通信Vol.195(2020年8月)

長い長い梅雨の後は、連日の酷暑が続いています。自然はなかなか人間の都合の良いように振る舞ってくれないものですね。

 

 今回は前回の「自己肯定感の高め方」の第2弾としてお話ししたいと思います。前回お話ししたのは自己肯定感を上げるために、自己評価を上げましょうということでした。自分基準で自己評価を上げる癖をつけたら、今度は自己評価が下がっても「私は大丈夫!」といえる「絶対的自己肯定感」を構築していきたいと思います。

 なぜ絶対的な自己肯定感が必要かというと、誰かと比較して「自分は〇〇が優れている」という相対的(他人と比較して)自己評価は、常に対比する相手が必要だからです。常に「自分はこれだけは他人に負けない」という比較が必要ですし、「貴方の〇〇はすごいね」など誰かの評価を常に求めないと自己評価を維持出来ません。たしかに自己評価を上げる努力は、前向きですし、色んな行動へのモチベーションアップにもつながりますのでとても良いことです。しかし、他者に対して優位性を見いだせなくなった時に、自分の存在価値を見いだせなくなってしまうこともあるのです。ですから自己評価を超えた絶対的自己肯定感が必要になってきます。たとえ誰にも勝てなくても、何も取り柄が無くても、惨めな気分に打ちひしがれても、自分は生きていく価値のある人間だと思える自己肯定感こそが、究極的に目指すところです。

 誰よりも肉体を鍛え上げたオリンピック選手が、重大な交通事故で首から下が麻痺し車いす生活を余儀なくされたことがありました。他の誰よりも強靭な肉体を誇って、世界でも指折りのアスリートであればあるほど、その肉体が自分の思い通りに動かせなくなった時の絶望は深いでしょう。事故に遭わなくても、加齢とともに筋力は衰えます。一説には筋力の衰えは20歳から始まっているとも言われます。記憶の天才と言われる人も脳の老化には勝てません。どんな絶世の美女でも、超イケメンでも刻一刻と老化していきます。つまり、どんな自己評価も時間とともに覆され、誰にも自慢できない老いた人間へと一歩一歩近づいているのです。

 では人生の末路、ベッドで横たわる老人となった時に、貴方にはどんな価値が残っていますか?それまでに築き上げてきた財産に価値を見いだしますか?学歴や職歴に価値を求めますか?子供や孫に頼りにされることを喜びますか?哲学に答えを求めますか?宗教に答えを求めますか?

 自分の肉体が衰えてきたときに必ず対面する問題が、自己肯定感です。「このまま生き永らえて良いのか?」「自分に価値はあるのか?」人はこの大きな問題から目をそらすために認知症になると言った学者もあるほど重要でハードルの高い問題です。答えが見つかる人もあるでしょうし、一生かかっても見つからない人もあるでしょう。

 相対的な自己評価が全く無くなっても、「自分はこの地球に生を受け、生きた証しを刻んできた。最後の一息が切れるまで価値のある人間なんだ!」と思えること、「絶対的自己肯定感」こそ今から構築するべきではないでしょうか。