通信Vol.205(2021年6月)

 梅雨入り宣言してからは、雨が殆ど降らない不思議な梅雨入りですね。高山でもコロナ感染が広まっています。新型コロナは感染力は強いものの病気としてはきちんと治療すれば治る病気なので、少しでも体調が悪いと感じたら早めに病院で診てもらいましょう。

 

 今回は北海道新聞に中年男性が以前投稿した記事というのが素敵だったのでシェアしたいと思います。

 

終電車の発車間際に切符なしで飛び乗り、車掌さんが回ってきた時に、切符を買おうと財布を出そうとしたが、財布がなかった。小銭入れもない。どこかで落としたのだろうか。

 

途方にくれたけれども、そのことを正直に車掌さんに言いました。

 

「すみません。明日、必ず営業所まで行きますから、今日は乗せてください」

 

ところが、この車掌さん、よほど虫の居所が悪かったのかどうか、許してくれない。次の駅で降りろ、と言うのです。

 

次の駅で降りても家に帰る手段はない。ホームで寝るにしては、北海道の夜は寒すぎる。どうしようもなくて困っていたら、横に座っていた同じ年格好の中年の男性が回数券をくれたんです。

 

お礼をしたいからと言って、その男性に名前や住所をたずねたけど、ニコニコ手を振って教えてくれない。

 

最後は借りたことを忘れて、なぜ教えてくれないのかと文句を言ったら、次のような話をしてくれたんです。

 

「実は私もあなたと同じ目にあって、そばにいた女子高校生にお金を出してもらったんです。その子の名前を何とか聞きだそうとしたけど教えてくれない。

 

「おじさん、それは私のお小遣いだから返してくれなくて結構です。それより、今おじさんがお礼だといって私に返したら、私とおじさんだけの親切のやり取りになってしまいます。

もし、私に返す気持があったら、同じように困った人を見かけたらその人を助けてあげてください。

そしたら、私の一つの親切がずっと輪になって北海道中に広がります。そうするのが、私は一番うれしいんです。そうするようにって私、父や母にいつも言われてるんです。」

 

と私に話してくれました。』

というお話でした。どうですか、自分から始めた親切の輪がどんどん広がっていったら温かい世の中になると思いませんか。

通信Vol.204(2021年5月)

 全国的にコロナワクチンの接種も始まり、ようやく終息に向けてのめどが立ちそうな感じになってきました。コロナが終息したら貴方は何をしますか?旅行?飲み会?カラオケ?バーベキュー?「緊急事態宣言だ」「蔓延防止だ」と暗い話題で滅入るくらいなら、コロナ終息後のプランを練ってみてはいかがでしょうか?

 

 今回は、「5月病」の克服の仕方についてお話したいと思います。貴方は「5月病」になったことがありますか?私は毎年5月病を発病しています(笑)

そもそも5月病とは何かといいますとWikipediaによると日本においては、新年度の4には入学や就職、異動、クラス替え、一人暮らしなど新しい環境への期待があり、やる気があるものの、その環境に適応できないでいると人によってはうつ病に似た症状がしばしば5ゴールデンウィーク明け頃から起こることが多いためこの名称がある。医学的な診断名としては、「適応障害」あるいは「うつ病」と診断される。発症に至る例としては、今春に生活環境が大きく変化した者の中で、新しい生活や環境に適応できないまま、ゴールデンウィーク中に疲れが一気に噴き出す、長い休みの影響で学校や職場への行く気を削ぐなどの要因から、ゴールデンウィーク明け頃から理由不明確な体や心の不調に陥る、というものがある。」とあるように、病名を付けてしまうと「うつ病」とか「適応障害」になるらしいのですが、私の場合は毎年のことなので、「自然にエネルギーがみなぎる頃だから、俺のエネルギー吸い取られているのかな」と考えて時間が経つのをひたすら待っています。時間が経てば普通に戻ると思っているので、病気だとは思っていませんし、事実6月になると嘘のように元気になっています。

 元気が出ないとき、悲しみに打ちひしがれているときには、その状況にどっぷりと浸かる方が早く脱出できます。無理に元気を出そうとすると泥沼にはまったように、抜け出しにくくなります。もし泥沼にハマったように落ち込んでも安心してください。雪道でスタックした自動車も春まで置き去りということはありません、誰かが押してくれたり引いてくれたり、あるいは自分の力で脱出したり出来るように、心がスタックしても何かのきっかけで必ず脱出できると信じることが大切です。悲しい時には思いっきり悲しんで泣いたりわめいたり、落ち込むときにはどっぷりと落ち込むのが得策です。深海に沈む貝のように深く沈んで心を閉ざしたって良いんです。時が解決するか、何かの拍子にフッと浮かび上がることができるはずです。

