通信Vol.185(2019年10月)

 10月に入りようやく朝晩がひんやりとして秋の風が吹くようになりました。全国的には台風の被害など、今まで災害のなかった地域での被害が目立っています。自分だけは大丈夫と過信せずに、災害に備えたいものです。

 今回は、許しということについて考えてみたいと思います。
近年ツイッターフェイスブックなどのSNSが若い世代から高年齢世代まで浸透し、一般市民が脚光を浴びたり、その反対に非難の矢面に立たされるケースが多くみられます。芸能人や有名人の発言にテレビのコメンテーターだけでなく、一般の人々までネット上で批判的な書き込みをしたりしているのを見て、息苦しく感じている人もいるのではないでしょうか。
他人の行動を見て「許せない!」と声をあげる人がテレビやネットでもクローズアップされるケースがよくあります。なぜ他人の行動を見て「許せない」と感じるのでしょうか?たとえば隣の家のご主人がだらしなくて、仕事が休みの日は朝から夕方までパジャマで過ごしていたとします。パジャマ姿で家の周りをウロウロしたりしているのを見て「許せない」と感じるでしょうか?殆どの人は「となりのご主人だらしないね」と笑って済ませるのではないでしょうか?又、向かいの家の奥さんが、掃除が嫌いで家の中がゴミ屋敷になっていても、外観が普通の家ならば腹も立たないでしょう。
では、貴方がやっとの思いで禁煙に成功したとします。マンションの隣の部屋の住人がベランダでタバコを吸った煙が自室の中に入ってきたらどうでしょうか?腹が立つかもしれませんね。自分が高速道路で渋滞にはまってイライラしているときに、路側帯を走ってすり抜けていく車があったとしたらどうでしょう?これも腹が立つかもしれませんね。
この「許せる他人の行動」と「許せない他人の行動」は何がどう違うのでしょうか?
隣の家や向かいの家の中で起きている出来事は見ることが出来ませんし、我が家のルールと他人の家のルールは違うわけですから、比較のしようがありません。しかし、たばこの煙や渋滞のズルはどうでしょうか?「自分はタバコを必死の思いで止めたのに、隣の家から煙が流れてくる」「自分は渋滞に巻き込まれてもしっかりルールを守っているのに、あの車は交通ルールを守らなくてズルい」という気持ちが腹立ちの原因ではないでしょうか?自分に自制をかければかけるほど他人が許せなくなります。つまり人は「自分を許せる範囲でしか他人を許せない」ということなんです
先日16歳の少女が「地球温暖化ガスの排出が許せない」と国連で演説したことがニュースで流れていました。彼女はCO2を排出するからという理由で飛行機に乗らずにヨットで大西洋を横断しました。しかし実際は彼女がヨットで大西洋を渡るために、ヨットの船長や船を運行するスタッフは飛行機で行き来しました。自分が完璧と思い込んでいる人程、他人を許せない傾向があると言われます。彼女がもし、自分の行動を客観的に見ることが出来て、自分も多量の温暖化ガスを製造していると知ったら発言ももう少し柔らかくなったかもしれませんね。
自分も他人も許すためには自分の姿を客観的に見る鏡が必要です。自分も他人も許せる人の方が、人生を楽に生きられるような気がするのは私だけでしょうか?