くいったときに「オシッコ!よしよし」と褒めると次も褒めてもらおうとがんばります。噛んだ時や吠えた時に何らかの反応をすると犬は人間が喜んでいると勘違いして問題行動がエスカレートします。つまり褒めるも叱るも犬にとっては飼い主とのコミュニケーションの動機付けになっているので、叱るのも回数が多いと効果がありません。
これらの事は人間社会にも見られます。以前、お医者さんに、アトピーの子供にお母さんがつきっきりだと余計痒がるので、夜は別部屋で休んだ方が良いと言うことを聞きました。子供は、お母さんが痒いところを掻いたりあやしてくれると、それが目的になって、さらに痒がって母親の関わりを要求すると言うのです。子供はもちろんそれらの行為を無意識に行っています。
思春期の子供が親の愛情が欲しいと言う理由で非行に走るのはよくあることです。親代わりに先生やお巡りさんが深く関わることによって非行から立ち直ったと言うのは、子供が求めていた愛情を親代わりの人が与えてくれたことによります。非行に走る子供たちは自分が愛情不足だとは認識していませんが、心で思うことが行動に現れます。
最近は少なくなりましたが、暴走族が爆音を轟かせで迷惑行為をするのも、そうすることによって社会から関わってもらえるからなのです。手段が反社会的なだけで、社会に求めているのはスポーツ選手や芸能人たちと変わりありません。 問題行動をやめさせるには、どうしてその行動をとるのかと言う根本的な原因に目を向けに向けなければ解決になりません。本人にどう振る舞わせるかの前に、本人にどう関わるかが大切なのですね。

通信Vol.165(2018年2月)

今回は「物事にゴールを決めよう」と題してお話ししたいと思います。皆さんはこんな経験がありませんか?「仕事が終わってから趣味のサークルがある」「仕事が終わってから友達との飲み会がある」「家に帰ってから子供の誕生会をする」こんなときは、仕事の能率が上がって予定より早く仕事を終えることができた・・・。旅行に行くときも、まず最初に決めるのは旅行の日程と行き先です。小説や漫画の作家さんたちも最初に締切り日が決まっていて、その日に向けて創作活動に取り組みます。
先日会社のリフォームを依頼した工務店の会長とお話しをする機会がありました。入札から引越しまで3週間半というかなり無理なスケジュールでお願いしたにも関わらず、完成予定よりも早く工事を終えてもらったお礼を伝えると「期日が決まっている工事の方が現場がピリッと引き締まる。完成はいつでもいいよというのがダラダラして一番良くない」とおっしゃいました。工期が決まっていると、施主(私)に投げかけられる質問にも即座に答えなくてはならないので、私や下請け業者の方々等、関わる人たち皆にも迅速な対応が求められます。「急ぎの仕事は忙しい人に依頼せよ」とも言われます。

 生活すべてにゴールの日時を決めると言うのは、ストレスがかかりますから大変ですが色んなことにゴールを決めるというのは大事だと思います。ディズニーランドに遊びに行くとなったら、何時に現地について何時まで遊ぶのかというゴールを決めないと何時に出発するのか?交通手段は?予算は?すべてが決まりません。逆にゴールが決まると目的達成するための手段にはそれほどこだわる必要が無いこともわかります。色んなことにこだわりすぎて物事がなかなか進まない人は、ゴール(目的)と道程(手段)を切り離して考えてみるのも一つの方法です。
 ビジネス書作家の千田琢哉氏は「仕事が速いから早く帰るのではない、早く帰るから仕事が速くなるのだ。」と言っています。千田氏はサラリーマン時代、退社時間を決めてから仕事に取り掛かっていたといいます。ゴールを決める習慣がつくと、仕事を完了するために無駄を省くことがどんどん習慣化していきます。
 こういう話をすると必ずあがってくるのが「仕事が速くて定時で帰る人より、仕事が遅くて残業をする人の給料が(残業代の分)多いのは納得いかない」という意見です。
 当然、目先の収入は残業をする人のほうが多い気がしますが、長い目で見ると仕事が速い人はどこでも引っ張りだこで、リストラの候補からは外されるでしょうし、空いた時間で自分磨きをすれば、将来の伸びしろも無限大です。人生はインプットに応じてアウトプットが決まるブラックボックスのようなものですから、仕事が速い人が損することは絶対にありません。予期せぬところから臨時収入があったり、重要なポストに抜擢されたり独立して成功した人は沢山います。大事なのは目先の収入にとらわれて腐ることなく、高みを目指すことではないでしょうか。

通信Vol.164(2018年1月)