 少しづつ元気が出てきたら、身体を動かしてみるのも良いことです。身体を動かすことによって脳は「あれ?自分、病気だと思っていたけど、意外と元気やん。」と良い方に勘違いしてくれます。行動療法と言われるものですが、元気なフリをすることで元気が出てきます。もちろんこれはタイミングが大事ですので元気が出て来た時にやるのが有効です。

 どんなに不調でも、止まない雨はない、明けない夜はないと信じて、ひたすらその時を待ちましょう。泥沼から脱出したい、新たなステップを踏み出したいと願い、いろんな手段を模索することが大切です。現状に甘んじたり、お酒やドラッグに逃げなければ必ず光は見えてくるはずです。一人で悩まずに営業スタッフ、コーディネーターに遠慮なくご相談ください。

通信Vol.203(2021年4月)

今年は例年より10日ほど桜前線の到来が早く、花見の宴会は出来ませんが、お天気続きで花見に出かけられた方も多かったのではないでしょうか。この通信が皆さんの手元に届くころには、桜の青葉が出てきているかもしれませんね。

 

 今回は、日々穏やかな心の状態を保つ方法についてお話ししてみたいと思います。

貴方は、夜ぐっすり眠れていますか?不眠の多くの原因は人間関係のトラブルであるといいます。「あの人にこんなことを言われた。」「あの人に酷いことを言ってしまった。」「どうしてあの上司は自分のことを理解してくれないのか」といった具合に、考え始めると頭の中で色んな思考がグルグル回りだして眠れなくなってしまうのだそうです。

 

こういった思考を繰り返す人の特徴は、「自分のことを大事にされていない」「あの人は自分のことを見下しているんじゃないか」「自分はどんな風に思われているんだろう」などと自分中心の思考に陥ってしまう傾向があります。思考の矢印が自分に向いてしまっているのが悩みの大きな原因です。自分のことを相手がどう思うかは、相手の都合によります。相手の都合によって自分に対する気持ちは180度変わったりします。酒が好きな人に酒を勧めたら喜ばれますが、酒が嫌いな人に酒を勧めたら困惑するでしょう。同じ行動をとっても相手によって受け取り方はさまざまなのです。

 

 ではどう考えれば、平穏な心の状態を保てるのかというと、まずは自分の課題(領域)と相手の課題(領域)をしっかりと分離して認識することです。相手の課題か自分の課題かをしっかり見極めるということです。

 次に自分が相手に対して何をしてあげられるか、どんな援助が出来るかを考えることです。これは私自身の課題です。自分の行動に対して相手がどうリアクションするかは考えてはいけません。それは相手の課題ですから。先ほどの例で考えると、酒を勧めた相手が酒が嫌いと分かれば、違う飲み物を勧めるということです。それでも断られたら、相手が飲み物を必要としていないということです。

 どうすれば相手が喜ぶよう援助できるか、どうすれば相手が成長できるよう援助できるか、どうすれば相手の苦しみを抜くお手伝いができるか、どうすれば相手が楽しく過ごせるよう協力できるか、どうすれば相手が課題を克服できるよう援助できるか、相手が日々穏やかに過ごせるよう自分に出来ることは何か等々、相手の立場に立って、かつ自分が主語で、ものごとを考えるようにすると驚くほど心が穏やかになります。

 

 注意する点は、相手のニーズとそれに対して自分に何が出来るかだけを考えるということです。自分の課題だけを考えるということですね。その結果相手がどう思うか、何を言うか、どんな態度をとるかは相手の都合で決まりますから、そこまで考えなくてよいということです。他人の課題に踏み込んで悩むのは、一見普通のことのような感じがしますが、他人の家にズカズカと土足で上がりこむようなものです。人には喜ぶ自由、悲しむ自由、成功する自由、失敗する自由、悩む自由があります。たとえわが子であっても、その人に過度に干渉し、おせっかいをやくのは、自由を奪っているようなものです。

 

 自分も穏やかになり、相手も穏やかになればWINWIN(双方良し)の関係が築けますよね。

通信Vol.202(2021年3月)

 

 デスクに座って眺める景色から雪がなくなり、春の訪れを感じる今日この頃です。

 

