通信Vol.175(2018年12月)

暖かい日が続いていたと思ったら、急に冷え込んできたので体調を崩す人も多いのではないでしょうか。私はタイヤ交換、雪囲い、水道の凍結防止等々冬の準備を着実にすすめています。

今回は仏教や色んな宗教、哲学でも言われている因果の道理(原因と結果の法則とも言われます)ということについてお話ししたいと思います。

あなたは、自分の運命は何によって決まると思いますか?神や仏が決めるもの?親からの遺伝?先祖の霊?色んなことを教えてくれる人はいますが、私はシンプルに、自分の行いによって自分の運命が決まるといわれる仏教の因果の道理を信じています。因果の道理は針の先ほどの例外も認めません。すべての結果(運命)は過去の自分の行いによって決まると教えられています。

先日、元日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏の逮捕で世間はその報酬の高さに驚きました。彼は今、数百円ですら自由に使えない東京拘置所の個室に投獄されています。自らが招いた結果ですが、私たちは他人の不幸を見たときは、「因果応報」=「種まきに応じた結果が現れる」と言いますが、自分が不幸な目に遭った時「因果応報」とは思えません。「どうして自分ばかりがこんな目にあうのか?」「あの人も同じことをしているのに、あの人は逃れてずるい」「あんな悪いことをしているのだから、懲らしめないと」と他人を貶めようとさえします。自分に起こるすべては、過去に自分が行った行為の結果だと教えるのが因果の道理ですから、自分が知らない間に過去に蒔いたタネが芽を出しただけです。生まれたての赤ん坊でも、100年生きたお爺さんでも、現在の運命は過去に自分の蒔いたタネが芽を出していることに変わりありません。赤ん坊の場合は人間に生まれてくる前に蒔いたタネということです。

この原因(行為)と結果(運命)の関係について、善因善果、悪因悪果、自因自果(善い行いは良い運命を招き、悪い行いは悪い運命を招く、すべては自分のやった行いが自分の運命を作っていく)と教えられています。誰かに嫌なことをされた時に、あなたが仕返しを考えなくても、因果の道理はやった本人に確実に作用します。人を殺して警察に捕まらなくても、その結果は必ず真犯人に返ってきます。10人殺して自分が死刑になったとしたら、残り9人殺した分の結果は死んだ後の世界で受けます。逆に誰が見ていなくても、良いことをすれば自分に良い運命がくるということです。

良いことをいくらやっても良い運命にならなかったり、悪事の限りを尽くしても一生裕福で安泰な人生を送っている人を見たりすると、因果の道理なんて嘘じゃないかと思ったりしますが、原因を作っている時期と、結果が現れる時期に、時間差がある場合が殆どなので分かりにくいのです。早い場合では、車でスピード出したとたんに白バイに捕まるようにすぐに結果が現れますが、多くの場合はかなり遅れて結果が現れます。

もう一つ因果の道理を分かりにくくしているのが、原因と全く違った性質の結果が現れることが多いということです。道行くおばあちゃんに親切にしたら仕事で昇進したなんていう、一見何の関係も無いような結果の現れ方が殆どです。

また、宝くじで大金を当てることが良い運命だと考えがちですが、大金を手にしたことによって人から脅迫されたり事件に巻き込まれたりしたら、逆に悪い運命だったということです。生まれつきの手足の障害のために兵役を逃れ、戦争で命を落とさずにすんだ人もいます。何が良い運命なのか悪い運命なのかわからなくなってしまいますが、因果の道理が理解できて納得出来たら、他人を妬んだり、傲慢になったりせず、ひたすら自分が良い行いを重ねていけばよいのだと知ることができます。