今年は予想よりも年末年始の積雪が少なく、正月はゆっくり出来た人も多かったのではないでしょうか。早いもので今年も半月過ぎてしまいましたね。
今回は幸せになる準備についてお話したいと思います。
大学に入る、資格を取る、希望の会社に就職する、ダイエットをする、どれをとっても数ヶ月から数年間の勉強なり訓練が必要です。同じように私たちは幸せになりたいと思っても、それに向けての努力をしないと幸せにはなれません。もちろん生まれもって幸せ体質の人はいますが、大抵の人は今の自分が置かれている環境に満足していないのではないでしょうか。
「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」といわれますが、人の心をもっと分析すると思考の癖によって心の中に思い描くことが決まってきます。ですから思考の癖によって運命が変わるということです。自分の思考の癖を知ってどう直したいかを考えれば、その方向に心は変わります。
自分が幸せ思考か不幸思考かをまず知る必要があります。自分が幸せであると感じている人とそうでない人の決定的な思考の違いがあります。それは「幸せな人は自分が幸せである証拠を集め、不幸な人は自分が不幸である証拠集めをする癖がある」ということです。
幸せな証拠とは、自分が愛されている証拠、自分が優秀な証拠、自分が恵まれている証拠、自分がついている証拠、誰かが自分を好いている証拠を集めて幸せな気分に包まれています。逆に不幸の人は、自分が愛されていない証拠、自分が劣等な証拠、自分が恵まれていない証拠、自分がついていない証拠、誰かが自分を嫌っている証拠を集めてイライラ・モヤモヤしています。
どっちの証拠集めをするかは、自分の思考の癖によって決まってきます。同じ環境にいたり、同じような出来事に出会っても「自分は幸せだ」と思う人もいれば「自分は不幸だ」と思う人がいます。たとえば病気になった、失業した、車で事故をしたといって不幸だと思う人もいれば、同じ境遇にあっても高度な医療技術の整った日本で病気の治療を受けられることに感謝したり、失業保険や生活保護社会保障の整った日本に生まれたことを喜んだり、事故をしても命があること軽症だったことに感謝する人もいます。
思考の癖と言うのは、不幸な証拠を集めなさいと言われて不幸な証拠を集めたり、だれかに諭されて幸せな証拠を集めるということではなく、無意識にどこに着眼して証拠を集めるかということです。不幸な証拠集めをする思考の癖のある人が、いきなり自然に幸せの証拠集めをすることは難しいかもしれませんが、最初は「あ、また不幸の証拠集めをしてる」と自分の心の中を見てみて「幸せな証拠は無いかな」と自分の心に問いかけてみましょう。何度もやっているうちに自然と幸せな証拠探しが出来る思考の癖がついてくるはずです

通信Vol.163(2017年12月)

今年は初雪が例年より早く、冬支度をせかされているような気がします。皆さんはどんな冬支度をしていますか?
今回は前々号でお話しした内容についてもう少し掘り下げてみたいと思います。
前々回の内容というのが、裸足でいばらの道を歩いて「いばらのトゲ」で足が傷つき「痛い」と思った時、いばらにトゲがあるからだと言うのも正解ですし、自分が裸足だからと言うのも正解ですが、この痛みにどう対処すればよいのかという内容でした。
ここで言ういばらというのは他人の事です。他人の行動や発言でイライラするという事象をこのたとえに当てはめると、「他人の言動」=「いばらのトゲ」でイライラしたり傷つくというのは、素足でいばらの道を歩いて「相手があんなことを言ったから」だとか「あの人があんな態度を取ったからだ」「あの人の言動が許せない」=「いばらのトゲが悪い」と言って素足でトゲを踏んで痛がっている状態です。
 
誰かに殴られたり銃で撃たれたりしたときに、誰が殴ったのか何で殴ったのか、こぶしで殴ったのか鈍器で殴ったのか、はたまた自分を撃った銃は何口径かなんていうことを問題視するよりも、自分の怪我の手当てやどこの病院へいったらいいかという心配をするのが先決ではないでしょうか?
ところが人間関係になると自分の心の手当てをそっちのけで、あの人があんなことを言うから悪いんだとか、あんなことをしているのを見ると不愉快だなんて考えてしまいます。まずは自分がどれくらい傷ついたのか、どうしてその言葉を言われると心が痛むのかを考える必要があります。そして傷ついた心のケアを真っ先にする必要があります。そして素足でいばらの道を歩いて足が傷ついたのなら、傷が癒えてもまた素足で歩いたら同じように足に怪我を負ってしまいます。傷の手当と同時に靴を履く知恵が必要です。

いばらにトゲがあるのは極々当たり前のことですからいばらを責めても仕方がありません。テレビでニュースや、芸能人のスキャンダルを見て「あんな人許せない!」と憤っている人がたまにいますが、腹を立てる前にやるべきことはテレビのスイッチを切ることです。それが素足に靴を履くと言うことです。自分が聞いて不快な情報や他人の言動は見ない、聞かないと言うのが最善策です。

また過去につらい体験、悲しい体験があると、悪気ない言葉で必要以上に傷ついたりします。同じことを言われたりされても自分と同じように傷つかない人がいるということは、自分の心に古傷があるということなのかもしれません。
自分の心の傷の手当を考えることが出来るのは自分しかいません。「自分の心の状態をよく見ること」=「怪我の状態を観察する」ということがとても大切です。
素足に靴を履くと言うことは自分自身をよく知るということでもあります。自分を知るというのはとても大切なことです。雪山に登るのに、自分がそれにふさわしい装備をしているのかを知らなかったなら遭難してしまいます。人生と言う雪山で遭難しないためにも自分の心の状態を今一度点検してみましょう。