 今回は先日車を車検に出したときに、車検のコバック高山西之一色店の社長奥様から伺ったお話を共有したいと思います。

朝、車を預けるのですが、書類の受付から車両の修理必要箇所のチェック、交換部品やオプションを含めた車検費用の見積り、代車を借りて店を出るまでの時間がトータル15分と超スピーディーなお店です。

夕方、車の引き取りに行った時に、入り口横に立っているウェルカムボードに書かれているお客さんの名前に目が留まりました。ボードには20名ほどの名前が書いてありました。対応してくれた社長の奥さんに「ウェルカムボードの名前って1日分ですか?」と尋ねると「1日分です。車検だけじゃなく一般整備も含めてですけどね。」との答えが返ってきました。驚いて「すごいですね、やっぱり忙しい人は仕事が速いんですね。」と返すと「これでもだいぶん処理スピードは速くなったんですが、最初の頃は9時とか10時まで掛かっていました。」とのこと。仕事が速くなった秘訣を尋ねると「色々アドバイスをされても、自分のやり方が正しいと思ってやり方を変えなかった時は、仕事が中々時間内に終わらなかったんですが、アドバイスを素直に聞いてその通りにやり始めてから仕事が速くなったんです。自分が持っているもの(培ってきたもの)を手放すのって中々大変でした。」と笑って話してくださいました。

それを聞いた途端「ボトッ」と目からウロコの落ちる音がしました。どうしても「自分は正しい」「このやり方で間違いない」と「自分が」「俺が」という気持ちが中々離れず、自分でやった方が速いと思ってやっていたことが走馬灯のように思い出されました。ここで思い出されたのが「能力の低い人ほど、自分の能力を過大評価する」という『ダニンング・クルーガー効果』です。自分の能力が低いと自覚できれば他人のアドバイスを素直に聞けるのでしょうけれど、自分の方が相手より能力が高いと思い込んでいるうちは他人の意見は聞けません。大学生が小学生のアドバイスを聞けないように、自分の方が相手より能力が高いという思い込みがいろんな声をシャットアウトしてしまうのでしょう。自分の過去を振り返ってみると、仕事やその他のアドバイスを色んな人からもらっていたような気がするのですが、相手が自分と同じような経験のない人や立場の全く違う人からのアドバイスに対して全く聞く耳を持っていなかった気がします。自分の方が経験豊富だとか、自分の立場は自分にしか分からないという思いこみを持っていたからだと思います。私は、まさに能力の低い人だったのです。さらに深く自己分析する為にダニング・クルーガー効果について調べてみました。

この効果を定義したデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーによって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間は以下のような特徴があることが分かった。

・自身の能力が不足していることを認識できない

・自身の能力の不十分さの程度を認識できない

・他者の能力を正確に推定できない

・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。

                                Wikipedia

耳の痛い言葉ですが欠点を認められれば、改善するように努力も出来ます。現状認識できただけでも、成果があったと思って前向きにとらえたいと思います。

通信Vol.201(2021年2月)

 日に日に日没時間も遅くなり、春の足音が聞こえてきそうな気配です。私は冬(というか雪景色)が好きなので少し寂しい気もします。

 今回は心理学者のアルフレッド・アドラーが提唱する「課題の分離」ということについてお話ししたいと思います。課題の分離とは、何か問題が起こっていると感じたときに、誰の課題かをよく見極めて、自分の課題でない物事には口を出さない、気をもまないということです。

たとえば、子供が宿題もやらずにテレビばかり見ている。「親の立場としては、子供が宿題をやらずに学校で叱られるのもかわいそうだし、先生に親がしっかり監督していないと思われるのが嫌だ。」と考えるお母さんがいたとします。この場合の課題は2つです。①は子供が宿題をやらずに学校へ行き先生に叱られるであろうということ、②は宿題をやらずに学校へ出した子供の監督責任を親として問われるのではないかという不安です。それぞれの課題について考えてみると①の課題は子供の問題です。宿題をやらずに叱られるのは親でなく、子供なので気をもむだけ時間の無駄です。叱られることで何か気付きがあったり生活態度が改善するかもしれません。②については子供が宿題をやらないことで親に監督責任を求めるか否かは先生の課題なのでこれも考えるだけ無駄です。予測で不安になる気持ちもわかりますが、実際に先生から連絡が来てから考えればよいことです。

