通信Vol.124(2014年9月)

 お盆過ぎの豪雨によって飛騨各地で災害にあわれた方もあったと思います。謹んでお見舞い申し上げます。
 今年の夏は雨の記憶しかない位よく雨が降りましたね。農作物に影響が出ないか心配です。

 今回のテーマは「親切と優しさ」について考えてみたいと思います。
 「親切」と「優しさ」は良く似ていますね。一見すると見分けがつかないことがあります。
そもそも「親切」とはどういうことでしょうか?相手が困っている時に手を差し伸べることを「親切にする」と言います。たとえば災害で困っている人たちの為にボランティア活動をしたり、仕事で困っている部下や後輩に助言をしたり、電車やバスで老人や妊婦さんに席を譲るといった具合です。親切とは「ありがとう」「助かった」という見返りの言葉があって初めて完結する行為です。わかりやすく言うと、相手に感謝される為にやる行為です。親切で気が利くけど、お節介な人というのは「自分に感謝してほしい」という気持ちが人一倍強い人なんですね。

それに対して「優しさ」とは、相手に幸せになって欲しい、成長してほしいと心の中で願う行為です。行為と書きましたが言葉に出したり行動に出さなくても、相手のことを思いやることが優しさなのです。相手の事をよく観察して、どうしたら本人の為になるのかを考え、その結果叱ることがあったり、失敗するのを知りながら助言しなかったりというように、相手の力量を信じて「親切」とは全く反対の行動をとることも「優しさ」の中にはあります。相手の為にならないからと思って、冷たい態度をとって相手から恨まれることもあるでしょう。自分がどう思われるかよりも相手の為になるかどうか=他者優先度の高さが「優しさ」とも言えます。

男女間で「親切」と「優しさ」の見分けがつかないと、「やさしい」と思って結婚した相手に裏切られるということが起こります。付き合っている間に、恋人の愚痴を聞いたり、プレゼントをしたり、サプライズのイベントを考えたり、相手に喜んでもらおうと一生懸命になるのは自分を好きになってもらう、あるいは自分に依存させる為の、あの手この手の「親切」です。恋人が自分の期待通りに喜んでくれなければ、悲しんだり怒ったりします。先に述べたように「親切」は「見返り」とセットになって初めて完結するのです。感謝されないと「親切」は「怒り」に変わることもしばしばです。

自分の行為であっても「親切」と「優しさ」は見分けがつかないくらいまぎらわしいものです。自分では他人の為と思っていても、実は自分の承認欲求を満たすためだったり、相手に依存させるためであったりするからです。自分の心と真摯に向き合う時間が必要なのかもしれませんね。