もう一つ会社の中でよくあるもめごとについて考えてみましょう。同僚の○○さんが、よく上司や同僚の目を盗んではサボっているという事実を貴方が発見したとします。この場合もやはり仕事をサボっているという課題はその当事者の問題です。もちろん貴方が注意出来るのならばそれに越したことはありませんが、注意出来ないというのは、他人から良く思われたいという点であなた自身の課題です。もちろんサボっていいわけではありませんが、因果の道理(原因と結果の法則)に従ってやがてその人にはそれ相応の結果が返ってきますから貴方が気に病まなくても良いのです。

釈迦の教え(仏教)に「他人のしたこととしなかったことを見るな、自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」という言葉があります。他人があれをしたこれをした、あれをしなかった、これをやっていないということを見るなと教えられています。他人の行動に着目すると心がザワザワするのを感じませんか?考えること自体が時間の無駄だし、考えても仕方のないことだということです。

相手の課題に踏み込む自分の心理状態に着目してみましょう。街で見かけた他人や、テレビで見ている芸能人の課題に気分を害する人もいますが、たいていの人は身近な家族であったり、友達の課題に踏み込もうとしてあれこれ悩みます。その行動の裏には相手をコントロールしようという意識が働いています。子供であったり、身近な友人の行動が気になったり指導したくなるのは、相手がコントロール可能だと思うからです。しかし、もし相手をコントロールできたとしてその先にあるものは何でしょうか?おそらくコントロールにたびたび成功した相手は、今後ことあるごとに貴方の意見を聞きに来るでしょう。この心理状態を他者依存と言います。相手は貴方が望むような行動、貴方が気に入る回答をするように振舞った方が干渉されずに平穏でいられるからです。
 親や他人に気にいられるような生き方が果たして自分らしい生き方と言えるでしょうか?他人の自由な生き方を奪わない為にも、課題の分離はとても大切なことです。誰にでも壁にぶつかったり、失敗する権利があります。そして本人がそれを乗り越えるだけの脚力、腕力を持っていると信じて見守ることが大切になってきます。

 

 

通信Vol.200(2021年1月)

年末からのドカ雪に見舞われ、正月が雪またじで明け暮れた方も多いのではないでしょうか。先日久しぶりに屋根の雪を下ろそうとしたら、身体が以前のように軽く動かなくて、加齢を感じた今日この頃です。

 

 今回は、掃除の達人といわれる羽田空港清掃員の新津春子さんの言葉から仕事について考えてみたいと思います。羽田空港を「清潔な空港」5年連続世界一に導いているカリスマ清掃員です。教科書にも載るほどの仕事ぶりの新津さんのモットーは“やさしさ”です。使う人のことを思いやり“目に見えない部分”にこそ気を配ります。彼女は「ただ清掃をやればいいというもんじゃないと思う。心を込めれば色んなことも思いつくし、“どこまでできるか”を常に考えて仕事をしている。」といいます。中国生まれの日本人である彼女は17歳で日本に渡航してきて、清掃の仕事を始めます。清掃の仕事は社会的地位が低いと感じ、やる気を無くしていた彼女に当時の上司が言います「もっと心を込めなさい。心に余裕がなければ、いい掃除は出来ない。」 それまで、綺麗に掃除して自分がキレイと思えばいいじゃないかと思っていた新津さんは、ハッと気が付きます。自分がキレイと思うだけじゃただの自己満足だ、お客様が掃除後の状態を見てキレイと思ってもらえなければいけない。技術だけじゃなく使う人の身になって、思いやりと配慮を込めた清掃が必要だと気付いたのです。

 彼女は言います「掃除の現場は自分の家と思って心を込めないといけない。」何度世界一に輝いても「まだまだ頂点じゃない。毎回新しい発見がある。」と言います。「自分も常に進化していかないといけない。」と自分を奮い立たせます。

 どんな仕事でも不平不満を言いながら嫌々やっていたら自分もみじめになるし、周囲にも嫌な思いをさせてしまいます。逆にどんな仕事でも昨日より今日、今日より明日、一歩でも半歩でも前進しようと努力していたら、その人は輝いています。

 

 こんな小話があります。ある人が住む場所を求めて旅をしていました。とある街に入る道端に老人が座っていました。旅人は老人に問いかけます「この先の町に引っ越そうかどうか迷っていますが、この先の町はどんな町ですか?」老人は逆に聞き返します「お前さんが住んでいた町はどんな町だった?」旅人は答えます「それはひどい町でした。人々は嫌な噂話をしたり、人の足の引っ張り合いをしたり、活気も無かった。」老人は旅人にこう言います。「そうか、この先の町も同じじゃよ」旅人は落胆して次の町へと旅を続けました。暫くすると又別の旅人がやってきて老人に聞きました。「この先の町に引っ越そうと思うのですが、この先の町はどんな町ですか?」老人は又聞き返します「お前さんが住んでいた町はどんな町だった?」旅人は答えます「人々は希望に満ちて、活気に溢れとても良い町でした。」老人は答えます「そうか、この先の町も同じじゃよ。」それを聞いて、旅人は意気揚々と町に入っていきました。

 老人はどうして、この二人の旅人に同じ返答をしたのでしょうか?町の実情を知らなかったのでしょうか?いいえ老人はこの町の長老で街の隅々までよく知っていました。でも二人の旅人がそれぞれ以前住んでいた町で感じたように、次の町の印象を持つことは容易に想像がついたのです。

 

 住むところ、周囲の人、仕事に対する感じ方、異性の好みも人それぞれだと思いませんか?自分が嫌いな人でも世間中から嫌われているわけではありません。自分が嫌な仕事だと思っていても、周りの人が同じように感じているとは限りません。自分がいかに目の前の仕事にやりがいを見出すかどうかは、自分自身にかかっています。

通信Vol.199(2020年12月)

日に日に寒くなってきました、冬の足音がそこまで聞こえています。まだまだ我が家の冬支度(雪囲い)が済んでいないので、少し焦っています。

 

 今回は自己受容と自己啓発ということについてお話ししたいと思います。自己受容とは現在の自分の状態を受け入れて、ありのままの自分を受け入れるということです。自己啓発とは、現状の自分に満足せず、より高みを目指す、高い目標に向かって努力するということです。ある人は現状のままでいいよ、ありのままの自分を受け入れなさいと言い、またある人は、現状に満足したら成長しない、より高みを目指しなさいと言います。一見すると全く真逆のことを言っているように聞こえます。どちらを選んだら心穏やかに居られるのか、どちらを選ぶのが自分のために良い選択になるのか、迷う人も多いと思います。

 この二つは、どちらか一方に着目するともう一方を忘れがちなのですが、どちらも重要だと思っています。自己を受容することで地に足がついて、より高みを目指すことができるということです。自己受容を抜きにして、自分に高い目標を作って努力しようとしても楽しむことが出来ません。なぜなら自己啓発とは現状の自分を否定するところからスタートするので、自己受容しないで自己啓発にとりかかると、自分を否定的な視点でしか見られなくなって不健全な精神状態となるからです。

 自分の心をトランシーバーに譬えると、自己受容に必要なのは受信機、自己啓発には発信機が必要ということです。自己受容するためには、自分を肯定的に観る情報を集めるために受信機の感度を上げなくてはいけません。感度の悪い受信機では、「声なき声」を聴くことが出来ません。「声なき声」とは、自分が周囲の人から愛されている、感謝されているという思い込みにも似た感情ということです。発信機というのは、自分から他人に向けて情報を発信するという意味ではなくて、自分から社会に対して何かアクションを起こすということです。

 ボランティア活動を例にとって、トランシーバーの受信機と発信機の役割を解説してみたいと思います。貴方が人知れず朝早く自宅近所の清掃活動をしていると仮定してください。朝早いので誰も見ている人はいません。このとき貴方は受信機の感度を上げて、地域の人たちが自分に感謝している感情を受け取ります(勝手な思い込みです)。その感情を燃料にしてさらに清掃活動に取り組むのが送信機の役割です。受信機の感度が悪いと他人から感謝されていると思えず、清掃活動に取り組む意味を見いだせません。

 この受信機の感度をあげて「声なき声」を聴くこと、かってに良い感情を受け取ることこそが自己受容で一番大切なのです。自分は周りから愛されている存在なんだ、自分に関わったみんなが自分を好いてくれている、自分に感謝してくれている、社会に貢献しているというプラスの思い込みを増やすことが受信機の感度を上げるということです。

 自己受容が出来たなら、他人に向けて与える余裕ができたり、多少の失敗も他人からの批判も乗り越えられるだけの精神力が身に付きます。「自分を愛する程度にしか他人を愛せない」(カレン・ホーナイ)と言われるのはこのためです。受信機の感度が低いと、自分は愛されていないとか認められていないと他者に責任を求めます。他者からの声が聞こえないのは、他者が発信していないことが原因でなくて「声なき声」を聴く自分の受信機の感度が原因なのです。自己受容できたなら、自分を奮い立たせて高い目標を目指すのも大事なことです。